『ミッドサマー』を観ても死なずにすんだ
動機
U-NEXTの配信で観ました。
そもそも映画自体めったに見ないし、グロもホラーもまったく受け付けないんですが、キャッチコピーが気になりすぎて見てしまった。
明るいことが、おそろしい
私は形容矛盾したものが大好きで、「重い歌詞をポップに歌う」とか「世界が滅亡するシーンに明るい音楽が流れる」とかに無性に惹かれる。
でも、ネットで感想を漁っているうちに、色んな人が精神を打ちのめされたと書いてて、私なんかが見たら再起不能になるのでは……と戦々恐々していた。
これは8項目中6個当てはまった。
ただ、ヤバい・グロい・怖い以外の感想の解像度が高くて、「これはどうもただのホラー映画ではなさそうだ……」と思い始めた。
直接的に背中を押されたのはこの感想です。
人間関係の薄暗い機微がくっきりと可視化されていて、「見てぇ〜〜」と思わせられた。
観賞
私は血を見ただけでぶっ倒れる体質なので、以下のような対策をとって観賞しました。
- 血が出たら目をそらす
- 音量を最小にする
- PMSの時期を避ける
- 夕食を早めにとってスタンバイ
- 一緒に見てくれる友達がいないので、宅配のお兄さんが来てくれる予定の時間帯に見た(ちょうどダニーが寝取られ泣きするシーンで来てくれた)
こういう邪道な対策が効いたのか、鑑賞後も普通にお風呂に入って眠れた。
映画館だったらたぶん途中退室してたと思う。
感想:ホルガ村のうさんくささ
落ち着いてみると、これって宗教なのか? と疑問に思ったので少し考えてみた。
- 教祖も神も登場しない
- 祖先崇拝はある
- ドラッグによる神秘体験はある
「90年に一度の祭り」が欺瞞であることは色んな考察で指摘されているけど、たしかに古い信仰かどうかは疑わしいと思う。
まず、石碑がピカピカすぎませんか。
屋外にあるのに、苔も生えてないし文字の色も綺麗に残ってる。
まあ、それは村人が熱心に手入れをしてるとしましょう。
もう一つ気になるのは、村人たちの衣装が真新しすぎること。
子どもよりも大人の服のほうがしわしわだったり黄ばんでいたりしそうなのに、全員が同じくらい真っ白な新品を着ている。
これについては「映画のために作った衣装なんだから新しくて当たり前だろ」というメタな反論は受け付けません。
ダニーがホルガ村初日に着ているピンクのTシャツの襟は、ぼさぼさにほつれていた。
わざわざ「着古された服」は着古されたように撮られているからには、あの白い衣装は真新しいものとして撮られている。
少なくとも、あの衣装は村人の普段着じゃないと思う。
そういう目で見ると、やっぱりホルガ村ってテーマパークじみてる気がしてくる。
祭りが終わったらみんな白装束脱いでTシャツジーパン姿で都会に帰っていきそう。
この映画、嘘っぽさの散りばめが絶妙で、重箱の隅をつつくのが楽しくてたまらない。
ジョシュは被害者か
論文をパクろうとしたクリスチャンがムカつくという感想が多いみたいですが、私はジョシュも見てられなかった。
たとえば、ホルガ村に入ったばかりのシーンで、巨人ユミルの話が出た時に「インドにも似たような話が」みたいなことを言ってたのがもう、やっちまった……と思った。
フィールドワーク先で知識をひけらかして、マウントをとろうとしてる。
最悪の出だしじゃないですか。
石碑にずかずか近づいていくところも、本当に知的好奇心に突き動かされてるんじゃなく、仲間が見てるからパフォーマンスとしてやっているように見える。
「お前らみたいに観光目的じゃなくて、おれは真面目な研究のために来てるんだぞ」という威嚇。
クリスチャンの付け焼刃っぷりは分かりやすいけど、ジョシュは一人で専門家ぶって周囲を見下している。
学校で一番頭が良いわけじゃないけど、小さいグループの中では秀才キャラを演じている奴、いるよな~と思って見ていた。
落ちこぼれっぽいクリスチャンやマークたちとつるんでるのも、自尊心を保つためなのかなと邪推したり。
「ジョシュは写真撮っただけなのに殺されてかわいそう」という感想も見かけて、たしかにその通りです。
でも私はどうしても、ジョシュの嫌なところばかりに目が向いてしまう。
だって、一回撮影を断られたからってすぐ隠し撮りに突っ走る奴が、「自分は努力してきた」なんて言っても、信憑性が無い。
どうしてこんなにジョシュに対して言いがかりをつけるのかというと、私自身がそういう性格の悪~い大学生だったからです。
完全な投影です。
私もホルガ村に行ったら畑の肥やしになります。
火葬
ぼんやりと、キリスト教圏は土葬が多くて火葬はイレギュラーという認識がある。欧米の人があの火葬シーンを見たとき、私が感じるよりもっと強く異教的なイメージを持つのかもしれない。
それにしても、祭りで結構な数の人間が死体になりますが、最終日ににみんな燃やされるのは本当に理にかなってますね。
火葬するのは輪廻転生を信じているから、という説明も考えられるけど、あそこまで他殺体ばっかりだと証拠隠滅シーンにしか見えない。
そういえば、小野不由美『屍鬼』も村人総出で死体を燃やす話だった。
「共同体のホラー」という点ではホルガ村と似てるといえなくもない。
めちゃくちゃ長いから徹夜覚悟でどうぞ。
ダニーの将来
ある可能性を思いついてしまいました。
ダニーは、マヤが産んだクリスチャンの子どもを一緒に育てるのでは。
新しい命はクリスチャンの生まれ変わりだし。
そう思うと、最後のダニーの笑顔って「クリスチャンが無垢な子どもに生まれ変わってくれるのが嬉しいから」だったりして。
あと、ダニーが大学に戻って来なくても、誰も探しに来てくれないだろうというのが想像できてしまって悲しい。
家族も恋人も友達もいなくなってしまったからね……。
あーそうか。全員死んだからダニーはやっと笑えたのかもしれない。
そもそも、ダニーにとっては家族も恋人も友達も負担だったんだから。
あの笑顔、私にはやっぱりすがすがしい顔に見えてしまうなあ。
絵の順序
オープニングのこの絵、私は左←右に読んでたんですが、他の方の考察を読んで逆だと気付いた。
これってストーリーは左→右に進んでるけど、季節の進み方は左←右じゃなくていいのだろうか?
