見出し画像

内田の歴史(大学編)

こんにちは!

内田裕介です。

今回でついに内田の歴史が最終回を迎えます。

ようやくここまで来ました。(笑)

まだ幼児期~高校編を読まれていない方は、ぜひ読んでください!

内田は飛び跳ねて喜びます。


さて、そんな宣伝はさておき、前置きに入りたいところではありますが、

今日は早速、本題に切り込んでいこうと思います。

ちょっと長くなりそうなので。(笑)

では、内田の歴史(大学編)はじまりはじまり~。



大学入学

さあ、学生生活の締めくくりですね。

最初に断っておくと、大学生の内田はこれと言って特に変化はありません。

高校で学んだとおり「素の自分」を意識して生活し始めます。

少しおさらいしておきますね。

内田にとっての「素」とは

自分が思ったことを正直に言ったり、
自分がやるべきと思った行動を取ったり、
見栄を張ることなくありのままの自分をさらけ出したりすることです。

これは今の僕にも確実に受け継がれています。

まさに、僕の行動指針ですね。

では、実際に内田は何をしていたのか。振り返っていきたいと思います。


大学1、2年生の内田

一言で言うと、遊んでました。

ただの大学デビューした学生です。(笑)

1年生の初めに、新入生歓迎会を通して準体育会のサッカー部とオールラウンドのサークルに入りました。

でも真面目な一面があって、就職活動を見据えて日商簿記の勉強をしていました。

そうなんです。

僕って真面目なんです。

ん?なぜ簿記を勉強したのかって?

それは、大学に入学してすぐの新入生ガイダンスで、企業が求める資格ランキングというのを目にし、

その1位が日商簿記2級だったからです。

浅さ極まりないですね。(笑)

まあそんなきっかけもあり、3年生までに2級までは取っておこうと思って勉強していました。

よって、生活サイクルとしては、

授業、サッカー、サークル、バイト、遊び、たまに勉強という感じでした。

この2年間は本当に楽しかったですね。

↓特に仲が良かった準体育会の同期たちです。

画像1

彼らのおかげで、僕が大学生活を楽しめていると言っても過言ではありません。

彼ら以外にも友達はいましたが、とにかく誰と遊んでも楽しかったです。

お酒やトランプ、競馬、旅行、ドライブ、サッカー、・・・
などなど好きなことしかしていませんでしたから。

しなかったのは、女遊びと煙草くらいです。

「しなかったんじゃなくて、できなかったんだろ!」
ごめんなさい。訂正します。

出来なかったのは、女遊びくらいです。

そうです。

イケメンじゃないからです。(笑)

煙草に関しては、喫煙者である父を見て絶対に吸わないと決めていました。

今でも口を付けたことすらありません。

もはや僕の誇りですね。


大学2年の終わり

まあそんなこんなで時は過ぎ、大学2年の終わりを迎えます。

ちょうど簿記2級も合格した内田は、就職活動に取り掛かりました。

もうすぐ3年で簿記2級も取ったことだし、少し早いけど就活をしよう、と考えたわけですね。

そこで先輩に何から始めれば良いかと聞くと、

「自己分析しとけ」
って言われました。

しかし、やり方もよく分からないので、先輩に勧められた「絶対内定」という本に沿って、一通り自己分析をしてみました。

そこで思ったわけですね。

「なんだこれ?」って。

自分の過去を振り返ったは良いものの、

自分に何が向いているのか、
自分のやりたいことは何か、
自分の強みは何か、

全く分からない。

良く分からないまま、「自分」について悩む日々が続きました。


そんな時、ある出来事に遭遇します。

準体育会サッカー部の練習の帰り道で、ある友達に

「これから経営者の人のイベントがあるんだけど、一緒に行かない?」
と誘われたのです。

その友達は以前から、「経営スクール」的なところに通って勉強をしていました。

そのスクールには内田の友達が何人か通い、その存在は知っていたのですが、

それが何を学ぶところなのかは全く分からなかったです。

そのよくわからないところに通う数人の友達を、内田は怪しみ、馬鹿にしていました。

勉強なんか自分でやれよって。

イベントに誘われた内田は、怪しみつつも、足を運んでみることにしました。

自分の目でどんなものか確かめてやろう、そんな気持ちでした。

胡散臭いものだろう、と思っていました。
※実際にイベント名は、胡散臭かったです。(笑)

しかし参加して話を聞くと、その内容は内田にとって衝撃的でした。

今、世界がどうなっているか。
その中で、日本はどんな状況か。
そんな日本にいる大学生は、これから何をすべきか。

ざっとこんな内容だったと思います。

当時の内田は、そんなこと全く知らなかったのです。

日本にいれば大丈夫。
明治大学を出ていれば大丈夫。
大企業に入れば大丈夫。

そう信じて疑いませんでした。

しかし、それを根底から覆され、内田は泣きました。

久しぶりに大泣きしました。

何も知らなかったことを、悔んだわけではありません。
何も知らない自分を、責めたわけでもありません。

では、なぜ泣いたのか。

それは、

そんな事実を知って、

いち早く勉強し行動していた友達を、怪しみバカにしていた自分が、
とても情けなかったからです。

泣きながら謝ったことを今でも覚えています。


大学3年生の内田

さて、大号泣してみっともない姿を晒した内田は、友達の通う「経営スクール」的なものに通うことにしました。

このままでは本当にダメだ、と思ったんですね。

そのスクールでは、マインドに始まり、セールスやマーケティングなど、経営に関することを学びました。

このスクールに関しては、後日、記事にして書こうと思います。


それでは話を戻して、3年生になった内田は何をしていたのか。

一言で言えば、ゼミです。

実は2年生の時に、いわゆる「ガチゼミ」と言われるところに入室していました。

その活動が、3年になると激化したのです。

本当に過酷でした。

ゼミの合間に、サッカーやバイト、スクールなどの予定を詰め込む生活スタイルに変わったのです。

さらに、準体育会サッカー部の方は幹部代として、係も請け負っていたので、これまた大変でした。

そんな、あたふたした生活を3年の11月半ばまで続け、

ようやく、ゼミでの研究に一区切りがつき、準体育会の方も引退しました。

終わったときの安堵感は今でも覚えています。

それほど激動でした。


就職活動生の内田

やっとの思いで終えたゼミと準体育会。

しかし、そんな休息も束の間。

内田はすぐに就職活動に取り掛かりました。

ゼミと準体育会に振り回され、サマーインターンはおろか、自己分析すらも2年の終わりから進めていなかったからです。

内田は焦っていました。

自己分析や業界研究、企業研究、OBOG訪問などなど、やることが山積みでした。

内田は、悩んでいても仕方がないと、とにかく動くことを決意します。

集められる情報は集め、詰められる予定は全て詰めました。

そんなこんなで就職活動を進め、2月の初めに第一志望の企業から内定を頂き、就職活動を終えます。

この就職活動に関しても、後日、記事にしますのでお楽しみに。


現在の内田

さあ、やっとたどり着きました。今の僕ですね。

ここまでが、大まかな内田の歴史です。

本当は書きたかったけど、書けていない内容がたくさんあります。

文の構成だったり、
テンポだったり、
文量の関係だったり、

色々、自分なりに考えながらここまで書いてきました。

長く拙い文章を最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。

これ以降は、僕の就職活動や現在の活動などについて書いていこうと思っています。

引き続き、よろしくお願いいたします。

それでは、また!

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?