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愛され方を選べない──輝くアイドルも、同人小説書きも

※これはあんさんぶるスターズ!! のメインストーリーのネタバレのある記事です。ストーリーへの理解不足や誤解があると思います、ご了承ください。

あんさんぶるスターズ!! のメインストーリーを読み終わった

メインストーリー完結、おめでとうございます。

https://twitter.com/ensemble_stars/status/1270967271809118208?s=21

私はあんさんぶるスターズ!!がまだあんさんぶるスターズ!だった頃から転校生だった(ズ!!では「転校生」じゃないけど)。

ズ!では、ストーリーやらスカウトやらのスクショをよく撮った。でも、スクショがスマホの容量を圧迫して、随分削除した。ズ!!では、ストーリーのスクショを撮るのを控えていた。

でも、撮っちゃった……。メインストーリーの終盤は、ストーリーをお気に入りにするだけでは飽き足りなかった……。

撮っちゃったスクショ

せっかくなので、撮っちゃったものをほぼ全部貼っておく。
なお私はSwitchと、Valkyrieと、UNDEADの二枚看板と、マヨイ筆頭にALKALOIDが好きだ。HiMERUも気になる。

マヨイと巽、近頃どうした? こんなにわかりやすく髪と瞳の色が互い違いなのもすごい組み合わせだと思っている

二枚看板が和気あいあいとしている(感涙)

こはく、渋い顔かわいい

こういう二人が好きだよ

挑戦的だ

巽のそういうところが好きだよ 関係ないが風早巽の株が上がると一期一振の株が同時に上がりがち(?)

鉄虎のこういう……素朴で現実的で前向きでちょっと厳しいところが好きなんだ……。ズ!の初期にスクショ取った、うじうじしてる友也に鉄虎が「イライラするッス!」みたいに言うところも好き(うろ覚え)

マヨイが……楽しそう……アイドルとして前向きに、でもマヨイらしく楽しそう……嬉しい……

立場が上の人間が(兄が)下の人間の(弟の)勢いに押されて思わず素直になってしまう瞬間が好きパーソン

察せてえらいね! という気持ちと、全部声に出ちゃっててかわいいね……という気持ち

EDスクショ忙しいぞと気づいた後に必死こいて構えて何とか逃さなかったマヨイ(Switchのユニットコメントのスクショ逃して悔しかった) マヨイのサイン、いかにも男子高校生っぽい筆致でたまらなくかわいいなあと思っている クローバーをデザインに入れ込まずに添えてくれるのもかわいい

これは間に合ったSwitch!

アイドルとファンレター

一つ、何日か心に引っかかり続けたくだりがある。藍良と燐音の、ファンレターの話。

『ファンレターをもらえなくなったからといって、自分が誰からも愛されてないと思うな』という文脈。

それはそうだ、と思った。好きなアイドル全員に手紙を書くわけではない、私だって。
アイドルでなくても、好きな作家さんや、俳優さん、デザイナーさん、店員さん……私の心を元気にしてくれる人はたくさんいる。そして、多くの場合、私は筆を執ってまで、彼らに言葉を届けることはない。

一般的にも、ファンレターを書く人はごく一部だろう。

二次創作小説書きとファンレター

「ファンレターをくれるファンだけをファンだと思ってはいけない」。
このエピソードがやけに気になった理由は明白だ。私が二次創作小説書きで、感想が欲しい、ラブレターが欲しいと日頃から声を大にして言っているからだ。

「ファンレターを出さないファンもいる」。

当たり前のことだ。だけど、それを忘れていたかもしれない。ファンレターを出さない(感想を送らない)、読んで読んだきりの人もいるということ、その中にも「ファン」の人はいるかもしれないということを。

どうして感想が欲しいのか?

