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それでも映画の仕事を続けますか?

6月16日にアップリンクのパワハラ訴訟会見のニュースを見て以来、本当に鬱々としたもどかしい気持ちでいる。
映画業界で働き始めて十数年の私は、正直、原告側にも被告側にも感情移入してしまう。
だから、どちらの立場にもなれずもどかしいのだ。
もちろん今回、顔と実名を出してまで訴えた元従業員の方々は物凄い勇気だと思う。
自分がしたくても出来なかったことをしてくれている勇者のように見える。
心から敬意を払いたいし、どうにか納得できる勝利を手にして頂きたい。

その反面、雇い主の被告側の厳しい経営状況、映画文化を守りたいという情熱に対しても、共感、同情の目を向けてしまうのも正直な気持ちなのだ。

これから先は私、一個人の意見である。

まがいなりにも映画業界に十数年いて心から実感することは、
映画業界はまともな暮らしがしたい人が入るべき場所ではないということだ。
本当に、言い尽くされた一般論しか言えず恥ずかしいのだが、それに尽きてしまうのでしょうがない。

悲しいけれど、映画の仕事なんて道楽でやるようなものだと私は思っている。
お金儲けなんてできっこないし、ちょっと儲けられたとしても、その金は今までの借金返済にあてられ、残りは次の映画作りに使用される。そこで大コケしたら結局またマイナスに戻るのだ。

そもそも映画なんて、ギャンブルだとさんざん言われてきた
ヒットするかどうか、勝つか負けるかは公開するまで誰もわからない。
それを人生をかけてやろうとしてるのが、映画人なのだ。
まともな人間なんているわけない。

それでも何とか生きていかなきゃいけないので、色々工夫してみんな凌いでいる。
制作現場のスタッフはドラマやCM、広告の仕事を掛け持ちする。そこそこ名がある人は学校の講師なんかもしてたりする。
映画の製作や配給会社は、映画以外の業界からも金を集め、映画興行以外のグッズやDVDなどの売り上げでどうにか元が取れるように帳尻合わせをする。
宣伝などの下請け会社は薄利多売で、引き受ける作品量をとにかく増やしまくり、従業員にやりがい搾取することで何とか経営を保とうとする。
劇場はジュースやポップコーンを売るために四苦八苦だ。
メジャーの映画会社だって、映画部門はほんの一部で、売上の殆どは不動産だったりする。
あらゆる努力をしまくって、働きまくって、にもかかわらず、みんながみんな、ほぼ貧乏。
映画のために搾取される気満々の人たちの集まりで成り立っているのが映画業界なのだ。

狂ってるし、情けない。
映画業界に長くいると、それが当たり前になって思考停止して、何も疑問にならなくなってくるのだ。
パワハラも、長時間労働も、低賃金も。

(パワハラが横行する理由は、過労によるストレスや余裕の無さもあるだろうが、上の人が下の人にパワハラする事でその人が映画の仕事を続けられるか、その覚悟を試してるようなところがある。中途半端な覚悟で続けられたところで、お互い苦しむことになる。だから映画を続けられるかは優秀さより映画に対する忠誠心の方がよっぽど重要になる)

本当なら、そんなの全部間違っているはずなのに、声を上げてダメだと言うべきなのに、
そんな事を言ったら、私たちが今まで必死に守ってきたものが、作り上げてきたものがガラガラと崩れて無くなってしまうような気がして言えないのだ。
それくらい、映画業界は貧弱で、脆い。
それにも関わらず、映画を愛する人間は、その現実を直視せず、映画という幻想に、夢や希望を託し、神のように崇め、身を削り、金を貢ぎ、必死に守る。

私たちはそこまでして、一体何を守ろうとしているんだろうか?

私は答えを出せていない。ずっと悩んでいる。アップリンクが告発される前からずっと。
映画業界が変わって欲しいという熱望と、どうせ変わらないだろうという諦めが渦巻いている。
そもそも私たちが作り上げてきたこの映画産業の仕組みは、現在の日本の経済状況ではすでに成り立つものではないのかもしれない。
そう言ったところもすべて含めて、映画業界にいる人間はいつも矛盾やジレンマを抱えて働いているように思う。(個人的には必死に変わろう、変えようとしている映画人も少しずつ増えているようにも思うのだが・・・・)

そんな中、新型コロナウィルスが発生した
映画業界で働く友人は先日、所属する会社から来年3月までの社員全員の減給を言い渡された。もちろん役員も全員減給。誰も文句を言えない状況を作っている。
私が所属する会社も、いつそうなるかわからない。

結局私たちはまた、問われるのだ。
それでも映画の仕事を続けますか?
映画業界にいる限り、私たちは映画に対する忠誠心を常に問われ続けるのである。

映画は宗教だ。
心酔しきっている人は、だいたい目がイッている。