見出し画像

抜書き:宗教と宗教学のあいだ チャールズ・H・ロング 荒木美智雄 リチャード・A・ガードナー ほか

序論 チャールズ・H・ロングの思想–新しい共同体への展望 by リチャード・A・ガードナー

第1章 航路と祈り−大西洋世界における宗教の起源  by チャールズ・H・ロング

第2章 時間の身体と空間の癒しー宗教・時間性・衛生 by チャールズ・H・ロング

アメリカでの奴隷時代、すべてを奪われて船に乗せられた黒人達は、アフリカの文化と奴隷環境から、アメリカの黒人共同体文化を紡ぎ出した。
躰こそが聖地であり、アメリカ時間とは別に、今ここに流れる時間、リングシャウトに流れる円の時間、沈黙の時間を共有していた。

第2章 時間の身体と空間の癒しー宗教・時間性・衛生 by チャールズ・H・ロング
「ビラヴド」でトニー・モリスンはベビー・サッグスの説教の様子を描く。

「彼女はこの人々に、自分たちの生活を潔よとか、行け、二度と罪を犯すな、などとは言わなかった。この人々に彼らがこの世で祝福された者であるとか、地を受け継ぐべき柔和なるものであるとか、神の栄光を見るはずの心清らかなる者であるなどとは、言わなかった。彼女はこの人々に、彼らが手にすることのできる唯一の恩寵は、彼らが想像することのできる恩寵なのだと告げた。彼らがそれを、見ることができないなら、手にすることもないだろうと。

「ここでは」と彼女は言った。「ここ、この場所では、私たちは生身の躰。泣き、笑う生身の躰。素足で草を踏んで踊る生身の躰。それをいつくしめ。強くいつくしめ。あそこでは、あの人々は、あなたがたの生身の躰を愛さない。あの人々はそれを軽蔑している。あの人々はあなたがたの目を愛さない。愛するどころか、抜き取ってしまいたいと思ってる。あなた方が体にまとうその皮膚だって、愛していない。あそこでは、あの人々は、その皮膚に鞭を当てるのだ。その上、おお、私の同胞よ、あの人々は、あなた方の手を愛さない。その手をあの人々は、こき使い、縛り上げ、くくり、斧で切り落とし、虚ろなままに、捨ておくだけなのだ。あなたがたの手をいとおしめ!いとおしめ!手を上げて、それに接吻するのだ。その手で他の人に触れるのだ。その手を合わせて叩いてごらん。その手であなたの顔を撫でるのだ。あの人々はその顔も愛しはしないのだから。アナタこそ、その顔を愛さなくてはならない。アナタこそが!」

「これが、ここで私が話している生身の躰の意味なのだ。いとおしまねばならぬ生身の躰なのだ。(中略)だからこそ、あなたがたの首をいとおしめ。(中略)そして、あなたがたの内臓(中略)黒い黒い肝臓、それをいとおしむのだ。そして心臓の鼓動を、鼓動している心臓、それもいとおしめのだ。目や足よりもいとおしむのだ。これから先も自由の空気を吸い込む肺よりももっと。命を宿す子宮よりも、命を与える性器よりも。聞くがいい、もっと心臓をいとおしむのだ。なぜなら、これがいちばん貴い宝だから。」

(「ビラヴド」ではなく  「宗教と宗教学のあいだ 」から)

いま、グローバル世界は総奴隷化社会とも見える。
クロノスな時間ではない、カイロスの時間、そして自身こそが愛おしき聖地(生地,生成智)なのだ❣️

第3章 奴隷制の遺産と二十一世紀への展望 by チャールズ・H・ロング


第4章「ポスト世俗主義時代における民主主義と宗教の政治的位相」by アシス・ナンディ

p141
インドの宗教は、植民地としての経験によって他にも変化を生じた。西洋と植民地支配下で出会ったことで、インドと「南」の地域の主な宗教には、精神分析学者が「攻撃者との同一化」と呼ぶ反応が生じた。すなわち自らの宗教伝統をプロテスタンティズムの「鏡像」へと再編しようとする宗教指導者が現れたのである。別の言葉で言うなら、彼らは自らの宗教を近代と国民国家と産業資本主義に適合するように作り直したのだ。近代に適合するための宗教改革と言う同様のプロセスは、直接的な植民地にはならなかった。日本にも見られる。
(中略)
ラーマクリシュナ、ヴィヴェーカナンダ、、などの宗教改革者を輩出したこれらの運動が伝えた信仰体系は一握りの人々にしか受け入れられなかったが、改革運動は宗教文化全体を変容させた。今日、南アジアの都市部の中産階級が信仰するヒンドゥー教や仏教は、かなりの部分が近代になって作り替えられ、新しい包装紙に包み直された信仰であり、100年余りの歴史を持つに過ぎない。私はこれらの新しく作り替えられた宗教運動の多くは、「信仰としての宗教」ではなく、「イデオロギーとしての宗教」だと理解するようになっている。

