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「履修」や「エモい」はもう古い!最新型のコンテンツ体験【集団幻覚】

劇場単発映画の「アニメシリーズ」を見たことがある気がする。存在しない映画の「原作ノベルゲーム」をプレイした記憶がある。存在しない飲食店の常連となっている。

このような体験はありませんか?

もしかして、それは【集団幻覚】かもしれません。


【集団幻覚】って?

上で挙げたような状態は主にインターネット上で発生するとされています。何かの外部刺激をきっかけに複数の鑑賞者が「同時に存在しない幻覚を見る」ことが発生源とされています。

【思考マロビデズム】の発達

近年はインターネットとの直結により、あなたの脳内映像や架空体験がまろびでやすい環境(思考マロビデズム)になっています。一億総発信者。IT革命のジュニア世代(デジタルネイティブ)がその中心とされています。

なぜ共通した幻覚が同時発生するの?

これはクリエイターと鑑賞者の世代や様式が近づいてきたことが理由とされています。生まれ育った環境が近いほど、共通言語を多く持つほど、短縮化されて非言語コミュニケーションが発達していきます。

(それは秋田県の「け?」「く!」に代表されます)

統一フォーマット文化で育まれた創作者と鑑賞者の間で極限まで鍛え上げられたリテラシーが化学反応を起こしスパーク。脳髄は幸せになり、2時間の映画から24話の2クールを受け取り、存在しない常連と酒を酌み交わした記憶を思い出してしまいます。人気のセ、実力のパ、殺戮の魔

幻視アイドル「芳賀ゆい」

残念ながら私はリアルタイムで体験をしていないのですが、共通フォーマットに載せた集団幻覚が実体化してリアル存在に昇華した例として「芳賀ゆい」事件が挙げられます。悪ふざけから始まった集団ヒストリーがモーメントを生みだしリアル経済を発生させた一例として教科書にも載っています。

深夜ラジオの遺電子

近年、情報量の少ないラジオ番組の魅力が再評価されている。音声のみという絞られたコンテンツながら聴取可能なエリアも広く、リッチなコンテンツにはないリスナーとの距離感の近さがその魅力だ。(子ども科学電話相談はその最たるものだろう)

最小限の素材で最大限の妄想を働かせる、深夜ラジオの荒波をはがき職人として生き延びた世代のジュニア世代(つまりおじいちゃんが縁側でおしりコインを磨いているような普通の家)が、好む「妄想中の遊び」が集団幻覚のルーツの一つかもしれない。ナイナイアルアルだ。


【個人幻覚】との違いは?

個人幻覚は日本古来の風土病ですが溜め込むと気がふさぎアレしてしまいます。インターネットに直結して広めてみてはいかがでしょうか。

個人では妄想、広めれば集団幻覚。

あなたの幻覚が誰かの現実(幻日)になるかもしれません。


いじょうです。

未来へ

あンたの個人幻覚を眠らせておいてよいのですか?
時代は夢資産運用のフェーズに入っているのですよ。

目指せ!! 思考の不法投棄で財産形成!!

ひとりじゃ足りないけど、みんなで分けると無尽蔵に増えるんだよなあ。


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