華金、10歳おめでとう。いつも、ありがとうやん。

次回の華金 1/26 13:00〜 名古屋at.新栄リフレクトホールhttps://t.livepocket.jp/e/hanakin48

こういう話は、どこから、話せばいいか、いつも迷う。
10年も続いた物語をどこから、切り出せばいいかは、ほんとに難しい。

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最初からいた仲間もいれば、始まりの瞬間にしかいなかった先人や、途中から合流した弟たちや、
ついさっき到着した初めましての人たちに、そして、もう2度と会えないあいつも。
たとえば、一晩のパーティーですら、同じメンツが変わらず、ずっとフロアにいるなんて、まずないだろう。
だから難しく、そして10年のどの夜も等しく尊い。

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でも、2019年11月24日夜は、生きてて少ないほど良い夜だったから、書き物として残しておきたい。
(最近、自分が忙しすぎて、刹那的にものごとが過ぎていき、感謝を忘れてる嫌いがあるのも悔しいから)

いたるところで話してることやけど、俺KZにとって、サイファーは母親、アマチュアは父親だ。
じゃあ、華金は?と聞かれれば、無二の親友、または歳の近い兄やと思う。
俺はサイファーで生まれて、アマチュアで遊びかたを教えられ、華金とともに大きくなった。
俺も、俺のまわりも、そんなラッパーが多いと思う。

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MCでもいったけど、良いか悪いかはさておき、華金が腐っていってた時期もあった。
告知もろくにせずに、メンバーのリリースもなく、フロアには20人も人がいない。
(フライヤーがなく、iPhoneのメモですませてたり。。。)
そんな時期から来てくれてた、古き良き理解者は「その時期は、その時期で楽しかった」と言ってくれる。
俺も楽しんでたし、その夜にしかなかった出来事もあるし、今の規模じゃあ味わえない高揚も、そこには詰まってた。
熟した果物みたいに、甘ったるい匂いを撒き散らして、口にできるギリギリの鮮度。
たしかに味は濃く、甘かったのは、甘かった。

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そして、たぶん、あれが続いてたら、華金は終わってた。
悲しいけど。俺は、そう思う。

俺が最初にオーガナイズしたのは2017年5月27日のVol.33。

古武道さんが、結婚のタイミングで、オーガナイズから身を引こうと思ってると、話してくれた。
「じゃあ、俺やりますよ」って、即答だった気がする。

返事をうちながら、頭の中には
パンパンのフロアで日本語ラップ聞いて、笑い合うお客さんと俺たちの姿に、
大好きなゲストを呼んで、さらにみんなリリース。
そんな最高なパーティーにできるって、妙な確信があった。

8耐のときもそうだし、梅田のツアーもそうだけど、なぜか「最高」の瞬間は、計算や打算より、直感がもたらす。

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あとは、正直、自分が仲間のラップを聴いて、仲間にラップを聴いてもらう場所を心底、失いたくなかった。
ある日、Rが俺を評して「KZさんは自分がどうすれば、どう生きてゆけば幸せか、俺が知る内で一番わかってる人です」と言ってて、
その時は、ピンとこなかったんだが、いまさらながら、自分でもそうだなと納得する。

じゃあ、その2017年5月、その頃、俺は何してたか。年明けに横浜から、愛する大阪に帰ってきて。
ちょうど、自分が一生ラップするためにって考えて、ライブを真剣にしだして、
1stの「PULP」を河合の高台で、dioさんと作ってた頃だと思う。

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今でこそ、毎週末ゲストで呼ばれ、どこかでマイクを握ってるけど、
あの頃はどうだったか、おそらく、ほんとにもがいてた。ライブは華金かアマチュアか、たまに呼ばれる身内のパーティー。
そりゃ、リリースもない人間がどこでライブをもらえるのかって今やと痛烈に思うんやけど。未熟で、稚拙やった。
(今もまだ、もがいてるけど、あのころは底に近く、水面の上にある光の燦きすら見えぬほどだった)

歩道橋に毎週末、集まってラップしてた周期も、みんなが色んな事情で緩やかにペースが落ちていき、
そんな中、華金はギリギリ、みんなに会える場所だった気がする。
過ぎ去った最高の過去と、やってくる明るい未来を、つなぐための踏ん張りどころが、あの5月からの日々だった。