ホルガの人生のサイクルは春夏秋冬で進むはずなのに、絵は冬から始まってるのが変な感じがする。
単純に、冬至と夏至を両端に描いただけかもしれないけど。
ここでペレに「死である冬至から、生の象徴である夏至へと向かう、再生を描いてるんだよ」とか説明されたら納得しちゃいそうだな。
ちなみにラブストーリーのやつは左←右に話が進んでる。
まあ、ルーンの書字方向ってどっちでもいいらしいから気にしなくていいのかもしれません。
で、次なる疑問としては、オープニングの絵を描いたのは誰なんだろう?
①ルビン
②ルビンじゃない誰か
まず、①最初の絵の作者も、ホルガ村のタペストリーを描いたルビンだと仮定してみる。
するとルビンがこの絵を描いたのはいつなのか。
まさか、すべてが始まる前に描いた?
いちおう、ラブストーリーのタペストリーは、マヤとクリスチャンの「神聖な」儀式の前に飾られている。
それを踏まえると、オープニングの絵も事前に描かれたのかもしれない。
すると、この物語そのものが、ルビンの聖典=絵を現実になぞろうとした壮大な再現劇ということになってしまう。
リスクたっぷり命がけの再現劇だけど……。
あるいは、ルビンが今回の祭りを見届けた後に描いた絵だと仮定する。
そうすると、ルビンの人間観察と状況把握能力がめちゃくちゃ鋭いことになりはしないか。
ペレを笛吹男に見立てたり、マークに愚者の帽子をかぶせたり、けっこうな皮肉が利いていると思うんだけど……。
もしも、ルビンがこのすっごい恣意的でブラックコメディじみた絵を描いたなら、彼が無垢であるわけがない。
②ルビンじゃない誰か
気になるのは、オープニングの絵とホルガ村のタペストリーの画風がちょっと違うこと。
実際には、最初の絵はム・パンという画家の作品だそうです。
一方、ホルガ村に入ってからあちこちで目にするタペストリーは、ラグナー・パーソン(を中心とした複数人の)画家が描いたらしい。
もし、ラグナー・パーソンの絵をルビンの絵とするなら、ム・パンが描いたオープニングの絵は「ルビンではない誰か」が描いたものだ。
そういえば、ダニーの家には他にもム・パンの絵が飾ってあった。
祭りに行く前からダニーたちと交流があって、劇中で絵を描いていた人物といえば、ペレ、おまいだったのか……。
ルビン
この名前で連想したのが「騙し絵」だった。
あと、アール・ブリュットという言葉を思い出したりもした。
この明るい狂気、何かに似てるなと思ったらヒエロニムス・ボスだ。
この記事が卓見すぎてしばしば読み返している。お勉強になる。
嗜好品と仲間意識
花と笑顔と葉っぱで思い出したのがこれだった。
嗜好品って好きで摂取してる人もいるんだろうけど、同調圧力に流されて摂取してしまう面もあるんだろうな。
私はタバコ勧められたことないけど、男性同士だったら断るの大変そう。
あと、自分が吸わないからこそ、他の人が吸ってても「やめて」って言いづらいという心理もあるかも。
私は一滴も酒を飲まないので、飲み会のときにしらけさせてしまうのが本当にいたたまれない。ノンアルコールビールの需要ってそこなんだろうなと思った。
大草原
儀式から脱走するクリスチャンの爽快な姿でこれを思い出してしまった。
全裸疾走コメディから血の鷲への急転直下が効きすぎ。
グロとホラーとサスペンスでいっぱいいっぱいなのに、ギャグ要素まで入れてくるなんてすごいサービス精神だ。お腹いっぱいで消化しきれないよ!
サイモンとコニー
ホルガの村人は同性同士は結構べたべたしてるけど、異性と接するのは避けているように見える。
村人からすれば、異性同士で腕を組んだりするサイモンとコニーのほうが野蛮に映ったのかもしれない。
所感
見終わった感想としては、これが一番近い。
警戒心ばりばりで観ても、やっぱり感情はぐちゃぐちゃにされました。
でも、鬱映画じゃなくて「躁」でした。
この方は「癒し」と表現されているけど、私は「未知の感情を味わわされてしまった!」という興奮を感じた。
見てはいけないものを見てしまったけど、死なずにすんで本当に良かった。