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#02 山梨編④ 地元目線のローカルメディアが切り拓いたもの

風土の異なる3つの都市を訪れ、フィールドリサーチを通して街づくりの未来を探るプロジェクト。
山梨県といえば、世界遺産に登録された富士山に、ブドウやモモ、甲州ワインなど、観光と大自然の恵みで知られる内陸県。各地域で活動する若者たちがつながり、いま新たなムーブメントを巻き起こしているというのです。
発酵デザイナーの小倉ヒラクさんが教えてくれた、山梨を面白くするキーパーソンの一人、フリーマガジン『BEEK』編集長の土屋誠さん。デザインと編集の力で、街づくりに何ができるのか? Uターンを経て見つけたローカルという名の宝の山、そこから広がる新たな展望について話を聞きました。
▶  前編 ③ 甲州ワイン、発酵兄弟……“面白さ”でつながる若者たち
▶「Field Research」記事一覧へ

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山梨の人や暮らしを伝え、大きな共感を呼んだローカルメディア

東日本大震災を契機として、日本各地でローカルな暮らしを見つめ直す気運が高まる中、「山梨にこのメディアあり」と注目を集めたフリーマガジン『BEEK』。東京で出版やデザインの仕事に携わり、山梨へ戻ってきた土屋誠さんが、インタビュー/撮影/執筆/編集/デザインのすべてにこだわり、「やまなしの人や暮らしを伝える」というコンセプトのもと、2013年に創刊しました。「わたしのしごと」と銘打ち、自分が会いたかった人たちの仕事に懸ける姿を紹介した創刊号。週末のたびに県内各地を巡り、そこで出会った人々や出来事を収めた第3号「WEEKEND」特集など、丁寧に作り込まれた紙面をめくるたびに、この場所で生きる人々の息吹や想いが伝わってきます。

『BEEK』の取材を通して出会いを重ねるうちに、土屋さんは活動の輪を広げ、山梨各地の地場産品やイベントなどの仕事を手がけるようになりました。「山梨のいまを発信するメディアを作りたかった。それを持っていろいろな人に会いに行くことで、仕事に限らず、山梨での暮らしをもっと面白くしていけると考えたからです」。
クリエイティブな仕事のなかった地元の状況を変え、共感とともに新たな気運を導いてきたそのアプローチには、地域社会やコミュニティのデザインにも通じる姿勢が感じられます。山梨各地のローカルな視点から見えてきたもの、ここから先の展望とは。自身の気付きと地域を取り巻く変化について、話を聞きました。

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土屋誠(つちや・まこと)
1979年、山梨県石和町(現・笛吹市)生まれ。地元タウン誌の出版社を経て上京し、編集者/デザイナー/アートディレクターとして活動後、2010年に独立。13年に山梨県北杜市へUターン。同年、「やまなしの人や暮らしを伝える」フリーマガジン『BEEK』を創刊し、これまでに6号を発行。富士吉田市「ハタオリマチフェスティバル」のイベント企画・運営や、甲州市、早川町などの移住促進ツール、韮崎市の「アメリカヤ横丁」のアートディレクションなど、山梨の各地域の仕事に精力的に携わっている。
『BEEK』公式サイト https://beekmagazine.com/

フリーマガジン『BEEK』編集長 土屋誠氏インタビュー

僕は現在、「やまなしの人や暮らしを伝える」フリーマガジン『BEEK』をはじめ、冊子やポスターなどの広告制作や地場産品などのブランディング、地域関連のイベント企画など、山梨の魅力を発信するクリエイティブワークを手がけています。
僕の地元は旧・石和町(いさわちょう)。2004年に合併して、甲府市の西隣りに位置する笛吹市になりました。この仕事を始めた経緯ですが、雑誌を作る仕事に就きたいと地元でタウン誌の出版社に就職したものの、もっと幅広い仕事に携わりたいと25歳で上京して、東京のデザイン会社へ入社。その後、編集プロダクションなどを経て独立し、結婚して2人目の子どもを授かったタイミングで、山梨に帰ることにしました。理由としては、ちょうど各地でローカルな雑誌やフリーペーパーが話題を集めつつあった頃で、地元でもそういう取り組みをしたいと考えたこと。加えて、自然豊かな環境で働きながら子育てをしたいと考えたこと。それで上京して10年目の2013年に、甲府の北に位置する北杜市へ引っ越しました。