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最初に決めたことは、「ちゃんとやる」ということ。
2ヶ月に1度の定期開催、コンセプトを決めて、良いゲストを呼ぶ、渡せるだけの長い時間のアクト、早めの情報解禁。
赤字を出さない、そして儲けたら儲けた分、パーティーに還元する。当たり前のことを、当たり前にする。

なぜ、このシーンの多くの人は、仕事を「嫌いだ」ってぶーたれながらも、仕事は「最低限ちゃんとする」くせに、
好きなラップは「ちゃんとする」ことが出来ないんだろうって、よく考えてた。
俺も、そうだったし、そして今でも自分を戒めることが多くある。
重要なのは、最低限のやることを過不足なく、ちゃんとやるだけ。
好きなことと、好きな人のために、惜しみなく生きること以上の目的は、人生にないと思う。

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あの5月の夜に、北海道からRefugeecampと、梅田を呼んで、
久しぶりに人がいた華金をみて、やっぱ、間違ってなかったと思った。
みんなで、「4seasons」を合唱する瞬間、胸が甘くなった。

最近は、数奇なもので、また梅田の仲間のおかげで、数千人の会場やフェスでライブをすることもあるけど、
それでも、あの小箱特有の熱気は、筆舌につくしがたい。
耳より、先に身体へ叩く振動、低音は耳で聞くものじゃなくと心臓で聞くものだと、わかる。
唾や汗がかかる距離、吐息が聞こえる接近戦。過去の夜から、紡がれた口伝の物語。
俺はやっぱ、「小箱のヒーロー そのまま上がりたい」よ。

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話をもどして、そこからは2ヶ月に1回、ちゃんとゲストを呼んで、イベントをうちつづけた。
俺も、仲間もラップできる場所を作り続け、大好きなゲストを、大阪のみんなに見てもらう。
シンプルなことだけど、それが続けば、力強さにかわっていく。

Refugeecamp、梅田サイファー、唾奇、HANG、NAIKA MC、O.G.K、
我次郎MIC、ACE COOL、Lui Hua、小林勝行、Masa & トラヴィス・スットコ、
T-TANGG、9for、茂千代、勝、晋平太、DUSTY-I、神門、高槻posse、BB9、
MU-TON、RAWAXXX、LIBRO、チプルソ、WATT a.k.a. ヨッテルブッテル、ICE BAHN

全ての夜が、集客、収益的に成功したかと言われれば、失敗した夜もあった。
でも、今は概ね、リスナーのみんなが、華金を信頼できるパーティーだと思ってくれてると感じる。
しかも、「ゲストがいいから、行く」ではなく、「友達がいるから行く」でもない。
ほんとにみんな、「華金のアクトのライブを見に行く」って人が多いことが誉れだ。

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だからって、ここで留まる気はない。
梅田に吹いた追い風に帆をはって、さらに、華金のみんなの音源が遠くに届くように。

「出して終わりではなく、出してからがほんとの勝負なんだ」って今は痛烈に思う。
自分が最高の音楽だって思って作った作品が
売れなくても、体力的に、精神的に、金銭的に、また次の作品に向かっていけるならそれでいいけど、
多くの見てきたラッパーは、売れないとフェードアウトする。
仲間にも、後進にも、そうはなって欲しくない。
俺ができることは、少ないかもやけど、それでも、自分と、自分の周りのために拡がりをもたらしたい。

俺が、「Same Shit Different Day」の中で歌ったように、ある時期の俺を繋ぎ止めたのは「古武道と華金」だったように、
俺も、また誰かを繋ぎ止めれるようする。

そして、音楽が好きな人が、HIPHOPが日本語ラップが好きな人たちが、心底に遊べる場所であるように。
生活の中で感じる孤独を小さくし、ほんとの意味で、俺が梅田のみんなに出会えたように、気の合う仲間が見つかる場所であればなと思う。

2020は、もっと、たくさんの人に会いたい。
最後には、古き理解者たちと一緒に、「な?華金は最高やって、俺らずっと言ってたやん」って笑って言いたい。

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2019年でわかったのは、俺らの音楽も求めてる人や、俺らと遊べる仲間は、遠くの街にもいるということ。
その手始めとして華金を名古屋開催をします!
(梅田サイファーは名古屋を通り過ぎると怒られたので笑)

まじで、「生きてるうちに 会おうな必ず」

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前売:https://t.livepocket.jp/e/hanakin48

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