「苦労は買ってでもしろ」という言葉に思う事
こんにちは!1年後に実家の本屋の建て直しを予定している本屋のしょーちゃんです。
さて、今回の投稿は完全に私が最近気づいたことを書かせて頂きます。毎度毎度個人的な内容ばかりになり申し訳ありませんが、ずっと覚えておきたいことですし、皆さんにも知っておいてほしいことなので書かせてください!
「若いときの苦労は買ってでもしなさい」
こうゆう言葉を聞いたことはありませんか?私もつい最近までこの言葉を自分自身に言い聞かせていました。
でも、私はこの言葉を否定したいと思います。
「苦労なんてしなくてもいい。苦労よりも目標や理想に向けての努力をするべき」
こんな風に思います。
つい最近まで書店の建て直しのために打ち合わせをこなす日々が続いていましたが、自分の中で妥協していた部分が自分でも気がつかないうちに所々ありました。
打ち合わせの中で
自分「こうゆうふうにしたい」
社長(父)「それだとコストがかかるからダメ」
少し話が逸れますが昔から社長(父)は子どもに対して過干渉な部分があったように思います。言い訳に聞こえるかも知れませんが小さい頃からそうだった事もあってかこうゆう風に言われると僕は渋々諦めていました。今思うと簡単に諦めすぎていました。
でもそうゆう周りからの妥協を許している内に自分の意思が感じられないお店が出来ていくような気がしていたんです。言葉には出来ませんでしたけれど自分で薄々気がついていてうまくいかない現状に苛立ちを覚えていました。
そんな時あることで社長(父)と言い合いになったんです。お店の建て直しの事に限らず今まで思っていたことを強い口調で全て話しました。
そんな喧嘩をしてから数日後、仕事中に母親と話しているときに「苦労は買って出もしろっていうから、今苦しいけど我慢して続けてれば将来きっと自分に返ってくるんだよ」と言ったところ「今のあなたは苦労しているとは言わないよ。だって自分が全責任をおってないんだもの。人のせいにしてる部分あるよね」という言葉を返されました。
「今していることが苦労じゃないんだったらなんなんだろう?意味が分からない。何が言いたかったんだろう」
そんなモヤモヤを感じながら苦労についてネットで調べていたところ「苦労と努力は違う」という事を知りました。記事の詳しい部分は覚えていないんですが、そのときの私は「そこに自分の意思や目標があるかないか。それが苦労と努力の違いなんだ!」と思いました。簡単に言うと…
苦労:自分の意思や目標がなくただ自分をすり減らしているだけ
努力:自分の意思や目標が既にあってそれを実現・達成するために注力する
この違いが分かっていなくて苦労と努力を同一視していたんです。
これが気づけて良かったと思いました!
これからは自分の考えや理想をもっと全面的に押し出していきます!自分が全責任を負う。自分の人生なんだから自分の責任で最高にする!親や家なんて関係ない!
34歳に差し掛かるおじさんとも言える人間がこんな事を話していてもしかしたら滑稽に思えるかも知れません。
でももしちょっとでも似たような経験がある方・共感して頂ける方がいらっしゃればいいね・フォローしていただけるとうれしいです!
最後までご覧頂きありがとうございました!これからも書店を建て直す中でのリアルをお伝えしていきます!YouTubeも投稿していますのでそちらも良ければご覧くださいませ!