とはいえ、当初は地元にデザインの仕事もなく、9割方は東京の仕事をしていました。そんな中で、自分でメディアを立ち上げて面白い人に会いに行けば、逆に自分のことを知ってもらうきっかけにもなると考え、創刊したのが『BEEK』です。心がけているのは、マスメディアが報じないようなローカルの目線で、山梨の魅力を伝えること。創刊号では「わたしのしごと」と題して、五味醤油の6代目・五味仁さんや「ワインツーリズムやまなし」の大木貴之さんにも取材をしています。
それ以降、僕の山梨でのつながりは『BEEK』を通して広がり始め、それが新たな発見や活動につながってきました。例えば、小倉ヒラクくんも登場している第4号「発酵している。」特集で取材させていただいた戸塚醸造店は都留市で代々続くお酢屋さんですが、代表の戸塚治夫さんご夫妻が試行錯誤を重ね、全国でも数少なくなった伝統製法を復活させました。手仕事にこだわり、実に1年もの時間をかけて仕込んだお酢は、ほかにはない味わいです。いまでは自宅の調味料はすべて山梨のものになりましたし、知れば知るほど、ローカルならではの価値があることが見えてきました。

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『BEEK』は土屋誠さんが企画・編集からインタビュー、写真撮影、執筆、デザインまでを手がける形で制作。自身の名刺に記された肩書きは「やまなしのアートディレクター」。

『BEEK』の配布先ですが、県内が6割でそれ以外が4割。山梨を中心に、東京よりも他の地方とつながっていこうと考えています。僕自身のスタンスとしては、山梨で暮らすと決めた以上、この土地についてより深く知ることで、できるだけ楽しく暮らしたい。その想いを込めて、肩書きも“山梨のアートディレクター”から、最近は“山梨を伝える人”という言葉で表現するようになりました。僕自身の感覚としてはデザインで地域の問題を解決するというよりも、ローカルな魅力を伝える活動の中で面白い人たちとつながって、それが地域と向き合うきっかけになっていく感じですね。

地域の魅力を介して人々とつながり、新たな気運が回り出す

2年前からは、北杜市の自宅とは別に、甲府の中間にあたる韮崎市のリノベーションビル「アメリカヤ」に事務所を構えました。「アメリカヤ」に加え、すぐ向かいの長屋を再生した空間に飲食店が並ぶ「アメリカヤ横丁」でもロゴやパンフレットのデザインを手がけるなど、近所の仕事も手がけています。
活動の範囲も山梨全体に広がってきて、例えば甲府から車で約1時間、富士山の麓に位置する富士吉田市では「ハタオリマチフェスティバル(通称:ハタフェス)」というイベントのプロデュースに携わっています。ここは古くから富士山の湧き水を使った織物業が有名で、かつては「ガチャマン(ガチャッと一織りすれば1万円)」と呼ばれるほど栄えた街。その魅力を発信しようと、16年の初開催から毎年、織物をはじめとする全国各地の産品が集まるマーケットやワークショップ、織物工場の見学ツアーを開催し、県外からも多くの人が訪れるようになりました。

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土屋さんが第1回からプロデュースを務める、富士吉田市の「ハタオリマチフェスティバル」(2018年の様子)。織物や古道具などのマーケット、織物工場の見学ツアー、体験ワークショップやライブなどを開催し、全国の作り手同士のネットワークの場にもなっている。

「ハタフェス」開催のきっかけは、『BEEK』を見てくださった山梨県富士工業技術センター(現・産業技術センター)の五十嵐哲也さんからの相談で、山梨の織物産地にフォーカスしたフリーマガジン『LOOM』を制作したこと。この冊子を富士吉田市役所の勝俣美香さんが見てくださって、“機織りの街”について発信するイベントをやりたいという相談をいただいたのです。僕にとっても新たなチャレンジでしたが、勝俣さんも予算を確保したり、地元の若者とかけ合ったりと、行政の立場で奔走してくださいました。行政や地域と手を取り合って新たな動きを立ち上げるという意味でも、新たなモデルケースを作ることができたと感じています。

