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NPO法人設立から5年の軌跡

7/29でNPO法人日本アーティスト協会は5周年を迎えました。

関わってくださる皆様、アーティストの皆様の支えがあってこそです。
心からありがとうございます。
ますます精進します。

さて、法人代表としての思いを表向きに語ることは滅多になかったのですが、5周年といういい区切りなので、設立からの思い、課題、葛藤について書いてみようと思います。

ちなみに、5周年を記念してアパレルをスタートしました♪
記念にぜひ買ってやってください!
祝ってほしい!
かっこいいよ!
おねがい笑!

※アパレルとグッズは別のサイトでの販売になります。



◆設立前夜

メジャー契約が終わり、フリーのアーティスト兼プランナーとして順調に活動していた2012年頃、ある呪いの言葉に悩まされていました。

「もっと真剣に音楽やりなよ」
「本業は何なの?」

当時イベントの企画もアーティストとしての活動も順調だと自分では思っていたものの、この言葉だけは、音楽関係者だけでなく、応援してくれる周りの方からも何万回も言われ続けるのです。

「真剣にやってきたよ!テレビオーディションで優勝もしたし、メジャーデビューもしたし、映画主題歌もタイアップもさせてもらったよ!」

「歌だけやっていたいに決まってるだろ!でも色んな仕事をした方がもっと歌う場が増えるからやってるんだよ!」

言葉では柔らかい表現にしていたけど、口がすり減るほど繰り返していました。

「いや、もうこれダメだわ。
わかってもらえねーわ。
会社作って社会人のみなさんの立場に並んで語るしかないっすわ。」

学生時代から変わらない負けず嫌いが、この時ばかりはいい方向へ転んだと思います。

もちろん気持ちの問題だけではなく、一定の規模を超える案件を個人には任せてもらえないことがあったり、せっかく来た依頼をスケジュールの都合で断ることも増えていたこともあり、個人での活動に限界を感じていたところでした。

事業計画を書いて、お世話になっていた経営者の方に見てもらうと、出資も検討すると言っていただきました。
他にも出資を申し出ていただけて、自己資金と合わせて500万円くらいの調達ができそうでした。

しかし、どう電卓をたたいても、8年は黒字にすることができない計画。

━━資金をいただいて事業をすれば食っていけるし、何人か雇える。
・・・けど、それでいいんだっけ?━━

そもそも僕が起業するのは、アーティストの社会的な地位を向上させたいから。

99%の一般人が知らないアーティストという職業のことを知ってもらわなければ、あの呪いからの解放はおろか、この先何年もこの世界は変わらないのです。

また、僕や一部のアーティストが儲かるだけでは、一時的な憧れや希望を抱いてもらえたとしても、根本的な課題を解決できるわけではないと感じていました。
(実際、「まずはお前が売れろ」という言葉も、呪いの言葉のひとつでした。)

その課題を一発で解決する方法は正直ありませんでした。
ただ、やるべきことは明確で、しかも山積していたのです。
一見するとアーティストに関係の無いようなことでも、ひとつずつ検証しながら進む、気の遠くなるような道のり。

「キツそうだけど、この課題感を抱えている人はもっといるのではないだろうか?」

そう考え、当時27歳の僕の周りにいるアーティストや音楽好きの仲間と話をしていくと、似た思いを抱く人が一定数いました。

「いける!やるしかない!」

僕は企画を生業にしていたこともあって、すぐさま新たな事業計画を作ることにしました。

ただし、今度は僕の脳内ではなく、共感してくれた仲間ひとりひとりの顔を思い浮かべ、「この人はこれができる」「この人はこれがやりたいと言っていた」「この人は僕を絶対に裏切らない」というように、人を軸にしたチームを作っていくことにしました。

