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”Starlit Night”

奇譚家奇譚 その一

どうしようもない気持ちの時、私の足は勝手にこの店へと向かってしまう。
"奇譚家"と小さな看板のかかった古びた木の扉を開くと、フワリとコーヒーの香りが鼻をくすぐる。
カウンター奥のマスターは、こちらを見るでもなく、お店の奥で本を読んだままだ。
一番落ち着く、奥の角の席に腰掛けると、やっとマスターは動き出し、お水とメニューをもってきたが、その手はあいかわらず女の人より白い。どこか異国の血が入っているのかもしれない。

メニューは決して多くない、見開き2ページだけ。
でもそこにはいつも、ちょっと右肩上がりのクセある手書き文字のメモがクリップ止めしてある。
私はうなずいた。
「この"Starlit night"を」
「・・・いいかもね」
マスターは、ほのかに唇の端を上にあげ笑って店の奥へ戻った。

コップの水をゴクリと飲み、私は大きくため息をついた。
今日、いや、ここ数日、さんざんな事が続いてた。
私のうかつな言動からある人を傷つけてしまった。もちろん自分が悪いのだけど、それをまわりに責められた。その人を妬んでわざとしでかしたのではないか、とまで言う人たちもいて。
さらに仲間と思っていた人たちまでが、私と距離をとりだした。
言い訳すればもっと自分が醜く思われそうで…

闇の谷間に一人残され、抜けられない気分だ。
世界の中で自分だけすごい重力の中にいる感じ。
飲み物一杯で状況がかわるはずはないだろうけど、何かにすがりたい気分でここにやってきたのだった。

「どうぞ」
差し出されたカップを見て、私は思わずマスターを見上げた。
「これが・・・Starlit night?」
「そうです、ご注文通り」
正直がっかりだった。
名前のように、きらびやかで心を明るくしてくれる飲み物と思って頼んだのに・・・。
「ただのブラックコーヒーにしか見えないんだけど」

するとマスターは、コーヒーと一緒にもってきた砂糖壺とミルクを指さした。
「これを入れてみて」
「砂糖とか、私はあんまり・・・」
でもマスターは勝手に、その砂糖壺開けた。
中に入っていたのは、砂糖ではなく、小さな金平糖だった。
ちょっとお洒落だけど砂糖にはかわりない。
そんな私の顔色を無視し、マスターは金色のスプーンで一すくい、星型の砂糖を黒々としたコーヒーの中に入れかき混ぜた。
すると・・・

私のまわりがいきなり真っ黒な闇となった。
そして小さな光の粒が少しずつ光ながら大きくなり、くるくる私のまわりをまわりはじめた。
これは星?
星が闇の中から生まれ、次第に広がっていく。
私は重力から解き放たれ、ぷかりとまるで宇宙に一人浮かんでいるような感じになっていた。

遠くから声がした。
「宇宙にくらべると人間って本当にちっぽけだよね。次々に新しい星が生まれて、また次々に消えていく。でも小さな事にとらわれているとその重力のブラックホールに吸い込まれてしまうんだ・・・」

気が付くと、暗闇の中、私の身体はどこかにずんずん落ちていこうとしていた。
「いや、吸い込まれてく・・・助けて、どうすればいいの?」
「飲めばいいだけさ」
「え?」
「さあ、飲むんだ」
私はわけがわからないまま、いつの間にか手に持っていたカップからコーヒーを飲んだ。
いい香りと苦みが私の体をふわりと軽くした。
「おいしい・・・」
「そう、そんな小さな喜びが救ってくれるんだよ」

はっと気が付くと、コーヒーカップを持ち、喫茶店の席にいた。
「どうかな、Starlit nightのお味は?」
「あ・・・いいかも」
私が言うと、マスターはまたちょっとしゃくれた笑顔を見せた。
「それならよかった。ごゆっくり。あ、そうそう、ミルク入れて飲んでみて」
マスターはそれだけいうと、カウンターの奥へとひっこんだ。
不思議な事に、さっきまでの重い気分が軽くなっていた。
大きな宇宙を見たせいか、ささいな事で悩んでいた自分が、なんかとても小さく思えてきたていたのだ。

やっぱりこのお店"奇譚家はちょっと特別。
私はマスターに言われた通り、コーヒーにミルクを注いでみた。
すると私はまた宇宙の中に浮かび、目の前に輝くような星の川"milkey way"が広がって見えた。


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