私の、感想が欲しいという話はここに書いている。

人から感想をもらうと、自分が関わったことが、確かに誰かに届いたのだなと思います。それは、完成した物事がどれだけ多くの人の目に触れても、私には感じられない感慨です。あれ、まさにエビデンスとナラティブの話?
数字で、何人に届いたとわかっても、その有無や過多は私の満足感にはあまり関連しないように思います。それよりも、届けられた人から、どうだったのかをその人の言葉で語ってもらう方が重要です。
言葉をもらって初めて、自分が何をしたのかがわかる……ような気がします。自分は良いことをしたのかどうか。十分に、あるいは適切に力を尽くせたのかどうか。*1
『冬嶋さんは魔法をかけたいんだね』と、ある知人が言いました。『魔法を使いたいんじゃなくて、誰かに魔法をかけて、かかったのかどうかを確かめたいんだね』と。
それはとてもしっくりくる表現でした。私は、魔法をかけた相手に、きちんと魔法が効いているのかどうか確かめたいのです。*2
私のかけた魔法がどんな効果を及ぼしたのか、聞き取ることで知りたいのです。伝聞や、見た目の観察だけでは足りない。*3

https://pinnni.hatenablog.com/entry/2018/12/25/210226

2年前の記事だけど、考え方はそれほど変わっていない。私は自分が文章を書いたことで、読んだ人の何かを変えられたかどうかを知りたい。だから、感想が欲しい。言葉が欲しい。そう思っている。

でも、言葉を作者に返さなくても、何かの気持ちを抱いてくれている人はいるのだ。

知り得ない感想が必ずあることへの態度

私があんさんぶるスターズ!!に「ファンレターをくれるファンだけをファンだと思ってはいけない」と言われて、しばらく気持ちがまとまらなかった。

今やっと、いくつかに分類できる。

「感想を送らない読者のことを忘れていなかったか? あるいは、感想をくれないことを、恨んでいなかったか?」という自省。
私は好みの同人誌を読んだ時、作者に感想を送ることがある(アイドルとかにはファンレターを送らないが、同人誌に関しては感想を送る。媒体は便箋と封筒ではなく、奥付にある作者の指定により、マシュマロやweb拍手やpixivのメッセージやメールだったりする)。
以前、ある作者さんが私の感想に対して「感想を書くのが上手ですね!」とおっしゃった(嬉しくて覚えていた)。そこから察するに、私は感想を書くのが得意なのだ、たぶん。
人は自分が簡単にできることを、誰もが簡単にできることだと思いがちだ。私は「一般に、感想を書くのは簡単だ」と思っているかもしれない。そして「私は感想が欲しいと伝えている」。すると、「感想を書くのは簡単であり、送ってほしいと伝えてもいる。にも関わらず感想が送られないのは、作品がつまらなかったから、もしくは私が嫌われているからだ」という思考に陥りうる。(私は「私が嫌われている」と思うことはない。作品と私は別のものだ。でも思考の流れとしてはありうると思う。)
でも、感想を書くことの難しさは、人によって違う。感想を「書かない」のではなく「書くのが難しい」人もいるということを、忘れてはいけない。

「感想が来ないからといって、愛されていないとは限らない」という驚きと喜び。
感想をもらえることと、作品を愛してもらえていることを、私はしばしば混同する。それは必要条件でも十分条件でもないはず、本当は。
感想が来ないと「つまらなかったかな」「刺さらなかったかな」「不快にさせたかな」と勝手に心配になり落ち込むことがある。でもそれは私の勝手な思い込みだ。私はわざわざハッピーエレメンツに手紙を書かないが、あんさんぶるスターズ!!MUSICは面白いと感じているし、MUSICをリリースしてくれたことに感謝している。感想が来ないことと、作品がどう評価されたかは別の問題だ。

「感想をくれる人のことだけをファンと思い、その人たちのためだけに何かしようとしていなかったか?」という振り返り。
感想を送らない人の感想は私にはわからないので、読んでくれた人全員の意見(感想)を容れて次に何かをすることはできない。でも、私がその声を聞けない読者さんもいるということを、少なくとも忘れずにいることはできる。声を聞ける読者さんのためだけに何かをすることは、そうでないファンの人(いるかどうかはともかく、いるかもしれないので)にとって、何らかの影響があるかもしれない。(歯切れが悪いが。感想をくれる人が、感想をくれない人も含めた読者全体の意見の代表と見なすことは無理がある。それは良し悪しの判断を含まないが、ただ気に留めてはおくべきだと思う。)

全員からは感想をもらえない、どうする?