p146
「世俗主義」という言葉について、インドでは2つの理解があることを強調しておきたい。1つ目は、世俗主義に関する一般的な西洋的理解である。西洋的理解における世俗主義は、宗教上の信念や実践は、公的生活の一定の領域、とりわけ政治の場には、持ち込まれるべきではないと考える傾向がある。このような見方からすれば、政治に参加しようとする宗教は、どこか疑わしいものと見られることになる。
もう一つの理解、すなわち伝統的な宗教共同体の他の見方を反映した理解が存在する。こちらの理解では、公的生活には「様々な宗教的伝統の間で、また、信仰を持つ人と世俗的な人の間で、対話を続ける場がなくてはならない」と考える。そのためには必然的に「各地の主要な信仰は、自己批判のために、また、超越の理論の多様性を心に留めるために、異なる信仰を、それぞれの信仰の内にあるものとして考える」ことが課せられる。私はこれこそがガンディの選択した世俗主義理解だと思う。さらに、世俗主義をこのように理解することは、先に述べたような「前近代インド」の宗教共同体が昔も今も宿している宗教的寛容性から、我々が学ぶ助けにもなりうる。
(中略)
伝統的なインドの宗教共同体は、ヒンドゥ教のような全土を覆う宗教的イデオロギーには属さなかった。むしろ地域的な儀礼や習俗に近かった。
人々が複数の宗教的アイデンティーを持つこともよくあった。例えば1911年の国政調査で、二十万人が自らをイスラム派ヒンドゥ教徒と申告したのは、信仰としての宗教の表れである。同様にラージプート族の伝統的な共同体では、人々は皆、ヒンドゥーとイスラム両方の名前を持っていた。インドの各地で人々はヒンドゥー教徒であると同時にイスラム教徒であり得たのだ。

p151
宗教の再登場は不可解だろうか。人間の理性や世俗主義や科学技術が無限の力を持つと言う「信仰」や「信念」を損なう出来事は数多く生じている。あらゆる神秘や霊性を追放する企てに伴い、成熟した消費社会に生きる孤独な群衆を包む、個人主義の貧しさは増す一方だ。不当な暴力は増加の一途をたどり、生命の尊厳の低下は、戦争や暴力や拷問に現れている。開発と進歩の名のもとに続く環境破壊は、将来世代の生命システム脅かしている。

p155
アスマ・バーラスは、世俗主義と近代が世界の多くの人々にとってどのような経験であったかを適切に言い表わしている。
「例えば、近代は西洋に資本主義・産業の発展・議会制民主主義の恩恵をもたらしたのに対し、世界の大部分には.植民地化・奴隷状態・経済破壊・軍事政権・貧困の悪化・先住民の絶滅・文化的疎外をもたらしたのだと言えるだろう。同様に、宗教の専制と言われたものから人間を解放した世俗主義は、目的を抱いた論理的主体としての自己意識への、疑いをもたらした。したがって、一部の人々が自由と受け止めたことを、他の人々は喪失として経験したのである。」
つまり、近代の世界や「進歩」という言葉は、世界の多くの人々にとって、西洋諸国や進歩や経済発展や世俗主義が少なくともある面で大きな恩恵をもたらした国々に暮らす人々とは、まったく異なる意味を持つのだ。

p156
キリスト教がアフリカ系アメリカ人の共同体に実質的に押し付けられた事は、誰も否定できない。しかし、解放を求める気持ちや苦しみと折り合うために、キリスト教を用いることで、彼らはこの宗教を自分たちのものにした。