この過程は、漫画のワンピースさながらで、悩みや課題や目標がある人は、片っ端から「叶えちゃおうぜ!」と巻き込んでいきました。

そしていよいよ法人格と名称を決める時になって、ふと気づきました。

「なぁ、働かざる者食うべからずだよね?」

株主がある形ではなく、個人個人が働いた分だけお金をもらえる明瞭会計にしたい。
その仕組みにぴったりなのがNPO法人でした。

こうして、アーティストの、アーティストによる、アーティストのための法人、日本アーティスト協会が誕生しました。

法人登記までは、初期メンバーと「アーティストアソシエーション」という名義で活動を進め、満を持して登記へ。

・・・が、登記手続きの日の良さばかり考えていて、設立日や登記日の扱いをちゃんと決めていなかったため、なぜか7月29日という謎の登記日に。

「ま、まぁ、ナニクソってことで7/29でオレらっぽいよね。は、はははh・・・」

この詰めの甘さが教訓になったのか、今日まで歩みを止めることなくやってこれました。


◆初年度~2年目:離脱者続出

日本アーティスト協会(JAA)が船出してまもなく、組織のマネジメントの難しさを思い知ることになりました。
初期メンバーから離脱者が続出したのです。

スタートアップの世界では初期メンバーは半分以上入れ替わるとも言われているのですが、例にもれずJAAでもそうなってしまいました。

初期の僕は、アーティストや仲間同士に上下をつけたくない気持ちが大きすぎて、「みんな並列」にこだわっていました。

もちろん、意見交換もスムーズだったし、みんな尊重しあえて良いムードだったと思います。

当時から今も変わっていないJAAの仕事のルールがあります。

●JAA名義で仕事を持ってきた人は取り分の配分も自由に決定していい
●仕事を持ってきた人のサポートをJAAメンバーでする
●自分の私利私欲にJAAの名前を使わない

しかし、当時そうは言っても仕事をとってくる術を持つ人は少なく、ほとんどが僕の案件を手伝ってもらう形でした。

しかも報酬はかなり低いか、ボランティアでした。

これには
「売り上げが立っていないのだからもちろん報酬は無いよね。JAAブランドを育てて売上立てられるように頑張ろう!」
とみんな言ってくれていたけど、
「タダ働きなんて搾取じゃねーか」
と思われても仕方ないなと内心思っていました。


残念ながら、社会的に良い取り組みほど予算が潤沢ではない場合が多く、質の高いアーティストの実績を積んだり活躍の場を増やすためにwin-winの関係で安価で受けることがあります。(イベント側には良質なイベントになるというメリットがある)

すると、もともと独立志向の強いメンバーは個人で仕事を請けることもできたので、JAAを通じて仕事をする意義を見出せなくなっていったようでした。

「JAAのブランド力を高めることで、ゆくゆくは独立して活動するアーティストが活動しやすい土壌を作る」

ということには理解を示してくれてはいたものの、冒頭のとおり、想像以上に長い道のりであることに耐えられる人はなかなかいない。

地味な活動に感じたり、叶えたいことがあったり、今はしっかり稼ぎたいという思いなどがあって離脱を表明するメンバーが出てきました。

すると、彼らのモチベーションを維持するために、それぞれの理想に応じた案件など、彼らのやりがいをこちらが用意しなければいけない状況に。

そのうち常に負荷のかかる人とそうでない人という形ができてしまい、人間関係にも影響が出始めました。

ビジョンには共感してもらえても、実際の運営には不満が溜まる一方でした。

「みんな並列」というマネジメントのせいで、しわ寄せや辻褄合わせが必要になってしまったのです。

この方針のリスクを身をもって体感し、組織体制も見直すことになりました。


こういった現実もあり、当初からJAA内部では、
「やりたいことがある人は複業でなければ難しい」
と繰り返し説明してきたし、
「そもそも自走できていない人が誰かを支えられないよね?」
「自分が稼げていないのに、さらに稼げていない人からお金をとって自分が潤うってどうなの?」
と、ちょっと嫌がられるだろうこともズバズバ言ってきました。

変わらなければいけないのは、アーティスト自身や、アーティストを支援する側の意識だからです。

僕の著書の「令和のア―ティストの稼ぎ方」にも詳しく書いたんですが、「やりたいことをやる」と「やりたいことでお金をもらう」の間には、時間やお金を投資して、技術や価値を身につけるステップが必要なのです。

JAAの活動でやりがいのあることに出会えたとしても、お金が発生するレベルの案件でなかったり、自分の今の力ではお金をもらえるような成果を出すことができないことも多いでしょう。

