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人生の選択肢を増やす

幼少期の教育の効果は、IQではなく非認知能力に表れるという記事を目にしました。

この記事を見て「なるほど」と思うと同時に、そもそも幼少期にこういう選択をできる両親がどれほどいるのか気になりました。

普段と違う環境を子に与える発想と、それができる経済的ゆとりがある家庭は、そう多くはない気がします。

それでも、子供からすると、目に映るあらゆるものが新鮮で特別な経験になり得るもの。

僕にとっては、幼少期の入院生活が自分の人格形成に大きく影響したと感じています。

あれが無ければ、今どんな大人になっていたのか想像がつかないほど大きな経験でした。

大人になった今になって役立っている能力は、
・事実を把握する力
・自分で決断する力
・選択肢を見つける力
・失敗を恐れない力
といったところでしょうか。

僕は人生には選択肢が無限にあることを幼少期から本能的に知っていました。

いま意図的に様々な環境へ踏み込んでいくのも、幼少期の環境がもたらした性質なのだと思います。

今回は、人生の選択肢を増やすマインドと、具体的なアクションについて書いてみます。


僕の幼少期の環境

まず僕の経験を先にお伝えしておきます。

僕は生死の境をさまよう大事故にあい、回復のために何度も手術を受ける日々でした。

小児科病棟には、仲良くしてくれたお兄さんやお姉さんが沢山いました。

意地悪してくるヤツもいて、大切なロボット型の時計を壊されてめちゃくちゃ怒ったり殴ったりしました。

僕の当時の言い分は、「怪我は治るけど物は壊れたら完全には治らない」でした。

もう戻らないことをしでかした罪は一生悔やむべきだいうドライで残酷な思いを抱いていました。

ところが、ある時、ずっと寝たきりだったお姉さんが亡くなりました。

思い返すと不思議なんですが、そのお姉さんは話すことも動くこともなかったのに、子供の頃の僕にとってはとても仲のいいお姉さんでした。

それが亡くなってしまった。
退院していく人が多い中で、治らないこともあるんだと知ったんです。

親は「お星様になったんだよ」と言っていた気もするけど、「そんなわけない。でもそう思うとラクかも。」と頭の中で呟いたのは覚えています。

当たり前に存在していた人の存在が消えるという現実を目の当たりにして、それが死だということを悟りました。

いじわるしてきたヤツも、その感じを察してか前より優しくなった気がするし、僕もぶん殴ったそいつに「痛かった?」とか聞いたのは覚えています。

それからは、車椅子で階段ギリギリで止まるチキンレースみたいなことをやって遊ぶ仲良しになりました。

…悪友ですね。


居場所は無限に作れる

病院内では決められた時間にベッドにいればいいだけだったので、自主性を発揮し放題でした。

それが、身体の回復とともに小学校や中学校の平均を求められる環境に進むにつれ、退屈に感じはじめました。

それでも、火曜と日曜日は剣道へ、週に何回かは塾へ、という生活があったおかげで、活動の範囲が広がりました。

どこかでうまくいかなくても、別の場所があれば切り替えられる。

そんな感覚を持てたのは良かったと思います。

これは今にも通じていて、僕は特定のコミュニティだけにドップリ浸かることに怖さを感じます。

自分らしくあるためにどこにいるべきかを、都度都度選べるようにしておきたいのです。

個人的に感じるのは、特定のコミュニティ内で生きるように強いられた環境だったら、僕の心はもたなかったと思います。

僕が何かするたびに、ほとんどの人が「もっと腰を据えてやりなさい」「何かを得るには何かを犠牲にしなければいけないんだよ」と言いました。

それは、やっていない人の言うこと。
もしくは、そうできない状況の人が言うこと。
「自分の生き方は自分でコントロールしてみせる!」と心に誓ってきました。

結果的に時代も変わって生きやすくなったし、その中で確信したのは、やることを増やせる人は少数派だということ。
そういう人は、誰に何と言われようと、やれるときにやれるだけやっていけばいいと思います。

そのうち手が回らない部分や優先度が低くなるものが出てくるので、そうなった段階で取捨選択すればいい。

多くの人は、初めから選択しなければいけないと思いがちですが、何が正解かも分からないうちに絞り込むなんて、相当危険なギャンブルです。


誰かが定義する個性が個性とは限らない

どこかのコミュニティで崇高に語られていることが、別の場所では平均だったり、その逆もあります。

僕らは自分が考えうる範囲や、周りに許容されうる範囲での個性を大切にしようとするから、あんまり突き抜けない。

だから、あるコミュニティで個性的だからといって、他でも通用するとは限らない。

個性が無いと悩む人は多いけど、個性というのは、ある環境の中で生きる上での自分の特徴や役割に過ぎないのです。

自分探しもそうかな。

だから、手っ取り早いのは、今いるコミュニティ以外の様々なコミュニティに身を投じること。

行く先々で、自分の役割を探して、作っていけばいい。
いくつあってもいい。
そのうちに、自然と軸ができてきます。

そのクセがついたら、あなたを面白がってくれる人たちと出会えます。

誰かに個性が無いと言われたり、自分で個性が無いと感じても、くれぐれも真に受けないで。

個性はいつでもいくつでも作れます。


心ない言葉がすべてじゃない

あなたのことを否定したりバカにしてくる人が多いなら、その環境はあなたには合っていないんだと思います。

簡単に言うと、あなたではなく、周りのレベルが低いんじゃないですかね。
僕は経験上そう思いますよ。

成長や改善のためにならない批判、逆に過剰な賞賛がある場は、自分には合っていないのだと思います。

ただし、逃げるのではなく、時には自分のためになることであれば進んで泥水をすするようなことも必要です。

ムカついても自分が伸びるなら踏ん張る。
伸びないなら逃亡かシャットアウトする。

出会いや人は無限にありますから、100人、1000人と出会いを増やす方が遥かに人生が豊かになりますよ。


議論は喧嘩じゃない

意見交換を対等にし合える関係って貴重なんです。
特に年齢や立場が上がっていくと、言い合える人はどんどん減っていく。

議論は喧嘩じゃないので、どんどんした方がいいんだけど、衝突を避けたい余りに、そういう経験が少ない人もいると思います。

人と意見が100%一致するなんてことは滅多にない。
だからそういう相手ばかり求めていたら、自分の交流範囲が狭くなっていき、気づけば井の中の蛙なんてことも。

「分かり合えない」と感じてしまうのは、議論ではなく同意を求めているから。

あなたに同意することを求めるコミュニケーションって、結構エゴっちゃってますよね?

異なる意見を伝えあって、自分の幅を広げることで、思いもよらない選択肢に出会えることもあるんです。


さいごに

もし今あなたが人生に行き詰っているとしたら、自分のこだわりや、誰かの教えが障害になっているかもしれません。

今すぐ踏み出すためのアクションをいくつか提案して終わります。

・交流会への申込み
・勉強会への参加
・趣味や特技を磨くレッスンへの参加
・昔の同僚や同級生との飲み会

怪しい集まりにはくれぐれも注意してくださいね!
幸運を祈ります。

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最後までご覧いただきありがとうございました!
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ガリバー宇田川(アーティスト専門家)
メジャー経験のある現役シンガーで日本アーティスト協会代表理事。
アーティストの社会進出とキャリア形成の支援がミッション。
企業の採用コンサル、PR企画、講師育成などもおこなう。
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