400年の伝統を未来へ 「光庵と吉見家と茅葺きの物語 その1」
時代の変遷の中で
吉見家の家屋は、片倉家の家臣だった江戸時代から代々受け継がれてきた武家屋敷。今では貴重な茅葺き屋根の建物が残されています。
先代たちが守ってきた家屋を「作りたて・茹でたての温麺が味わえる場所に。」そんな思いから誕生した「味見処 光庵」ですが、今回のクラウドファンディングを機にリニューアルオープンの予定になっています。そして今だからこそ伝えたい、この茅葺きの大切さを、これまでのエピソードとともに吉見会長が語ります。
大震災と茅葺屋根
「 2011年3月11日に発生した東日本大震災。宮城県内はもとより東北各地に甚大な被害があったことは、13年半経った今でも、私たちに不安な気持ちと痛みをもたらす、忘れられない出来事となりました。そして私たちの茅葺きについては、『そろそろ葺き替えを』と考えていた時期でもあったのですが、震災の影響で茅葺屋根の北側一部の茅がドサッと落ちてしまい、内部から青空が見えるようになってしまいました。昭和56年に全面葺き替えを行ってから30年経っていました。 途中『差し茅』と言って、簡易修復で経年劣化で茅屋根のボリュームがなくなってくるのを補ってはいました。ただ言葉の通り、差しているだけなので、内側から固定しないために地震の大きな揺れで屋根から落ちたというわけです。 幸い震災の補助金制度に『グループ補助金』という補助率75%の制度があり、グループを作りそれを活用することで負担が少なくて済んだのは幸いでした。」
屋根の茅が落っこちたもう一つの原因
屋根の茅が落っこちたもう一つの原因と思われることがあります。
2003年(平成15年)に屋根修復(当時で最後の葺き替えか工事から22年経過)を残してボロボロだった母屋を改修し、後に食堂をしようという方針で、傾いた柱や壁などを垂直にし、小舞壁という土壁をあきらめて、筋交いを入れ耐震ベニヤを打ち付けた構造に変える工事を1000万円かけて直しました。
柱が上と下で10cm傾いていたのを直したり外回りに後付けの廊下を取り除いたりしましながらきれいな建物としましたが、今思うとしっかりとした耐震工事にして安心して使える建物としたのです。屋根を除いて。
屋根工事は材料の葦と屋根ふきの技術職人が見つけられなかったのと、資金面で後回しとなっていました(もう少し持たせようとも思っていました)。忙しい日々を過ごしていました社長の私の状況から、食堂の運営は先延ばしとして、とりあえずは、従業員の休憩室と倉庫に使用することにして、しっかりとした柱壁が出来ました。そのことが大震災の揺れで、弱っていた屋根を大きく揺らし、茅が落ちてしまった原因と考えています。
吉見家15代目 きちみ製麺 取締役会長 吉見光宣
第2話に続く。
本日よりクラウドファウンディングに挑戦中です!
みなさまの応援お待ちしております!
「400年の伝統を未来へ!白石温麺の聖地「光庵」が生まれ変わります」