でもそれを続け、価値を証明し続けなければ、お金をもらえるレベルにはなれない。
(一回の成功や実績では何の影響も示せないので、成果を出し続け、発信し続けることが大切なのです。)

かと言ってお金がなければ生計を立てていけない。

もちろんクラウドファンディングや寄付、出資を受けることもいいですが、そもそも稼ぐサイクルが無いなら、いつか終わりが訪れます。

だから、自分の意思で自分の人生をコントロールするためにも、他の収入源、というか稼ぐ方程式をもっておくことが必要なのです。

今なら事例も蓄積されているので、「その関わり方では法人にも自分にも社会にも変化は起こせない」と言えることもあるのですが、当時は試行錯誤の連続でした。


◆3~4年目:事業部の展開

NPO法人は理事会(取締役会のようなもの)と事務局を中心に、定期的な総会を開催して意思決定していきます。

JAAは現在、法人・個人含めて25組の皆さんに参加していただいており、こういった組織で様々な事業を運営していただいています。

初期の反省点として、「やりたいことを持ち寄って実現しちゃおーぜ!」のハードルが高かったことがありました。

「みんな、そもそもやりたいことってそんなに無いんだ」というのがポジティブな発見で、やっぱり企画は企画屋の僕を中心に考えた方がいいということに。

そんな中で、とても嬉しかったのは、やりたい意欲をほとばしらせている若手が入ってくれたこと。

しかも、僕が起業時に抱いていたのと近い熱量と課題感で、「重いかもしれないけど、君のために事業部作るから、そこのマネージャーやってみない?」と言うと、「やります!今一番必要なものなので」と二つ返事で快諾してくれたこと。

僕は昔から即断・即決・即実行(ユニクロの教育)がモットーなので、検討するとか考えさせてもらうとかは、基本的にNGなんだと受け取るんですね。

ほとんど人の場合は、その場で答えを出すことはできない。
なぜなら、やりたいことに対して、何かを背負う準備ができていないから。

彼は最年少ですが、個人事業主としての経験や責任感も強く、実現したいことに対して背負う覚悟ができていたんですね。感動しました。

それから、やりたいことが明確な人には事業部を持ってもらうことにしました。
これは設立当初の「人から事業をつくる」のと、やはり通じています。

上の図のように、制作関連の仕事を請けるサイドと、サービスを提供するサイドを分けて運営しています。

これによって、山積していた課題を的確に処理するルートが確立できました。


そして、同じくらい大きな気づきだったのが、マネジメントのチームワーク。

JAAで言う理事会や事務局のことですが、このメンバーの人柄には、やられっぱなしです。

僕も苛立ったり迷うことはもちろんあるんですが、「人の意見を信じて決断してもいいんだ」と思わせてくれたのは、人生で初めての経験でした。

彼らのことは心から信頼しています。


また、課題だった報酬の面の見直しもはかりました。

ありがたいことに、専門学校やスクールのレッスンプログラム開発や講師の仕事が定期的な収益となっており、教育関連に携わるメンバーはそれだけで生計が成り立つようになりました。

動画、HP、音楽の制作をはじめ、広告を扱うサービスなどの受託関連の案件も不定期にあり、徐々に収益が出始めました。

そこで、これまでカウントしていなかった作業の報酬単価を決め、毎月やった分を申請することで、報酬をもらえるしくみにしました。

この時期、ようやくアーティストの表現活動以外での収益の出し方を提示できるようになりました。


ちなみに、細かいことですが、JAAを通して仕事をしてくれている人には、原則事務手続きや先方との打ち合わせなど、自分の仕事のように担当してもらっています。

これには3つの意味があります。

●本来なら事務局が行うようなことを自分でやってもらう代わりに、自分の取り分を多く取ってもらう(月額20万の仕事なら月に2万円くらい差が出ます)
●窓口を担当してもらうことで、個人の経験値を上げてもらう
●クライアントからのJAAへの印象を、自立した人材の集団だと認知してもらう

リスクとしては、「その人がこっそりクライアントと個人的な仕事をやり取りしないか」などがありますが、そういうことをやる人は勝手に自滅するし、JAA名義での仕事を任せている人にはそんな人はいません。


