見出し画像

「偏向報道」と「メディアリテラシー」

コミュニケーション論II課題
本レポートは、朝日新聞の2019年11月9日朝刊13頁にある『真山仁のPerspectives:視点 7.ジャーナリズム』というコラムを読んでのエッセイとなる。記事を通して、私なりのマスメディアとメディアリテラシーに関する考えを徒然と書いたものになる。  

 
 本記事は、ジャーナリズムをテーマとしたシンポジウムに参加した一人の女子高生と筆者の真山仁との出会いから始まる。ジャーナリズムに関心のある21人の高校1,2年生がその後開かれた勉強会に参加していて、マスメディアの信頼性について議論を行う。その中で、大きな流れは「偏向報道」についてと、「メディアリテラシー」についての二つの視点から語られた。
偏向報道については、「伝えたいことをカスタマイズし読者を誘導して」いるのではないか、また「筆者の意見が入っている」など記者の主観の介入による問題が指摘された。私は、記者の主観というのはむしろ入ってしかるべきではないかと考えている。もちろん、記者の主観や思い込みにより事実が曲げられて報道されるようなことがあればそれは問題だ。しかし、記者の問題意識や問題への切り口、語り口があって初めて良質な記事は生まれる。これは、記者の強い信念や問題意識、つまりは主観的意見がなければ成立しないものだ。しかし、その問題意識が著しく個人的なものに偏ってしまったり、特定の信条や主義主張に傾倒してしまったりしては、大衆のためのメディアとしては成り立たなくなってしまう。この塩梅を見極め、ジャーナリズムが暴走しないようにチェックし制御するシステムは、長年メディアとして歴史がある新聞やテレビなどの組織のほうが堅牢であり、機能するものだろうと私は考える。
 また、メディアリテラシーについても言及がされていた。曰く、反権力の立場の読者は、権力者が伝える情報を、そのまま伝えただけで「偏向だ」と決めつけ、現政権を是とする人からすると、反権力的な報道はすべて偏っていることになる。ということだ。このような多くのメディア批判は、自分の問題をメディアに責任転嫁しているのだ。メディアとはすべて構成されたものである。構成されている以上そのメッセージには主観や意図が入る。この当たり前のことを認識するだけで、メディアリテラシーは飛躍的に向上する。
 前にある役者さんが、私にとって「いい仕事」とは「いい本、いい役者、いいスタッフ、いいオーディエンス」の五つが揃う仕事だと言っていた。私は、これはエンタメだけでなく、ジャーナリズムでも同じことだと思う。この格言の本質は、受け手側も優れていなければいいものは生まれないという部分だろう。たとえ、「いい本、いい役者、いいスタッフ」が揃っても、「いいオーディエンス」がいなければ完成しない。メディアリテラシーは、ジャーナリズムを完成させる上で非常に重要であると私は考える。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

1