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古武術∞身体知

髙無宝良さんの古武術ワークショップにラッキーにも参加できました。

画像はこちらのものです m(_ _)m
https://peatix.com/event/592908

というのはうちの学校(北海道シュタイナー学園いずみの学校)に講師としておいでいただいていて、保護者等も学べる機会を作っていただいたので、それに参加させていただいた次第。ありがとうございます m(_ _)m

3日間の機会の最終日しか行けなかったんですが、ざっとおさらいも含めて濃密な2時間でした。

お知らせから

宮本武蔵の剣術技法である二天一流と二天流をともに修め、国内外で活躍する武術家である高無宝良先生のワークショップです。
古流剣術の智慧を身体に落とし込み、身体感覚を磨いていきます。
激しい動きはありません。武道やスポーツ経験の有無なく、どなたでも楽しめる内容です。
剣術の中で養う所作や身体感覚を磨くさまざまな動きを行い身体を練ってゆきます。

世界各地で教える高無先生のクラスは新鮮な驚きとユーモアに溢れています。心と身体のつながりを感じることができ、またここで得た身体感覚や「古武術の身体のはこび」は、日々の暮らしの中に活かしていけることでしょう。

身体に負荷のかからないボディワークを中心として学んでいきます。日常の所作や健康づくりに活かせる内容であるとともに、室町時代以降の日本でどのような身体智が練られていったかを、自らの身体でもって知ることができると思います。

〈講師から一言〉
古来日本人はその環境と歴史の中で独自の身心観を形作ってきました。
武術、そして日本剣術もまたそれらの身心観の一つの大きな結晶であります。
武術には天地自然と繋がりまた人と人が結ばれるというこの世の中心的課題への探究が凝縮されています。
中でも剣術は、刀という洗練された道具を
「もっとも初めて出逢う他者」として媒介することで、重力や気圧、心理的動力を含めた諸要素への調和の仕方を体得するのに顕著な効用があります。
合掌と同義であり、身心の収斂統一を促すところの両手持ち剣術を体験することで、この世界・自己・他者との「うるわしき出逢い直し」を感じていただければ幸いと存じます。
慶賀重畳

北海道伊達市にて

ワークショップの様子

以下、ワークショップの様子自分の言葉も含めながらになります。

・体各部を独立した部品ではなく、つながった有機体として動かす。

たとえば手を動かすのに、手だけで動かす、前腕から動かす 肘から、肩から、肩甲骨から 肩甲骨の下の方から 肋骨から・・・

たとえば 手のひらの中を動かしながら、それと連動して、感じる体内器官はないか、感じながら動かす 眉間と連動しているように感じてみる

・剣をゆっくりと上段から下段へ動かす。
 この際、切っ先より少し手前に注意を向けつつ、視線は遠くを見る。
 遠山の目付(えんざんのめつけ):相手の顔を中心に見ながら遠くの山を見るように相手の全体を見るという視線の使い方
 + 前方の山だけでなく、カルデラの中心に自分がいる感じでイメージ。
   自分が中心。前に偏りすぎない。
 (フクロウの眼にも似ている)

・切っ先で 突く
 目玉が前へ前へと見に行きがち だが 本来視覚は、取りに行くのでなく、光を受けることによって見ている 見に行く のでなく 受け入れる

・2人ペアで 遠山の目付で相手を観ながら 上段から下段への縦平面を斬るようにゆっくり振り下ろす

・2人ペアで どちらかが先に 前後左右に平行に動き 片方がそれを追いかけて平行移動する 遠山の目付で観る事で全体の動きに対応できる。
(近くだけを見ていると 部分しか見えていないで それに振り回される)(目先でなく、遠山(カルデラの)で(フクロウの目のように)動きを察知すればシンクロして動ける身体知)。

・剣で斬る のだと 恐怖や防衛反応が出たりするが 斬る/斬られる のでなく 開く/開かれる というか 解放する/解放される というか 別のイメージでとらえる。
(斬る斬られる って 恍惚 エクスタシー 幸せ 気持ちいい かも)

・相手の手首上あたりに触れ、ゆっくりとひねっていく。された側は身体がど反応しているかを感じる。従っているのか、反抗しているのか・・・

などなど 体験させていただきました。他にもいろいろやりました~

ほんと、身体の知 意識外の様々なセンサーや知性・野生が起動される感じで、いかに普段の動きや暮らしが近視眼的・表面意識的・コントロール的なものかを痛感していました。

懇親会にも参加させていただいていろいろお話が聞けました(^ ^)

・是政 あたりで 鷹匠 してる !

・勝負においては心法
実際の勝負においては、身体技術というよりは、いかに心をかき乱すか/されないか が問われたりする 心法 とも呼んだりする
将軍家や大名家においてももちろんそう
>攻めることより 守ることを 学ぶ?
守るではなく たもつ。 守る は 攻めが先にあってまもっているので、相手がイニシアチブをとっている。そうではなく「たもつ」。  

・不惜身命(ふしゃくしんみょう)身と命を惜しまず。
相まみえる中で、身と命を惜しまずに、入っていく、そうやって参入していくことでこそ開かれる可能性がある そうでなければ勝つこともない
(いのちのダンスのようだ 意識と身体の変成した状態でのエクスタシーダンス)

古武術における言葉は身体性と一体 身体知 

こうやって書いていても 言葉 のニュアンスがすごく大きくて逡巡する
口伝や奥義書 もただ頭で読んでいたら、道徳的倫理的なことですぎるかもだが、肚落ち・体得した後だと、身体知が言語化されている具体的な教えなのだとわかる ということです。

その境地を想像すると、からだも心も脳も 相手も 大地も自然も空気も風も すべてがつながっていて同時に生起しあいつづけている 因果・縁起は超えられていて 全力学的な 両手で鳴る音や卒啄同時みたいな ワン・ダンス みたいな感じ。

これって狩猟時代も多分そういうセンスで日々生きていたと思われ、生の、野生の、生きた時空 で 1=全 0=∞ なノリで、それが身体知かされていただろう。

そもそも 世界 は 常にそういう 生きた時空 生命知に満ちた場だ❣️ それを私が忘れていただけなのだ💖

甲野さん 方条さん 内田樹さん アンディクラークさん 稲見さん 池田さん・・・やっぱり深くておもしろい! やってみないとわからない!
身体はコズミックでワンダーだ

#髙無宝良 #古武術 #古武道 #身体知 #somaticwisdom

古武術とか古武道とか、ワークショップの機会があればぜひ!超オススメです!


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