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『正しさ』という思い込みに振り回されない世界への、青臭い妄想

ほんの数日前のブログを書いた時は春爛漫な気候だったのだけれど、本日は一転、春の嵐。
外は暴風雨です。
そんな中、今日はだいぶ青臭いことを書いていきます。

今に始まったことではありませんが、世界ってもっと平和になれないものかな…という思いが日に日に強くなっていきます。
「自分の側が正しい」という観念での衝突や暴走。
自分が『正しい』のだから、お前が変わるべきだ、と。
ただ、相手からもその見え方はほぼ同じだから、最後は屈服するかさせるかの勝負になってしまう。
だから、人々は相手を屈服させられるような力を求めたがる。
国も、企業も、最終的には個人も。

最近、報道で見る為政者の顔が、どれもこれも大きな恐れや不満をいくつも抱えているように見えてしまって、そこに気を取られてあんまりニュースの内容が入って来ません。

他人に対してイライラする、不満を感じる、攻撃してしまうなどの根っこには、自分自身の不安、不満、恐れや悲しみがあるという原則は、個人レベルから国家レベルまで相似形を成していると思っています。

そこで、上に挙げた「自分の側が正しい」と思わないではいられない理由ってなんだろう、という問いを発してみます。
そもそも『正しい』とは何かというのも怪しいけれど、その『正しさ』が損なわれてしまったら、自分はどうなってしまいそうですか?と。

私がそんな質問を投げても、多くの人は「何をいまさら」といった感じに、自分の側の『正しさ』を証明しようとたくさんの実例や論理を持ち出してこられるでしょう。
あるいは、この『正しさ』が損なわれた先にある酷い世界や問題の数々を挙げてこられるでしょう。

少なくともセラピストとしての私は、それらの理屈には全く興味がわきません。

興味がわくのは、その方が捉えている『正しさ』とは実際どんな感じのモノなのか、そしてその『正しさ』がもし損なわれてしまったら、その方は自分がどうなってしまうと感じるのか、です。

その理屈の裏にある、その方の恐れや悲しみ、怒りなどをおもてに出して癒すことが出来れば、その『正しさ』に固執しないではいられない心の状態も、少しずつ緩ませていくことが出来るからです。
それはつまり、人や物事が正しいか正しくないかで振り回される状態から脱することが出来る、ということです。

個人がこれで段々と、イライラや内に込めた不満、突発的な怒りなどから解放されていくのを知っています。

企業も社会も国家も、個人の集合体で成り立っているからには、やっぱり相似形で同じことが言えるはず。
より多くの人を癒せたら、その分世界からイライラや不満、怒りが減っていく。
それが、どんどん為政者レベルまで波及していけば、その分世界は平和に近づく。
というより、本当の平和って、結局そういうことの積み重ねでしか実現できないのでは…

…とまぁ、青臭い妄想に浸っている、嵐の春の日。
0.1ミリずつでもそんな世界に近づけられたらいいなぁと、自分の仕事の意味を噛み締めています。

≪巻頭写真:Photo by Artem Sapegin on Unsplash≫

長年の公私に渡る不調和を正面から受け入れ、それを越える決意をし、様々な探究を実践。縁を得て、不調和の原因となる人間のマインドを紐解き解放していく内観法を会得。人がどこで躓くのか、何を勘違いしてしまうのかを共に見出すとともに、叡智に満ちた重要なメッセージを共有する活動をしています。