あえて言うならば、近代世界でキリスト教が最も創造力を発揮した成果は、アフリカ人やアフリカ系アメリカ人が作り上げた解放の神学だと私は考えている。

p160
しばしば不寛容な、イデオロギーとしての宗教は、西洋との出会いや植民地の体験、また、独立後に近代国家が成立する過程で現れた。ヒンドゥ教やイスラム教の本質や普遍的形態を突き止め定義しようとしたのは、19世紀から20世紀の西洋の学者であった。植民地の行政官も、キリスト教以外の信仰を単一のものとして定式化しようと努めていた。土着の宗教をヒンドゥ教やイスラム教のように、中央集権的に組織化して定式化することで、植民地経営が容易になると考えていたのである。アジアやアフリカでは、多くの信仰者が宗教のこのような再定義を受け入れ、イデオロギーとしての宗教が現れる土台となった。
だが幸い多くの人々は、西洋の学者や植民地支配者、様々な形のイデオロギーとしての宗教の指導者や、世俗主義を奉じる政治家が望むやり方で、宗教を信じねばならないとは思っていない。信仰を持つ人々のほとんどにとって宗教は、定期的に儀式に参加したり、ささやかな習慣を守ることである。そのような人々が宗教を語る際に思い浮かべるのは、哲学的ではなく、教養のある信者は戸惑うことも多い、単純で生活に目指した信仰である。おそらくこのような慎ましい宗教的実践は、神聖化された世界や生命の神聖さに対して、人間が生来備え持つ、尊敬や賛美の気持ちの表れなのではないだろうか。世界の神聖化や生命の神聖さに対する尊敬の念は、他者の宗教的信仰やその価値観に基づく共同体への寛容を自然的に伴うようだ。

しかしながら、世界の多くの部分を占める近代国家は、中央集権的で組織化された宗教を好み、地方に分散したいわゆる「民間信仰」に対抗してきた。19世紀後半から20世紀初頭の日本にも見られたように、多くの近代国家は宗教を統制し、組織化するために多大な努力をしてきたのである。年齢を重ねるにつれて、宗教の研究に対する私の関心は、無教養の正典的でない、地方の宗教、普通の人々と日常生活に「汚された」宗教へと向かうようにになっている。


第5章 宗教学と植民地主義〜宗教の問題としての西洋
by 村上辰雄

p173
植民地主義に関する従来の言説では、植民者と被植民者間の影響は基本的に一方向とされていた。すなわち、被植民者(非西洋)は、植民者(西洋)の影響を深いレベルで受けたが、被植民者あるいは植民地状況自体が植民者に及ぼす影響は、とるに足らないかのように語られてきた。直民者側は、植民地に赴任した役人も、移住した農民も、植民地と本国の間を行き来する商人も、本国に住む資本家も、それぞれの仕事を粛々とこなすだけで、被植民者とは仕事上で関わるが、自分たちの内面までは影響されていないという体裁を保とうとしていたのである。しかし、先に述べたように植民地状況は二者の相互関係の上に出来上がってきたものであり、片方がまったく影響を受けないとは考えにくく、ここには真の関係性の隠蔽が見てとれる。
中略
例えばアメリカ合衆国建国の父の一人と称されるトマス・ジェファーソンと女奴隷サリー・ヘミングスとの親密な関係については、アメリカにおいて、未だに公然の秘密のように扱われている。ロングの見解によれば、この件に関する一番の問題は、サリーヘミングの子供の実の父親がトマスジェファーソンであったかどうかではなく、アメリカが「こうした親密さを正当と認める場所を持たず、それを本物として語る言葉もなく、それを周りに知らしめる創造的な方法も持たない」ことである。そして、植民者と被植民者の関係は、抑圧とともに親密さも含んだ非常に複雑で両義的なものであったと認めることから、植民地主義の本当の反省を始まるとしている。

p178
植民地状況における伝統の再解釈を、混沌な中から新しいオリエンテーションを見出す試みとして捉える視点は、本書でロングが取り上げているアフリカ系アメリカ人の共同体の例にも現れている。
ヨーロッパやアジアからの移民が過去や伝統から「自由」になることを求めて「自由の国、アメリカ」へやってきた時、アメリカの建国に多大な貢献をしたアフリカ人奴隷は、最も自由のない環境に置かれていた。アフリカ人奴隷にとってアメリカは「不自由の国」以外の何物でもなかった。そして、その不自由な国で唯一自由を得る方法が、自身の過去や伝統に回帰することだった(リングシャウトやまじない)。
アフリカ系アメリカ人にとって「解放」とは過去や伝統からの解放ではなく、自分たちの過去や伝統の中に「自由」を発見していくことであった。このようなロングの分析は、アフリカ人奴隷の自由の問題を、過去や伝統からの解放という従来の自由の概念ではなく、伝統の再解釈という視点から捉え直しているのである。

