見出し画像

「教員」という手段を辞めた理由

生きていく上で大切にしていきたい価値観を掘り下げる。
ここでいう大切にしていきたい価値観とは
『あり方(Being)』である。

私の場合、過去の体験、出会ってきた方々の体験をもとに、大切にしたい価値観をたくさん出した後、大きく5つに分類すると

「感謝できる人でありたい」
「楽しむ人でありたい」
「チャレンジできる人でありたい」
「自分らしさを表現する人でありたい」
「ゆとりを持つ温和な人でありたい」

そんな『あり方』を望んでいる自分がいた。自分の人生の目的にあたるものである。上の望んでいる「あり方」は自分の「内側」にベクトルを向けたもの。
では、自分の「外側」にベクトルを向けたものは何につながるか。それが「仕事」である。周囲の人や社会をどんな状態にしたいかということ。自分自身の望む「あり方」それを「周りにも届けたい」と一本の線で繋がれば、納得感をもって仕事ができる。私が社会に届けたいと思い選んだもの。それが「自分らしくあってほしい」であった。

しかし

「公立学校の先生」という「手段」ではその目的を果たすことの難しさを痛感。それを望めば望むほど、違和感が生まれる。いくら嘆いても今の自分の力(立場)では到底及ばないこともたくさん。
#大臣の立場ならできるんかな!?

やらなければならないことの多さで時間に追われる。
#夕方にトイレへ1回も行ってないことに気づく

クラスの人数の多さで目が行き届かない。すると、落ち着いて気持ちに共感することができなかったり、指示ばかりになったりと…
こっちの都合で怒ってしまった後は
「あぁ~・・・」とため息がでる。
自分にゆとりを持つことの大切さを痛感する。そのゆとりを持って仕事をするために「適当に仕事をする部分」と「想いを持って仕事をする部分」は大きく分けていた方だとは思う。
#適当部分が多かったけど

「自分らしく働いてほしい」というのは他の先生方にも思っていたこと。それぞれの良さが出ると絶対面白いやろうなと思っていたので、主任のときにはできるだけそれを引き出したいと、学生時代の反省を生かしながら仕事をしていた。ということで、「自分らしく」を伝えたいというのは子どもだけでなく、大人にも思っていたこと。
#というよりもまずは大人やね

大切にしたい価値観を仕事にするため、その仕事の目的は変わらず、「公立学校の先生」という手段を変えて仕事をしようと思い、
「自分らしいイキカタを考える学校」
をやってみようと思いました。

そう考えると子どもに「将来何になりたいの?」という質問は危険な質問なのかもしれない。手段であるはずの職業名が知らず知らずのうちに目的になってしまう。いや、そもそも目的が無いまま仕事をしていることって少なくないように思える。もちろん、それが悪いとわけではなく、批判するつもりもない。ただ、少なくとも私は生き生きと働きたい!でも、こう言うとみなさん思っていることあるでしょ。

「生活できるの?」って。

もちろん心配な部分はいっぱいあるんです(*^。^*)だからこそみなさん・・・・・・

助けてくださ〜い(*´ω`*)

・・・・・・・・・・・・・・・

ちなみに「自分らしいイキカタを考える学校」の2日目のプログラム「コンパスワーク」では、自分の価値観を掘り下げるワークをします~!

まだ、深く掘り下げたことない人も、一度は掘り下げたよという人も今のこのタイミング。そして、感情を開放できる場所やプログラム。さらに、参加メンバーの力を借りながら自分が大切にしたいことを見つめませんか。

自分の「あり方」が見えたとき、自分の「生き方」が見えてきます(^^)/
プログラム詳細はこちら
https://school.warau-otona.fun/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?