どうしようもない。

「私は感想を歓迎している」と伝えることはできる。「感想ほしいです!!」「感想ありがとう!!!」と繰り返しツイートするとか、本を購入いただいた時に「感想はこちら」ってメモを挟むとか。手軽に感想を送れるよう、UX/UIを工夫することもできる。大きめにQRコードをつける、アクセス後のタッチポイントを減らすなど。

そのようにして、感想をもらえる確率を上げることはできる。だけど感想率100%にはならない。
「感想をくれると約束した人にだけ読んでもらいます」とすれば100%に近くなるかもしれない(この記事を思い出した)。でも私はそうはしたくない。ならば、全員からは感想が来ないことを悲しむ資格はないのだ。それは私が選んだことなのだから。

愛するのが先か、愛されるのが先か?

作品が読まれた瞬間、買われた瞬間に、その人を愛してしまう。ありがとうございます、大好き、と思ってしまう。

愛する人に愛して欲しいと願う。つまり、読んでくれる人が作品を気に入ってほしいと思う。私がそれを確かめる術は「感想をもらう」だ。
だから感想をもらえないと悲しい。私が愛しっぱなしになったようで空しい。

だけど私はいつも忘れている。その本を書いたのは私だということを。お客さんは私の書いたものを選んでくれた。私が紙にペンでぶつけた愛を、さしあたり、ごくごくささやかにでも、愛してくれた。手に取る、という形で。

手に取ってもらったところで、愛のやり取りは一度終わっているはずなのだ。そこで満たされない感じを覚えるのは私の勝手だ。

愛され方を選べない

あんさんぶるスターズ!!の話に戻る。

天城燐音は、ひどい人間を演じることで、Crazy:Bのメンバーから愛されないように画策した。だけど、その目論見は失敗している。Crazy:Bの残り3人は、それぞれのやり方で、天城燐音を愛している(と、私は思いました)。

天城燐音は、愛して欲しかった時に、ファンレターが誰からも来なくなった。誰も愛してくれなくなった、と思った。でもそれは間違いで、ファンレターが送られなくても、天城燐音を愛している人はいた。

愛されたくない時にも愛されて、愛されていないと思う時にも愛される。
人は愛され方を選べない。愛されていることを知ることもままならない。

でも、アイドルは、笑顔を届ける。届いていると信じて笑う。

同人小説書きも、愛され方を選べない。愛されているかどうかを全て知ることはない。

それでも、愛され方を考える

それでも、私は書くし、公開するし、本にして売る。どう愛されたいかはちゃんと考える(感想が欲しいのか、閲覧数を伸ばしたい・数を売りたいのか、ごく一部でもきちんと刺さりそうな人に読まれたいのかetc)。それが実現しやすいように試行錯誤もする。できないならば納得の上で手放す(アカツキユウさんのこの記事が好き。)
だけど、読み手の評価の全部を知ることはない。(そしてしばしば、全部を知りたいわけでもない。)

それは仕方のないことだ。感想を書くことを強制することはできない。(できないというか、強制されて書かれた感想を読みたいわけではない、と言う方が正確かもしれない。ならば「感想をくれ」と言って回るのは君の倫理に反しないのかという向きもあるが、でも可能な限り自発的な感想は欲しい……!!ぐぬぬ)
感想を書くことの容易さは人によって異なる。感想が書けない事情がある場合もある(天城燐音のファンのように)。

何のために書くのか。何をもって、満足と思うのか。

それは「どんなふうに愛されたいのか」に通じる問いだ。答えはこれからも考え続けるし、考えるたびに変わり続けるだろう。でもそれでよい。この問いを得られたことが、あんさんぶるスターズ!!メインストーリー読破の最大の収穫だった。

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