この一世紀で、キリスト教の重心は南へと、アフリカ・アジア・ラテンアメリカへと移行してきており、すでに、今日最大のキリスト教共同体はアフリカやラテンアメリカにある。今日の典型的なキリスト者のイメージは、ナイジェリアの村やブラジルのスラムに生きる女性の姿である。
我々は、生きている間に、西洋キリスト教の時代の終焉と、「南」(非西洋)のキリスト教の時代の到来を目の当たりにするであろう。

=

皮肉にも、北米インディアンに出会ったバックラッシュで、西洋的な発展アイデンティティが生まれたのかもしれない(万物の黎明)が、まさに相互に影響しあうのがダイナミックで相生成する。

第6章 オウム真理教と、マンガとアニメをめぐるパニック by リチャード・A・ガードナー

マンガ、アニメ、バーチャル・リアリティーをめぐるこのような議論は、人々が問題のある他者に対して抱くイメージの一例と捉えることができるだろう。問題のある他者は、多くの場合、狂っているとか分別のないものとされる。ときにはカルト、マインド・コントロール、バーチャル・リアリティーなどのより洗練されて見える用語が、狂気と言う言葉の代わりに使われたり、狂気の説明に用いられたりする。このような他者理解は、「未開」人は「文明」人とは異なり、言葉と対象物や象徴と現実などの区別ができないとした19世紀から20世紀初頭の原始心性の理論に相当するものだと言えるだろう。

日本人の多くは、明治以降、キリスト教徒でないにもかかわらず、キリスト教徒の目で、自分自身の内面に問いかけてきたという、笑うに笑えない状態が、そこから浮かび上がってくるだろう。キリスト教的な世界観に立って、非キリスト教的な心の内景を眺め、イエス、ノーと条件反射的な返答をしてお茶を濁してきたのである。我々は、外国人の宗教観のまなざしで、日本人の心の奥を観察してきたのだ。

第7章 新たな対話の共同体の創出 by ローレンス・E・サリバン

現れつつあるグローバル世界において、新たな対話の共同体をいかに創出するかが、重要な鍵となる問いであると、私は考えている。そしてその答えは、あらゆる対立する2項の「あいだ」の空間において見出されるであろう。世界や他者をどうやって救うかを決める前に、自分たちがどこ行くべきか決める前に、自分が何者で、今どこにいて、どこから来たのかを、もっと深く省察する必要がある。結局のところ我々は、グローバルとローカルの両方の場で、新たな共同体を作り出そうとしているのだ。そして、変化は自分の足元から始まるのだ。

第8章 過去を振り返りつつ、未来に目を向ける by ローレンス・サリバン

今日人々は、アメリカでも、日本でもまた別の国でも、あまりにも表面的に「グローバル化」を口にする。あたかも、企業が国際化し、海外旅行者が増えれば、自動的にグローバル化するかのように。だが、私自身はその考えに同意しない。どこへ行っても、基本的に同じ同質な文化を、世界が必要としているという発想には反対する。異なる社会がそれぞれ異なる社会の文化を持ち続けるよう願っている。しかし、他の社会はなぜ自分の社会とは異なる思考、行動様式を選ぶのか、把握する能力を培う事は、非常に大切だと思われる。そして、異文化理解の中心は、宗教と、人間が世界と向き合う精神的態度の多様性の理解であるという、エリアーデの主張は正しかったと思う。エリアーデは、新しいヒューマニズムに関する論文の中で、新しいレベルの異文化間対話が生まれる最前線に、宗教学者たちが立つよう望んだ。対話がー抽象的でなく、具体的な歴史的状況の問題を視野に入れた対話がーより平和で持続可能な世界の形成に不可欠なのである。


第9章アジア学院 by リチャード・A・ガードナー

ともに生きるために
分かち合いとは単に話し合うだけではなく、周りの環境と調和しながら汗を流してともに働くこと、ともに食べ物を生産すること、またそれをともに消費することを意味する。また、分かち合いとは、こうした労働・生産・消費の過程、すべてについて考えることでもある。例えば、土や動植物や昆虫などの自然と、人間の共生のあり方について考えていく。アジア学院の研修プログラムは、人間の生命及び共同生活にとって欠かせない「食物」や「分かち合い」を神聖なものと考える、古来からの精神を呼び覚ますものでもある。こうした思想は、学院の基本思想を打ち出すために作られた「Foodlife(食べ物といのち)」という概念によって、さらに発展を見せている。