◆5年目:専門サービスの確立

NPO法人は、毎日が異業種交流会のようなもので、多種多様な職業の人が集まっています。

よく「どれくらいアーティストさん抱えてらっしゃるんですか?」とご質問を頂くのですが、JAAはアーティスト団体ではなく、アーティスト”支援”団体です。

内部にもアーティストは16名いますが、これまでキャスティング、教育、マネジメントで関わってきたアーティストのリレーションは約4,000組ほどあります。

JAAには音楽関係者や広告代理店の経営者もメンバーとして数名いますので、その繋がりで辿ればもっといます。

僕もアーティストとして「抱えられる」のは嫌ですし、自力で頑張ってるアーティストはみんな社長みたいなもの。

必要な時に必要な役割で最大限の成果を出せる体制が大切だと思っているので、JAAは「アーティスト活動をするためのハブ」と位置づけて、沢山の方に関わってもらえる仕組みを日々作っています。

ひとりひとりの専門性を生かしやすいのがNPO法人の強みなのですが、中でも「芸で生きる人やフリーランスのキャリア教育」という分野では国内随一と言っていいほどノウハウを蓄積しています。

僕だけとってみても、アーティスト、フリーランス、上場企業での社会人経験に加え、HRスタートアップにジョインしたことで最新の人材業界にも精通しています。JAAの中には、働き方についてたびたびメディアに登場する経営者も参画していただいています。

僕は「自分がやったことがない人」の話は、どんなに専門的でもまったく参考にしないので、僕らが 発信することも経験に裏打ちされた実践的なノウハウであるべきだと考えています。

再現性や具体的な方策のない話は、物語としては楽しめても、相手にとって何のメリットもありません。僕らはそうやって物語ばかり聞かされてきた世代なので、いい加減うんざりしてるんですよね。

なので、多少の負荷があるとしても、やるべきことを明示しますし、成果を出すために必要なことはすべて伝えられます。

そういったビジョンとこれまでの紆余曲折を経て、今のJAAは下記の三つをワンストップで実現する専門団体になりました。

●芸のスキルアップ
●社会性の定着
●キャリアの支援

特に過去には受託に頼り切りの体制だったものが、専門的かつ幅広く現代にフィットする教育サービスができたことで、コロナ禍でも多くのお声がけを頂くことができています。

次のステップは、いよいよアーティスト性を就労支援に生かす活動になります。

アーティストの生き方は、老若男女、参考になることが多いですし、セカンドキャリアやキャリアチェンジにも役立つメソッドが凝縮されています。
有名な経営者には元アーティストが非常に多いことからも、何となくイメージがつくかもしれません。

そして、引き続きアーティスト支援の一環として、アーティストを社会的な取り組みにマッチングさせることと、異業種へ若手労働力としてマッチングさせる活動をすすめます。

キャリアと専門技術の教育はセットで、しかも早ければ早いほど効果があるので、アーティストの育成はもちろん、広く一般の皆様の生活を豊かにする教育をお届けしていこうと思っています。


◆さいごに

この5年はあっという間のようで、人生の大転換期でもある大騒動でした。
きっとこれからもそれは変わらないのでしょう。

まさか歌を一生やっていきたいだけの自分が、法人を代表するようになるなんて・・・20代前半の自分に言ったらどう思うだろう?

何を為すのも為さぬのも、選んだ道ではなく、その瞬間の自分自身の心が決めるものですね。

自分一人でできる部分と、自分では適切ではない役割が、この法人の運営を通じてようやくわかってきた気がします。
というか、周りに育てていただいたんだな、きっと。
初期から支えてくれているメンバーには頭が上がりません。

まだまだ為すべきことはたくさんあります。
感謝を忘れずに愚直に邁進してまいります。
そして、沢山のクレイジーな出会いを楽しみにしています。

どうぞ引き続きよろしくお願いいたします。


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ガリバー宇田川(アーティスト専門家)
メジャー経験のある現役シンガーで日本アーティスト協会代表理事。
アーティストの社会進出とキャリア形成の支援がミッション。
企業の採用コンサル、PR企画、講師育成などもおこなう。

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