安全地帯は等しく8月31日では終わらない。

試される大地においては、8月31日はもう現実だった。
テレビの中は未だに夏休み気分を引きずっていて、正直おめでてぇなと感じていた。
(のちに、さらに1ヶ月も休めてしまう大学生という身分になり、おめでたさと怠惰の極みを堪能したのちに別の感想を持つことになるが、それはまた別の話)

そもそも、北国の夏休みは冬休みと同じくらいの長さであり、物思いに耽る間も無い。
故人の魂を見送ったらもう、夏休みは終わりなのである。夏休みの最終日が象徴になることもなく、滑らかに現実に還っていくのだ。
とはいえ、象徴にもならない平坦な夏の終焉の中でかつての私も、相応に憂鬱さを抱えて暮らしていたのも事実だ。

私は色々ありつつも、なんとか折り合いをつけ、なんとか大人として社会を生き延びているが、海を隔てた巨大な島で今生き延びている彼らは、この無自覚な排斥を目にして何を思うのだろうか。北海道は対象外だとでも?

それは、思春期の鋭敏な感覚に突き刺さらないと誰が言えようか。他の表現方法はなかったか。
せめて、日本の中の、地域差がない象徴を立てる方法はなかったか。
そういう孤独をぞんざいに扱う態度こそが、最後の引き金になってしまうのだ。

だから私はその日を、8月31日を象徴になどしない。
夏でも冬でも、いつであっても、距離感も選べず、逃げる余地のないコミュニティに存在すること自体が苦しいことだ。
どうしてもその苦しさに耐えられないならば手段は選ぶな。逃げろ。海の向こうでもいい。18歳を迎えるその日まで生きて、逃げ切ることだけ考えろ。

逃げ切ることさえできたら、あとは自分で選べる。自らを袋小路に囲い込むことだけは意地でも回避せよ。

与えられたものではなく、自分で選びとった場所にこそ、真なる自分の仲間がいて、安息が得られるものだ。

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