第10章 グアダルーペの聖母と2種類の宗教経験 by ダヴィ・カラスコ

私は、グアダルーペ信仰の起源において、先住民とメスティソの心の中で
が働いている側面があることを主張するに至ったのである。すなわち「新世界の混乱を知る。」「植民地支配者を観察する。」「キリスト教の2重の意味を発見する。」「創造的な抵抗を学ぶ。」「自分たちの利益のためにヒエラルキーを活用する」
植民地支配を受ける人々は、社会的・宗教的ヒエラルキーを自分たちの利益のために活用する方法を見出す。
グアダルーペの伝承で明らかになったように、カトリック教徒になろうとするインディアが学んだものは、インディオが劣った存在だという社会的メッセージは嘘だったということである。最後の場面で自由なのは、ファン・ディエゴは立ったままで、司教がひざまずいていることが、これは、それまでの出会いの際とは逆の姿である。

第11章 宗教学と先住民的価値観 フィリップ・P・アーノルド

あらゆる宗教研究において必要な、研究方法の重要な転換について論じる。その転換には、エリアーデが「新しいヒューマニズム」として指摘した点が含まれる。すなわち、他者の宗教を研究することが、自分たち自身を変える可能性を、特に自分たちの価値観や学問の目的の設定を変える可能性を、受け入れる必要があるという点である。つまり、先住民宗教は、単なる研究対象ではなく、我々に多くを教える存在なのだ。

p331
技術的解釈的アプローチから、協力的アプローチへ
先住民宗教の研究は、技術的ないし、会社的な方法から協力的な方法へと転換する必要がある。このような方法論の転換は全く新しいものではなく、人類学民族学及び宗教学のルールにおける近年の格的進展の上に気づかれ、それをそれが発展させたものである
他社の宗教をどのように記述し解釈するかと言う方法論的な難問が、知的生産の専門家モデルから協力的モデルの転換によって、いくらか解決の方向に向かうということである。私は小野だが、何を信じ、どんな例を行うかとは問わない。そのようなと言う彼らが最も尊重する文化的秘密を強引に作り出す行為と受け取られるだろう。このような問いの代わりに私は、「互いに関心のある最も切実な問題は何か?」と尋ねる。これは方法論の重要な転換である。また一方でこの方法は、自分は何を知りたいのか、自分自身の切実な問題を設定する力を要求する。そして、議論と行動と言う協力のプロセスを通じて答えを見つけ出す。ハウデナサウンにも、他の先住民も、もはや私の情報提供者インフォーマントではない。切実な問題の解決が新たな道をもたらす私の協力者である。

p342
近年、我々の経済を「グリーン(環境に配慮した)」な物に再編成すると言う議論が盛んである。そうした取り組み自体には何ら依存はないが、「グリーン」になるとは、単に経済的・政治的・技術的な構造転換に過ぎないかのように語る指導者がいる。しかし、「生存のための価値観の転換」と言う視点から捉えるなら、文化的優先事項の根本的転換が必要であることは明白だ。生存のために進むべき道を「グリーンと定めるならば、現在の危機へと我々を追い込んだ価値観とはどのようなものであったかという切実な問いが生じる。我々がいま急ぎ採用する必要のある新たな「グリーン」の価値観の対極にある文化的・宗教的思考とは何だったのか。私は差し当たり、それを「侵略者」の価値観と呼ぶ。この2つの価値観の区別が、今まさに重要である理由は、様々な組織や企業が「侵略者」の精神構造を引きずったまま、「グリーンになるになる」というレトリックを利用する風潮が強まっているためだ。

「侵略者」の価値観は、アメリカや日本のような文明的な消費社会が、自然界をどのように扱い搾取してきたかにだけ現れているのではない。この価値観は、植民地支配や先住民に対する不当の扱いを、宗教的正義経済的に正当化する価値観として、世界中で使われてきた。先住民に対する不当な扱いの背後には「文明的な」、植民地支配者は「未開の」先住民よりも優れているという単純な仮定があった。「文明人」はそれゆえ「未開人」を教育する義務を持っていると言うのである。例外はあるが、基本的にそれは「文明人」が「未開」の先住民から学ぶ事は何もないという事でもあった。おそらく我々はそれを逆転するときに来ているのだ。おそらく「文明人」はオノンダガのような「未開」の「先住民」から学ぶことがあるのだ。

