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新しい旅〜穂高養生園での7泊8日を経て〜

もう二週間近く経ってしまった。
穂高養生園で、橋本久仁彦さん、通称くにちゃんが守る、7泊8日の円坐に参加してきた。

今回、参加するに当たって、当然1歳の息子は同伴できず。
でも、彼へのサポート体制は、万全だった。
彼へのサポート体制が万全ということは、私が、私単身に戻り、思う存分に、その場に浸るためのサポートが、万全だということ。

大迫力の紅葉を、毎日、毎日、毎瞬、毎瞬、感じながら、過ぎ行く秋、近く冬を感じながら、見ず知らずの、だけど、、、とても、とても、ご縁のある方々と、過ごさせていただく、至極の日々。

窓からは、原生林が見えて。そこを登ったり、降りたりする、野生の猿たちがいて。もとい。私たちの方が、原生林の中にお邪魔しているのであり、野生の猿たちの場所に、佇んでいるのだ。

薪ストーブ。毎朝、5時半くらいに、養生園のスタッフの方が火起こしをしてくれて、そのまま、私たちが夜のセッションを終えて、しばらくホールにいる間、燃え続けている。ホールは、ほぼ全面ガラス貼りだから、夜は寒くて。ストーブの前は、女子たちのお気に入りの場所。

プログラムのないセッション中、2〜3時間。いろいろな種類の沈黙が流れる間も、薪ストーブの中で、薪が声を出す、その音だけが聞こえることもあった。

養生園の中でも、今回泊まらせていただいた、森の家は、電波も届かなくて、本当に自然の中。この道は、ご飯を食べに行く時、その帰り道。お風呂に行く時。そして散歩に行く時・・・深呼吸したい時・・・たくさん通る。

誰かが「夕方5時になって、もうあたりが暗くて、すごく心細い中、森の家に戻る時、この家のあかりと、煙突の煙が見えて。たった数日しかいないのに、あぁ、帰ってきた。みんながいる。と思って、すごくホッとしたの。」と言っていた。


自然の中で、ただ、ともにある。

それだけで、私たちは、家族になれる。

家族よりも、お互いを、ただ、感じ合える。

そんなひとり、ひとりに、出会えたことへの、感謝。

そして、その時間を、その関係性を、作らせてくれた、わたしの家族に、感謝。

もう、誰が、家族で、誰が、家族じゃないか、ということはどうでも良い。

原生林の中で、息絶えた猫を見た。狐が、その猫の内臓を食べたあとがあった。わたしは、その猫を、他の人が見えないところへ移動させて。その猫は、原生林に還っていった。

私たちは、みんな、ここからきて、ここへ還る。

その間の旅路を、ただ、楽しんでいるだけ。冒険をしているだけ。

楽しみ方は、ひとそれぞれ。
わたしの大好きな誰かのたのしみ方が、わたしのたのしみ方かというと、それは違っていい。
わたしの大好きなたのしみかたを、わたしの大好きな人が、大好きかというと、それも違っていい。
ひとそれぞれの、味わい方、感じ方、慈しみ方、愛し方があるけれど、その背後にある、「愛おしいと想う気持ち」それだけを、受け取り合いたい。

今回の穂高養生園の円坐は、前回までの10年間主催だった、西村佳哲さんから、鵜川洋明さんがバトンを引き継いだ、11年目。

ずっと気になっていた。
ずっと参加したいと思っていた。
でも、だから。今回でよかった。今回に、参加したかったんだ。
うーちゃんが主催の回で、本当に、よかった。

参加の前は、もやもやしていて。
息子のサポート体制も万全で、お金もなんとか用意できて、スケジュールももちろん開けているのに。危うくキャンセルするところだった。

8日間は、8日とも言えるし、2日のようにも感じたし、100日のようにも感じた。

みんなとずっと一緒にいるのが、当たり前のように感じた。そして、別れを間近にして、先に悲しくなり、泣いたり。そのあと、ふっと、離れてしまったり。

主催のうーちゃん、守人のくにちゃん、参加者のおひとり、おひとり。そしてわたし。全員で9名の、旅路。それは、ひとりひとりの胸の中にいきづく、たいせつな人たちの面影とともに。

秋の日差しが、日に日に深まって行くように。
旅路も、より深く。重なり合い、ひびき合い、寄り添い合うものとなっていった。

穂高養生園ではたらく、大切な古い友人とのことも、行く前、きっと引っかかっていた。正直、本当に、この時間に価値があるのか、わからないなぁとも思っていた。

なぜなら、このワークショップは、目的がない、非構成エンカウンターが元となり、できた、ものだから。

混沌としたものも、いっぱいあった。
わたしは、毎回泣いていた。
こんなに泣くのは、久しぶりだった。
久しぶりに会う友人は、以前、東京で、彼女の部屋で会っていたように、変わらない、でもちょっと柔らかく、大きくなった笑顔で迎えてくれて。

彼女の同僚たちが用意してくれる食事は、これまで食べたたくさんの美味しい料理の中で、一番、自然の恵みを、直に、芸術にしたような、エネルギーと、優しさと、遊び心に溢れた作品たちだった。

食べること。

それは、今回のメッセージの一つだった。

食べることに執着し、そしてそれがきっかけで、命を全うした、父。

なんだか二人きりの食卓が、さみしすぎて、笑わない母であるわたしを前に、食べない息子。

食べるということ。
いのちをいただき、作り手の趣向を味わい、そして自らとして行くこと。
その繊細性。その中にある、冒険。それを感じる感受性。よろこびとする力。

目の前にいる人が、全てだと思っていた。
目の前の出来事が、全てだと思っていた。
でも、違うんだ。
目の前の人の背後には、計り知れない誰かの愛情があって。
わたしの背中にも、いつも誰かの、応援がついている。

だから、二人きりなんかじゃない。
いつも、みんなと一緒なんだ。

「別れは 大事」

別れ、は、分かる。解る。

そう、別れるということは、わかる、ということ。

わからない、だから、一緒にいる。

わからない。だから、聴く。耳をすませる。

それでもわからない。だから、一緒にいる。

穂高養生園に。
7泊8日、くにちゃんと、うーちゃんと、、、、大事なみんな、みんなと。。。一緒にいられてよかった。

本当に、ありがとうございました。

そして、送り出してくれた、家族みんな、地域の仲間みんな。

ありがとうございました。

迎え入れてくれた、穂高という土地にも、感謝の気持ちが伝わりますように。

わたしは、わたしの、持ち場に、種をまき、水をやり、風から守り、慈しんでまいります。

「いただきます」に、おなじ響きを感じて。

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