友達と物を捨てる勇気(哲学)
歳をとると友達も物も必要がないというよりは、友達に会える機会も体力もなくなる。物があっても使い道がない。今の自分にはガラクタになってしまう。
それでも、友達や物に執着しているのが高齢者。
寂しいからだ。
友達も物も老いた自分の過去の遺産と栄光になっているからだ。
友達といっても、歩いて遊びに行くにも歩けない。
耳が遠くて電話で長話もできないのが常になる。
着飾って出かけることも無い、装飾品や靴や服を持つ、来るかも知れない来客の為に無駄に溜め込んだ、食器や食料品が戸棚に何年もある。
挙げ句の果ては、ホコリだらけのモノだらけの不衛生産物となり、ゴミ屋敷のような部屋に住んでいる高齢者は多い。
(仕事上、そのようなお宅に送迎に行く)
この家には誰もこない、この家の住人は、出かけて友達に会いにいくこともできない。
デイサービスに週3回行くことが
外出する機会である。
デイサービスで手作りの手芸や
絵を描いたものが、玄関に飾ってあるが、それも量が増えて、玄関の棚は飾るというより、物置となっている。
スッキリすることを選べない、
必要と不必要の判断ができない、
過去に執着し、手放すのが寂しい。
全部無くすことは死を意味する。
無意識のうちに生きることの執着が、物を溜め込むことになる。
もう会えない友達だちに執着するから、いつか会うための服や品を
溜め込むのである。
全ては執着心である。
そんなものは捨ててしまえ!
と言われても、怖くて仕方がない。
死ねと言われる比喩になるから。
色即是空 空即是色🙏#