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自分を見世物にしてしまったら、あとはすり減って崩れるだけ

先日から、あんまりにもいろんな人から言われるものだから、「なぜ文章から感情を排除しがちなのか」ということを考えていたのですが(こういうことうんうん考えがちなのが文学部卒のカルマ)、一つ、自分で縛っていたことを思い出しました。

タイトルのような状態に私自身が陥ってしまうことを、何よりも一番私は恐れているのです。私はずっと生きていきたい。おばあちゃんになるまでニコニコして、家族や友達に囲まれて生きていたい。人生80歳。下手したら100歳まで生きるかもしれない。そういう予定で生きているので、ネット上の私も、致命的に死んでしまうわけにはいかないのです。

自分を見世物にした瞬間、賞味期限との闘いが始まる

このテーマについては、過去に何回か書いています。たぶん、私のコアの問題系だからこそ、形を変えて繰り返し書かねばならないのです。

ぶっちゃけですね、感情過多で、文章を書き慣れている女というのは手っ取り早くコンテンツ化しやすいのです。

しかも、高校生~大学生なんて、コンテンツとしても美味しい頃合い。

ただ、それ自体を売りにした瞬間、

・なんか同じことばっかり言ってるよね
・30歳になっても言ってること変わんないのかよwwww
・正直、つまらん。飽きた
・この人、生きづらそう

と自分が自分自身を責め苛む声(あるいは本当に他人からもそういわれるかも)と戦い続けなければいけないこともわかっていました。この声に勝つためには、

・世界的な実績を積む
・変化し、学習し続ける

という修羅の道を歩む以外に、私の心が耐えられそうな方法がありませんでした。つまり、汚いものを見ないで済むように、考えられうる限り高速に動き続け、考え続けないといけないのです。

……いや、うん、無理だね?全国大会で息絶え絶えだもんね?

だから、てっとり早い武器はしまってしまおう。

感情がなくても「コンテンツ内容」に意味を持てるようになる力を蓄えるまで。

たぶん、そうして私は長文から感情を消してしまったのだと思います。

感情に任せて書けばたくさん書けるでしょう。もとより言いたいことは多い人間なのですから。

しかし、勢いに任せて「書いてはいけないこと」も書くでしょうし、外部から取り込んで、咀嚼することができなければ自家中毒になって、薄い、「感情だけの」内容、あるいは「過去の自分の劣化コピー」を延々を書き続ける羽目になるからです。

でも感情を消せば、首尾一貫して「中身」で勝負せざるを得ませんし、「中身」が「他者に役立つものである」ことも求められる世界の中でどう書くべきか、に問いを変えることができます。私は、まずそこで力を蓄える必要があると感じていたのです。

でもよく考えたら、客観的内容にエモ入れてもいいじゃんね

そう、でも、自分を見世物にしない限りにおいては、そんな極端な二項対立しなくてよかったんですよねw何で今まで気づかなかったんだろうwwwwwwwちょっとこういう抜けているとこあんのよわたし……。

だからちゃんと突っ込んでくれる人がいて初めてちゃんと活動できるのですが、色んなことを優しく教えてくれる人、感情を分かち合うことを喜んでくれる人が今は画面の向こうにもいることが分かったので、もっと楽に考えればいいんだなーって思いました。

↓優しく教えていただいた結果のはなし↓

私は私を教祖にするつもりはないので(崇拝されるのが本当に嫌いだから)、私を強く見せる必要も、私にあこがれてもらう必要も全くないので、ただただ、素直に思ったことを、素直に書いていけばいいのでしょう。

人を無用に貶めることもなく、否定さえしなければ、楽しかったこと、困ったこと、悲しかったことを素直に積んでいけばよかったのです。

今度からはそんな感じで書いてくわ。ぽえぽえ。

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