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出会いの仕組み - 意識の地下鉱脈的出会いについて

以前お会いしたことがある方に、極めてスピリチュアルな女性がいました。「北沢さんと会ってお話しがしてみたい」と言うので、何だろうと思ってお会いしてみたのですが、彼女の口から出てくる単語の95%くらいがいわゆる"スピ用語"で、彼女が話している間ずっと「死ぬほどつまんないな」と思ってしまいました。彼女はご家族との関係について長いこと悩んでいると言います。スピリチュアルにどっぷりハマりながら何事かを長く悩み続けているなんて、随分蒙昧な人生だなと思いました。そのスピリチュアルでなんとか"でき"ろよ、と思ってしまう。悩みを打ち明ける最中にまでちょくちょくスピ用語を挟んでくる彼女に、これは流石に悪影響だなと思い、まっすぐ目を見て心を込めて、「スピリチュアル用語を、一回全部封印してみてはどうですか」と提案しました。

「あなたは自分自身の問題と向き合いたくないから、どこかで見かけたスピリチュアル用語を語ることで自分を誤魔化しているだけです。それじゃ傷は癒えません。ちゃんとご自身と向き合ってください」

占い師という職業柄、スピリチュアル系の人から興味を持って頂く機会は少なくありません。いいなと思った方とはその後も仲良くさせてもらっています。しかし僕が彼らと仲良くする場合は別にその人がスピだからではなく、人間として魅力的だからです。人間として面白いとか、尊敬できるところがあるとか、味わい深い性格だなとか、存在がかわいらしいとか見た目がかっこいいとかも全部含めて、人間として魅力的な人と僕は友達になりたいと思っています。逆に言えば、発言が失礼な人だったり傲慢だったり支配的だったり、話す内容に魅力を感じないならば、たとえどんなに強い不思議な能力を持っていようと僕側にはその人への興味はありません。

「北沢さんは『風の時代』を生きていますね!」とか「北沢さんは良いものをたくさん引き寄せていますね!」とかはよく言われるお決まりのフレーズなのですが、僕は別にいまが『風の時代』だからこういう生き方をしているのではなく(たぶんどの時代でも同じような生き方をしている)、僕がそうしたいからそうしているだけだし、良いものを引き寄せることよりも「結果的に自分が引き寄せたものとどのように関わっていくか」ということの方がずっと大事だと思っています。

こういうことを表立って言って良いものか随分迷ったのですが、最近思うところがあるのでこの際はっきりさせておきます。僕は「スピリチュアル」には興味がないです。あなたの魂に興味があります。どこかの誰かから聞き伝えられたスピ概念をbotのように延々垂れ流すのではなく、あなた自身の話を、あなたの魂が生きて経験した物語を、ぜひ聞かせてほしいと思っています。

   

人と人が出会うとはどういうことか

そもそも人と人が出会うというのはどういうことなのでしょうか。たとえ出会っても、深く関われる人とそうでない人がいるのは、一体なぜなのでしょうか。

広く浅い人脈をとにかくたくさん広げていこうとする人もいれば、SNSでフォロワーをたくさん集めることに夢中になっている人もいます。「たくさんの人と知り合いである」というのはビジネスシーンでは有効かもしれませんが、「人と深いところで出会う」という問題に於いては、これはまったくと言って良いほど関係がありません。

イメージするに、僕らの意識には地下鉱脈のようなものが広がっています。自分自身の内側と真剣に向き合ってそこを掘り進むと、やがて自分を越えたある種の普遍性みたいなところに出る。すると同じ普遍性に辿り付いた他の人と「あるある!」「わかるわかる!」という感じで出くわすのだと思います。自分の内側に向かって徹底的に掘り進んだ人ほど、同じような場所を掘り進んでいる人と意識の深層で共鳴し、「ばったり出会ってしまう」のです。

件のスピリチュアルジャンキーの女性に対して僕が感じたのは「あなたはこんなにたくさんしゃべってくれているのに、どうして僕はあなたと深く関わった気になれないのだろう」という寂しさでした。せっかく目の前まで会いに来てくれたのに、ただひたすらどこかで聞いたようなスピ用語を連呼されるだけではいつまで経ってもあなたの意識の内層に辿り着けず、"地下鉱脈的出会い"が発生しないのです。

もしも今、人と深く関わりたい、良き出会いに巡り合いたい、或いは誰か会ってみたい人がいるならば、まず徹底的に自分の内面を掘り下げてみることです。自分は何者か。今までどんなことを経験し、どんなことを考えているか。何をして、何を学んだか。どんなことが楽しくて、どんなことが苦しいか。なんとなく耳触りの良いスピ用語も、かしこくなった気がするビジネス用語も、ネットで流行りのバズ用語も、まるで商品棚に陳列されている概念を取って付けたようなペラッペラな人間にならないでほしい。ひとつひとつ真剣に自分の内側をコツコツ掘り進めていくと、やがて自分という枠を越えたところに出て、コツンとばったり、誰かと出会うかもしれません。
 

不登校の子どもとの出会いが多い

空き家の再生活動を始めてからというもの、不登校の子どもや不登校のお子さんを持つ親御さんとの出会いが多くなりました。来る人来る人、だいたいお子さんが学校に行けていない。そういう子どもたちが今の時代爆発的に増えているということもあるでしょうし、僕が現在掘り進んでいる鉱脈が何かしら不登校の子どもたちと共鳴しているということもあるのかもしれません。

僕自身はどうだったかと言うと、小・中学校には行けていましたが、高校からはほとんど不登校に近い状態でした。とにかく教室内では疎外感と出席の義務だけがあるという感じで、学校に行くのが本当に苦痛でした。学校に行けない子どもの話を聞くたびに「そりゃそうだろ」と僕は思います。大人になった今でさえ(今だからこそ)、「この社会、適合しすぎたらヤベえな」って思ってます。

僕に何か言えることがあるとしたら、変わった人生を生きている人とたくさん出会ってみるといいです。僕の友達には自分を人間だと思ったことが一度もない人や、蛇や蛙や虫を調理して食べる人、木こりでも大工でもないのに森の木を切って素敵な家を建ててしまう人などがいます。そういう人との出会いは見える世界を広げてくれます。

北沢由宇(きたざわゆう)っていう、既存社会には腹二分くらいで関わっていればいいやと思っている大人でも、空き家をDIYでリノベーションしたりクラウドファンディングをしたりタロット占いをしたり魚を釣ったりして、みなさんに支えられて毎日楽しく生きています。そういう人の存在を、決して答えではなく、何らかの「問いの材料」として使ってくれればいいなと思います。

 

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