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本当の家族を大切にしたい、自分の心に正直に生きたい。

私には家族がいない。

そう言うとまた誤解が生まれるけれど、そもそも母親はいなかったし、顔も見たこともないし、父は病気で亡くなって、祖父母ももう亡くなっている。
兄がいるが、今どこで何をしているのか分からない。

それは20代前半の時からずっと。
その時から一人で生きてきた。
親戚は地元に多いが、お世話になったのはごくわずか。少し離れた所に住む叔母がとても良くしてくれているけど、会うのは年に1,2度。

私の前の記事を読んでくれている方は知っているかもしれないが、私は自分の親戚が好きではなかった。
亡くなった人のことをいうのはなんだが、私の父はちゃんとした人ではなかった。真面目に働く人という印象もない。
だからか、親戚と法事の時に会ったりすると、「夕雪の父親は……」と私に向かって亡くなった父の文句をずっと聞かされた。
それしか話のネタがないのか、思い出話をしたいのか……私には苦痛の時間でしかなかった。

私と父親の生き方は違う。それを私に文句言われても……正直気分は良くない。だから親戚が集まることは本当に嫌いだった。
「また文句を言われるんだろう」いつもそう考えると親戚が集まることがあると憂鬱で仕方なかった。

新年の挨拶も苦痛ながら行った。でもそれは「この一回を我慢すれば、今年はもう会わなくて済む」そんな思いがあったから。

大人になってがむしゃらに働いている時は「忙しい」を理由に、親戚と連絡をとることをしなかった。少しずつ離れていった。


そして結婚、出産をして、私にはもう一つ家族が出来た。
それは主人の家族。

主人もお母さんを早くに亡くして、お父さんと妹と暮らしていた。
初めて会った時、温かく迎えてくれて、妹は食事を振る舞ってくれた。
ご近所に住む親せきも、主人や妹がお母さんのように慕う叔母さんも、とても良くしてくれた。

それは結婚して数年経った今も変わらない。

子供の幼稚園のこと、成長を見てもらいたくて、すぐに連絡するし、会いに行く。
子供はおじいちゃんが大好きだから、おじいちゃんと出かけることも案外多い。
母親代わりの叔母は、いつも美味しい料理を振る舞ってくれる。
子供を大切に思ってくれて、成長を一緒に喜んでくれる。

コロナでこの数ヶ月は会えないこともあったが、写真を送ったり近況は取り合っていた。

私にはビックリなことなのだ。

だって、親戚付き合いを避けて生きてきた私が、頻繁に連絡を取り、出かけることがあれば「義父さん誘おうか」とか「叔母さんのところ行こうよ」とか、「妹たちと今度の休みご飯食べようよ」とか、「会いたい」という思いが自然と出てくるのだ。

会って楽しい時間が過ごせるから、次も会いたいと思う。

これは当たり前のこと。

そう感じさせてくれる人たち、主人の家族に出会えたことは私の気持ちも変えた。

主人の家族を呼んで、お家ご飯にしよう。
たくさん、たくさん料理を作ることも苦でもない。
とにかくいっぱい、おもてなししたくなる。
楽しい時間を過ごしてもらいたい。そんな思いが強くなっていく。

毎年夏は花火を見るのに家に呼んで、クリスマスにはみんなで集まる。

楽しい時間をこの家族と共有したい。

いつかみんなで旅行をしたいな。その時はここへ行こう。あそこもいいかな。

夢は膨らむ。

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ある人が言っていた。

血のつながった家族との確執がある人がいる。

血のつながってない家族を本当の家族のように思える。

大切にしたいという思いは、人間も動物も、『血』ばかりではないのかもしれない。

そう思った時、私に『本当の家族』が出来た気がした。

大切にしたい人たちがいる。

いつも気付きをくれるhisuiさんの文章にこういう言葉があった。

自分が心から
「 信頼 」できる人達と、
「 大切 」な人達のために、
「 エネルギー 」を使っていく。

この言葉は、私もこの数年すごく意識していたことだった。

付き合いだからと、行きたくないところに無理に行くことも、その時間をもっと必要な人のために、大切な人のために使いたい。
窮屈な思いをし、不必要なエネルギーを使いたくない。
自分の心が喜んでいるか、苦しくないか。
それを自分の心にしっかり聞くようにした。

hisuiさんのこの言葉で私のこの思いは、間違ってはいないのだと確信がもてた。

確かにこの社会で生きていて、自分の都合だけで、自分のわがままだけで生きていけるとは思わない。

でも今の私には守りたい人たちが出来て、大切なひとたちが出来て、その人たちのために自分のエネルギーを使いたい。

そのためにも、自分のことも大切にできるようにしたいと思うようになった。

その考えがプラスに働いている気がする。

これからも、自分の心が本当に求めること、大切に思うことに正直に生きていきたい。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。 夢だった小説家として、沢山の方に作品を読んでいただきたいです。いただいたサポートは活動費と保護犬、猫のボランティアの支援費として使わせていただきます。