そうならざるを得なかった、しかし。
人生、生きていれば、悲しい事悔しいこと怒り、別れ、
理不尽なこと、たくさんのことに出会う。
むしゃくしゃして、人によってはメンタルを病んで、
ズタボロになってしまう人もいる。
僕だってそうだ。
虐待を受けたこともあれば、いじめもある。
先生からいじめられたこともあるし、クラブチームのコーチ的な立ち位置の人からもいじめられたこともある。
恋人からも、モラハラのようなものを受けたことがある。
きっと、そういう運命の元に生まれたのだと思う。
厳しいけれども、僕は、どうも、そういうものを惹きつけてしまう能力があるっていうのが今なら分かる。
幼少期から虐待を受けてきたから、そういう攻撃を受け流すために身につけた数々の能力が、「こいつなら攻撃しても反撃されない」という認定に使われ、だから、好き放題言われるのだろう。
僕は、弱かったから、反撃をしないからね。もちろん、誰も信用できる人間がいなかったから、誰にも相談できない。
そりゃ、攻撃欲の強い人間なら、僕を狙うよ。
僕が逆だったとしても、そうする。
攻撃する側が、100%悪いのはもちろんのことだけど、
攻撃される側も、何らかの隙を見せてしまっているということだ。
これは、今振り返って分かることだ。
攻撃を受けていた当時は、本当に苦しく、死のうと思ったことも、何度もある。その時は、攻撃を受けて当然だと思っていたから、僕は攻撃を受け続けて、結果的に、身も心も壊すことになった。
そりゃ、ノーガード戦法で、反撃もしなければ、ズタボロになるよ。
で、これは仕方のなかったことだ。
起こったことは変えられないし、そういう意味では、起こったことは全て正しかったと言える。
でも、問題はここからだ。
起こったことではなく、これから起こるだろうことを、いかにして防ぐか。
そして、いかに、いい未来を作っていくかだ。
虐待を受けていた、幼少期の人間関係を、今までずっと続けてきたから、
僕の人生はこうなった。
攻撃を受けていい人間なんてこの世の中には存在しないが、
僕は価値がないから、いじめられて当然なんて思って、当然のようにいじめられてきた。反撃ができないのは、もちろん弱いからってのもあったし相手がもっといじめてくるのが怖かったのもある。でも、それよりももっと大きなものは、無価値な僕は、いじめられて当然だっていう信念だ。
そう、まさに信念だった。
信じていただけで、事実ではなかったということだ。
事実は信念とは違う。
事実は事実であり、信念は信念だ。
事実は、どう疑おうと、揺るがないが、
信念であれば揺らぐ。実は、別の捉え方があったじゃないかって。
悪い子供はいじめられて当然だ、ってのは単なる信念だ。
なぜなら、逆もあり得るからだ。常識で考えれば悪いことでも、それをすれば褒められるようなスラム街だって、この世の中には存在する。
そして、僕がいじめられたのは、悪いことだったのだろうか。
確かに僕にとっては、悲しいことだったけど、もっと大きい目で見れば、別の見方もありうる。
僕をいじめることでストレス発散できた人も多いだろうし、
僕はそのおかげで、人生の歩みを一旦とめ、ゆっくりと休み、いろいろなことを考えた。最近よく思うのだが、僕はこんなふうに休んでいなければ、
きっと死んでいたと思うんだ。
だから、広い意味で言えば、僕はこの運命で良かったのだと思う。
悪いことも、もちろんあった。
いじめられて、体も心も壊れたし、はっきり言って、この両親じゃなければ、僕はもっといい人生を歩めていたと思う。能力は、高くないけど、
きっと豊かで幸福な人生を歩めていただろうと。
まあ、色々恨みつらみはあるが、でも、僕にはこの人生しかあり得なかった。両親が違えば、少しでも運命が違えば、僕なこの世の中にいない。
だから、僕がこの瞬間に、こうやって生きるためには、この、残酷な運命を生き抜くことしかなかったということだ。
本当に苦しくて、苦しくて、消えたいような運命だったけど、
これじゃないと、僕は存在しなかったのだから、
これを受け入れるしかない。
そして、その過去を受け入れた僕には、
もう一つ、重要なことを考えついた。
(一つ目は、起こったことは受け入れるしかないということ。)
そして、もう一つは、「とは言うものの、未来は変えられる」と言うことだ。
僕には、信念があった。
僕は「ダメな子供」だと言う。
でも、誰にとってのダメな子供だったのだろう。
それは、両親だ。両親にとって、僕は本当にダメだったと思う。
わがままだったろうし、能力も低かった。不器用だし、メンタルのタフさもなかった。
だから、両親に捨てられないように、媚を売ったり、気に入られるようなことを言ったり、ずっと気を遣って生きてきたし、だから舐められたのだと思う。
もちろん、子供にそんな思いをさせるような親なんて碌でもないのだけど、
そんな碌でもない親であっても、僕はそのに育てられる以外には選択肢はなかった。これは、もうどうしようもないことだ。
そして、これからは、自分でそれを変えていけると言うことだ。
もう、大人な僕は、両親を捨てて、人生を1から作り直すことが出来る。
未来は作れると言うことだ。