振り返れば僕自身も、若い頃は「地元はつまらない」と思ってくすぶっていた人間でした。でも山梨へ戻ってきてしばらく経った頃、県外の方からの「山梨は魅力がたくさんあっていいですね」という言葉に、思わずハッとさせられました。身近なところにも面白いことはたくさんある。だからこそ、まずは知ってもらうこと。そして、「どうせ無理だ」「やりたくてもできない」と感じている人に、「こうすればできる」という形を提示すること。そこにこそ、デザインや編集の立場からできることがあるはずだと思っています。

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甲府、韮崎、富士吉田……“楽しい”から始まるクリエイティブ変革

一方で東京にいた頃を振り返ってみれば、クライアントと直接話す機会がないなど、誰のために仕事をしているのかわからないと感じることが多々ありました。でもいまは、地域の人々とのコミュニケーション自体が仕事の要になって、山梨の仕事が全体の9割を占めるようになりました。
山梨を面白くしようと頑張っている仲間たちともつながって、小倉ヒラクくんは甲州市、五味兄妹は甲府市で僕は韮崎市と、距離が離れていながらもお互いに深く共有できている感覚がある。何故、こういうつながり方になるかというと、それは山梨全体でクリエイティブのマンパワーが足りないから。人が少ないからこそ、面白い人同士ですぐにつながることができる。その時に大事なのは、お金になるかどうかではなく、それが楽しいかどうか。楽しいと思うからこそ、そこに人が集まって、仕事として続けていくことができるということですね。

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2016年にオープンした五味醤油のワークショップスペース「KANENTE」。「手前みそ教室」などの体験企画を開催し、多様な人々の交流を生み出している。

でも僕の感覚では、クリエイターに仕事を依頼する環境は、まだ山梨に根付いているとはいえません。地元の役所や企業は何かにつけてすぐに効果を求めますが、街や地域に関わる以上、まずは継続して続けていく意識を育てていかなければとも思います。街づくりという意味でも、都会への憧れが大きいあまり、結果的に地元が望んでいないものができてしまうケースがとても多い。
例えば、地方発信の成功例としてよく挙げられる尾道の「ONOMICHI U2」(※1)のように、センスのいい施設ができることはまずないですね。数年前にも、大きな箱を作ればいいという発想で3億円もの予算をかけた商業ビルが甲府の中央街に建てられましたが、集客が伸びず、テナント撤退が相次いで大問題になりました。甲府市は47都道府県の県庁所在地で一番人口が少なく、甲州商人譲りの保守的で損得勘定にうるさい気質など、さまざまな理由があると思います。でも僕自身も山梨県民ですから、そうした微妙なニュアンスを汲み取りながら、新しい形を模索できるはずだと信じています。
だからこそ、小さな規模ではありますが、僕なりにデザインやブランディングの手法でより多くの人たちとつながっていきたい。これからもこの場所で、気づきや意識の輪を広げていきたいと思います。

(※1)参考記事:NTT UD Field Research 2020「#01 尾道編② 変革の象徴「ONOMICHI U2」のデザイン戦略」


→ 次回  山梨編
⑤県を超えて地元同士を結ぶ、最前線のコミュニティ


リサーチメンバー (取材日:2019年11月24日)
主催
井上学、林正樹、吉川圭司、堀口裕
(NTT都市開発株式会社 デザイン戦略室)
https://www.nttud.co.jp/
企画&ディレクション
渡邉康太郎、西條剛史(Takram)
ポストプロダクション & グラフィックデザイン
江夏輝重(Takram)
編集&執筆
深沢慶太(フリー編集者)
イラスト
ヤギワタル


このプロジェクトについて

「新たな価値を生み出す街づくり」のために、いまできることは、なんだろう。
私たちNTT都市開発は、この問いに真摯に向き合うべく、「デザイン」を軸に社会の変化を先読みし、未来を切り拓く試みに取り組んでいます。

2019年度は、前年度から続く「Field Research(フィールドリサーチ)」の精度をさらに高めつつ、国内の事例にフォーカス。
訪問先は、昔ながらの観光地から次なる飛躍へと向かう広島県の尾道、地域課題を前に新たなムーブメントを育む山梨県、そして、成熟を遂げた商業エリアとして未来像が問われる東京都の原宿です。

その場所ごとの環境や文化、人々の気質、地域への愛着やアイデンティティに至るまで。特性や立地条件の異なる3つの都市を訪れ、さまざまな角度から街の魅力を掘り下げる試みを通して、「個性豊かな地域社会と街づくりの関係」のヒントを探っていきます。

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