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勉強は楽しい…けれど、学問は迷路。

このnoteを読みました。

妹に元声優志望がいて、父親がスピード出世気味の研究職で、私自身も研究職をやや真面目に目指しかけて「想像以上にヤバい、この世界…」と思って退却して会社員をやっている人間なので、その所感を綴れればと思います。

たぶん、あんまり心地いい話ではないんだろうと思います。

それでも、事実としてあったものなので、学問を志す以上は、それは認識して欲しいと感じます。

でもわかる。勉強って楽しいんです。

私も学部時代、色々本や論文を楽しく読んでいたので気持ちもわかるんです。新しい論点を知って「へー!」って言って、レポートを書くのってとっても楽しいんです。

楽しいから、きっと作る側もできるかな?と思っちゃうんです。

それが私の場合だと21歳くらいの頃だったはず。

でも、学問にはいくつかの厳然たるハードルがあることを認識した上で戦うのと、それが見えていない状態で戦うのでは、全然違いがあるのです。

ハードルを正しく知ったうえで戦いに挑むのならば、私は陰から応援したいと思います。

象牙の塔は厳然たる階級社会です

もうこれが会社員も裸足で逃げ出すほどの厳密な階級社会。

「おまえ、どこ小よ~?」みたいな会話を大学レベルで、しかし表面上は上品にやってしまうのが象牙の塔。

象牙の塔の住人である限りは、その名前に大学名や論文名・誌名の履歴がべっとり貼りつくのです。しかも公開情報だからずっと追いかけられる。著書だってその経歴によって品定めされる。

商業界のほうが有名大カードあっても無くても才覚で逆転効くんだから全然優しいです。

ちなみに、私が学部時代(3・4年生)に在籍していたのはここです。嘘ついても仕方ないからね。

今ふと見たら私の卒論タイトル(『デジタル時代における映像メディアの変化――「実写」とアニメの交差――』)普通に載ってる……多分まだ研究室に原本あるぞこの感じだと……(※結構そういうところ、丁寧な研究室だったのです)

ちなみに、東大に限らずどの大学でも、教員の経歴をちゃんとみるとわかるんですが、教員は東京大学卒(そうでなくても有名大卒)、というのは割と普通のことです。

これは、大学教員のポストがそもそも少ないためで、「自分の研究分野の常勤の教員ポスト」があれば、応募が殺到する状況なのです。

特に、私が居たような比較的マイナーな研究分野(そもそも美学芸術学を扱わない大学があったり、美術史とまとめられていたりする)だとポスト自体が貴重なので、ドイツ語はもとより、ギリシャ語・ラテン語も軽々と操る小田部先生のような怪物でない限り、東大教授のポストに至るまでの苦労がしのばれる経歴をお持ちだったりします。

そして、私の出身研究室は正直、美学芸術学分野における国内の権威なので、チューターもちゃんと非常勤ポスト持っていたし、ポスドクもしっかり結婚していたりと、それなりに景気はよく、夢を見やすい環境ではありました。

ただ、その夢を実現するには

・第二外国語が流暢であること(ぶっちゃけ、教養1年の後半で第二外国語で長文読解させられるようなところなので、それを低空飛行ですり抜けた私には無理だった)
・さらに新たに第三外国語をマスターすること(英訳でごまかさずに、独・仏の原著くらいは読め!と実際に言われた)
・論文としてコンスタントに提出できる程度の研究分野を設定できること

の3点が少なくとも必要だったのです。

他に必要なもの…うーん、脳みそかな?私じゃ全然足りなかったよ~(錯乱)

学問の迷路について

そして、私にとって一番致命的だったのは三番目。

論文として議論可能なサイズの問いを設定することが当時、致命的にできなかったのです。ふんわりした問いは問いじゃねぇのよ学問だと…。

※ちなみにこの課題設定とそこに対する議論ができていない点、卒論の口頭試問で指導教官にゴリゴリ突っ込まれて泣きそうになりました。別の先生がとりなしてくれてなんとか卒業した苦い記憶…。

4万字の卒論を書いて思い知りましたが、有効な、解き明かすべき問いを持たない状態での学問というのは、ひたすら彼我の差を見せつけられる苦行なのです。

問いを胸に抱え続けられるなら、その苦行もきっとこなせるでしょう。

ただ、胸に抱え続ける行為自体にも才能が要るのです。

院に進学できても、

学振が取れないプレッシャーもあるかもしれません。

学会での質疑応答が胸に刺さる日だってあるでしょう。

そもそも研究が思うように進まなくて悩む日もあるでしょう。

それら全てに耐えられるでしょうか。

学会での質疑応答…学会バイトやったことあるのでわかるんですが、文系も「初歩的な質問で恐縮ですが…」から始まるその道の権威によるメッタ刺しとか普通にあります。というか内輪の輪読でもその権威にゴリゴリ刺されます!!!つまり文系も理系も似たようなもんです!

そして、それに耐え、30歳を過ぎて、論文という成果を継続的に産めるようになった人間は、市井には決して戻れない存在になります。象牙の塔はそんな片道切符です。

なお、文系の世界では30歳を超えてようやく、才能の有無(生活できるかどうか)がはっきりします。それまで、お金の心配とも戦いながら研究をする必要があります。

夢は、夢への障壁も理解した上で、具体策と共に踏み出すのは素晴らしく、豊かな行為です。ただ、夢だけでは人間は生きられないのです。私には、それができませんでした。

できなかった人間の戯言と受け取っていただいてもよいです。

でも、あなたが今、踏み出そうとしている道はそういう、茨の道です。

その覚悟のほどはいかがでしょうか。

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