実際の歴史を振り返れば、チャールズ・ロングが指摘した通り、ヨーロッパからの移民の生存はしばしばネイティブ・アメリカンに完全に依存していた。「未開」の先住民抜きでは、今日のアメリカ「文明」は考えられないのである。そして今、侵略者の価値観によって、人類全体が破滅の危機に追い込まれている時、我々は生存のために、新たな「グリーン」な価値観を取り入れることを余儀無くされている。「文明」が「未開」に手を差し伸べてもらう時が再びやってきたのである。今まで我々はあらゆる手段を尽くして先住民とその世界観の価値を減じようとしてきた。しかし現在、我々の生存は、先住民の価値観を自分自身のものとして受け入れられるかどうかにかかっている。「先住民的価値観イニシアチブ」は、このアメリカ社会の「グリーン化(=先住民化)への、ささやかな宗教学的アプローチであると私は考えている。

第12章 先住民宗教の重要性 カナダからの提言 by ジェニファー・リード
ミクマクの事例から

第13章 周縁性の創造力  荒木美智雄の民衆宗教論 by 宮本 要太郎

第14章赤岩栄とキリスト教の日本土着化 by 荒木美智雄

第15章 宗教学から見た「水俣」ー 個人・社会・環境世界における「身体」の癒し ー by 谷口智子
人間は自然の完き一部である。したがって、自然を壊すことによって、人間は人間自身を滅ぼすのだ。

「山の森林は、海の生き物を育てる。だから、魚を捕る漁師は海だけでなく、山も大切にしなければ」と自身をとりまく自然環境とそこに生きる生き物すべてを大切にする杉本栄子の感覚は、まさに「宗教的人間っての感覚であり、しかも水俣の民衆の宗教感覚であった。

長い年月がたってやっと納得したんです。父の言う、水俣病ものさりと思えとは、何があっても人を恨むな、いいことも、悪いことも、天からの授かり物と思え、悪いことも積極的に受け入れろ、という意味だったんです。

まさにそれが栄子にとっての「宗教体験」だったのだ。魚がコツコツ船を叩いて「捕ってくれ、私たちを食べてくれ」という音。栄子が「水俣の漁師として生きよう、生を全うしよう」と決意した、生命のほとばしる瞬間だった。

杉本栄子が病んだ個人・社会・環境世界の回復のために家族と共にやってきたことは「もやいづくり」である。まさに一度断ち切られた秩序、絆を再び回復し、再び結び直す、という宗教の原義にふさわしい。失われた身体の秩序の回復(健康)、そして断ち切られた共同体や社会の絆の回復(もやいづくり=結び直し)。栄子がそのために具体的に行ってきたことは主に6つある。
①自分たちの身体を治すこと
②身体を治すために、無農薬無添加の食品を作り、それを生活の糧にしたこと
③胎児性水俣病患者を自分たちの宝子と思い、生きる手助けをしたこと、
④水俣病と言う悲劇を起こさないよう若い人に伝えるために、語り部になったこと、
⑤断ち切られた共同体や社会の輪を再び結び直すよう、「もやいづくり」「もやい直し」を始めたこと、
⑥水俣で犠牲になったすべての魂(人間だけでなく、魚を含めた生物すべて)の鎮魂、

このプロセスは、すべて個人・共同体・社会、環境世界という「身体」の3つのレベルにおける、水俣病の回復・癒し・救済の物語である。

第16章 例外の秘める可能性 ー宗教学にとっての先史時代の日本の意義 by ウィリアム・R・ラフルーア

豊かな狩猟採集社会だった縄文時代は、貧しい農業社会を選ばなかった

グローバルな人類文化を、あたかも西欧が引っ張ってきた感じで、歴史観や文明観が形作られてきた気がしていたけれど、蓋を開けてみれば、アフリカ〜黒人だったり、メキシコ〜ラテンだったり、「接触の認識論」の流れから生まれた新たなヒューマニズムが、未来の共同体の文化となっていくのだと実感する。(万物の黎明もそうだ。宮大工的な伝統建築をはじめ、日本もそうだ。)
世界の文化は、多極な多様性がリードしていくのだ。と思えました。

いいなと思ったら応援しよう!