『荒神』がいる近世史

時は元禄。
いわゆる「生類憐みの令」で知られる五代将軍・綱吉の治世である。

舞台は永津野藩・香山藩という架空の藩。
巻頭地図によれば、現在の福島県中部に位置する。

この物語は群像劇として、複数の人物の目線で語られる。
永津野藩の筆頭家老の妹・朱音、香山藩主の小姓・直哉、藩境を越えた農民の少年・蓑吉。

こうした時代劇としての設定のうえに、怪異が出現する。

しかし、それは同作者の『三島屋変調百物語』シリーズのような江戸怪談ものとはまったく違う。

『荒神』の怪異は、妖怪や怨霊ではない。
それは白昼堂々出現し、家や建造物を盛大に破壊する。
物理的に確固として存在する「怪獣」なのである。
作者インタビューでは、この作品が怪獣ものであることが明確に語られている。

特撮時代劇

寡聞にして知らなかったが、特撮時代劇というジャンルは1960年代から作られているようだ。
上記インタビューによれば、その延長線上にあるのがこの『荒神』ということらしい。

読者の方には、それこそ60年代の映画『大魔神』のような、昔の特撮時代劇の持つレトロな雰囲気を楽しんでもらえたらという気持ちがあります。

この『大魔神』の、巨大生物に向かって武士が火縄銃を打ち、城郭が破壊され、村人が逃げまどうという強烈な映像は、本作中の砦のシーンとぴったり重なる。

あの砦のシーン、私には分かりにくかった。
宮部みゆきの文章は現代日本でもっとも上手いので(主観)、理解できなかったのは私のほうに原因がある。

それは、私が特撮怪獣をほとんど見たことがなかったからだ。
あのシーンを映像作品として見るための素地を持っていなかったのは、もったいないことだったと思う。

生類憐み

この作品は特撮の要素もあるが、もちろん時代劇として歴史と照らしあわせる楽しみもある。

とくに、徳川綱吉の治世下という設定がよく活かされていたように思う。
いわゆる「生類憐みの令」はよく知られているが、狼や熊などの害獣さえも殺してはならなかった。傷つけないように追い返すのである。

では、人を食う怪獣であっても、殺してはいけないのではないか?

そういう問いは机上の空論のように思えるが、「生類憐み令」の時代に生きた人々にとっては現実の問題だった。

改易

作中では綱吉が改易を連発し、諸藩が怯えているようすも描かれている。
たとえばこの時期、忠臣蔵のモデルとなった赤穂事件が起きており、陸奥でも窪田藩、大久保藩が改易されている。

お家騒動の火種を抱えた永津野藩・香山藩という設定は、架空のものではあるが綱吉期の時勢でもあった。

磐梯山

物語の地理的な舞台である大平良山・小平良山は、活火山だろう。
源爺が語る異臭などは、火山ガスの特徴に似ている。

福島県内の活火山としては、磐梯山、吾妻山、安達太良山が挙げられる。

このうち磐梯山には、小磐梯という峰があったという。
小磐梯は1888年の噴火で崩壊したため現存しないそうだが、1700年頃の会津では、二つの峰が並んで見えていたことだろう。

さらに、磐梯山には巨人の伝説もあるらしい。
手長足長という魔物を僧侶が退治したという話だ。

山にはだいだらぼっちなどの巨人譚がつきものだが、そういえば大太良山も「だいたら」と読める。

その巨人を倒した後、徳一法師が会津五薬師を建立したという。

これらは作中で光栄寺に祀られていた薬師像のモデルと思われる。

また、作中の山岳寺院である妙高寺は、会津五薬師をまつる慧日寺を彷彿とさせる。

比定地

私は、永津野藩の城下は奥州街道沿いにあると推測する。
作中で、永津野藩は盛岡藩・一関藩と交流があることが示唆されているからだ。
陸奥諸藩は参勤交代で奥州街道を使い、永津野藩領を通過していると思われる。
奥州街道沿いの城下町は白河小峰、二本松、福島の三つ。
それぞれ白河藩、二本松藩、福島藩の政庁である。

永津野藩・香山藩が陸奥と下野の国境付近にあるという描写から、位置的には白河藩がもっとも近いように思う。
ただ、白河藩は綱吉在位中に藩主が変わっているが、いずれも松平氏(親藩)であるため、作中の描写そのままというわけではない。

一方、香山藩は奥州街道を利用せず、会津街道を使って下野経由で江戸に出ていると思われる。

ただ、石高三万石程度というのは二十万石を誇る会津藩とは異なる。
瓜生氏の家紋が引両紋であることから、足利氏との関係がうかがわれる。

永津野藩・香山藩の設定は、当時の近隣諸藩のどれにも似ていて、どれにも当てはまらない。
「実際の場所が特定できないように書かれている」のだと思う。
単に私の知識が足りないだけかもしれないが。

土御門

登場する怪獣は土御門様と呼ばれる。
作中では一貫して「土人形」という意味で用いられているが、陰陽道の宗家として知られる「土御門家」のほうが有名だと思う。

土御門家は安倍晴明の末裔である。
とくに、徳川綱吉の治世下では全国の陰陽師に免許状を発行したり、暦を作ったりする権限を与えられていた。

双子

福島藩主だった堀田氏は、徳川綱吉の側近・堀田正俊の嫡子であり、双子である。
また、綱吉以降であるが、二本松藩では人口対策として双子に対する奨励金を支給し、実際に双子の登録数が増えているそうだ。

双子、福島というキーワードから連想しただけで、これといった考察は無いのだけど、とりあえずメモしておく。

所感

たびたび解説されているような、怪獣=原発の暗喩という読みかたは、私は面白くない。

あれを神仏や妖怪のようなコンテンツに仮託するのが単純に好きではない。ましてや、天罰だとか陰謀だとか、自分の都合に合わせた解釈をするのは嫌だ。

私にとってこの小説の面白さは、近世史に怪獣を出現させたという一点にある。

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