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退職エントリ? NTT退職してNTTにジョブ型的で再雇用。


今更ですが、本年もどうぞよろしくお願い致します。今年は去年失速した分、ゆっくり目でもコンスタンスに書きたいと思います。

前回の終わりに年明け一発目はマイナンバーと学校教育の絡みを書こうかと思っていましたが、年明けに立教大学中原先生の記事があり、自分に通ずる部分があったので、そのことを通じて書いてみようかと思います。
恥ずかしながら自分語りで長文になっていますので、お時間があるときに読んでもらえたらと。

"ジョブ型雇用への意向 問われる教育機関の対応"

中原先生の記事というのは以下の教育新聞のものです。

上記の記事、購読者限定なんですよね。残念。
産業界全体が「メンバーシップ型雇用」から「ジョブ型雇用」へと変化しつつあるなか、教育機関はどう変化に対応していくのか、という話です。「メンバーシップ型雇用」から「ジョブ型雇用」については以下で比較などもあるので御覧いただけたらと。

その中原先生の記事のなかで「自分に通ずる部分があるかも」と感じた部分は以下のところでした。

個人的には、メンバーシップ型かジョブ型かは二者択一ではなくて、日本型のものが見い出されると考えている。例えば、スキルがない若者はメンバーシップ型で雇用され、30歳40歳になったらジョブ型雇用に転換するといったことが落とし所になるかもしれない。だが、なるべく早く仕事を学んで、いかに貢献するかが問われる時代になっている。 (中略) 文系でも例えばコンサルティングや人事系、経営企画系といった職種では「経験を買う」就業が増えて、兼業するようなことが当たり前になっていく。

最初はメンバーシップ型で雇用、途中でジョブ型に転換、文系でも兼業する。「全部当てはまっているじゃん」と。

2020年末にNTT Comを退職しました

私は人から「会社を辞めそう」と言われることが多いです(笑)。それはもう毎月誰かから言われている感じ。
NTTコミュニケーションズ(長いのでNTT Comと。TとCに間にスペースを入れないと注意されますw)、というより「NTTっぽくない」とずっと言われるのでそれが原因なのだと思います。NTTっぽさって何だよ、って感じですが。

なのでそういった皆さんのお声を踏まえ、2020年12月末でNTT Comを退職しました。新卒採用から、えーと何年だ?(指折りで数えること2回ぐらい)
NTT Comには在籍19年9か月、本当にお世話になりました。

NTT Comは様々無礼千万だった自分を、生暖かく受け入れてくれた良い会社です。
年末の仕事納めで社長が各部署を回って挨拶回りして社員と懇談する場があるのですが、昔は無礼講という社交辞令を真に受けて、毎年社長をイジり倒したりしていました。最初の年は軽い注意でしたが、翌年は小部屋に連れ込まれて偉い人から叱責を受けたり、翌々年には近づけないようにその偉い人に妨害されたり...。メチャクチャやってもクビにはならない暖かい会社です。各社長もすごい笑ってくれてたのになぁ(目は笑ってなかったかも)。

冗談さておき、NTT Comでは色んな経験をさせていただきました。どんな仕事をしていたかと自分なりの転機を簡単に書いてみます。

学生時代のブラックバイトの経験(職歴じゃないけど)

最初にNTT Comの仕事ではなく学生時代のバイト経験を少し書いてみます。この経験も結果として良くも悪くも影響を及ぼしているので...。
学生時代は勉学さておき色んなバイトをやっていましたが、某●通信でのアポインターでの経験は強烈で、その紹介です。
●通信 ブラックって検索すると不思議と会社名が...。今は白化していると良いですが…。

当時の●通信は(今もかもですが)、成果主義で歩合の割合が多い。部署の責任者は、月末は目が血走り怒声は当たり前(でも目標達成すると大盤振る舞いで奢ってくれる)。
目標値が書かれたハチマキ(「焼き尽くせ1000回線」とか書いてある)をしている社員がいたり、営業成績が低い社員が腕立て伏せをさせられていたり。
バイトも成績悪いと激しい叱責があったり、シフトに入れなかったり。毎月100名ぐらいバイトを雇うのですが、1か月後に残るのは3~5名という過酷な職場でした。
ジョークみたいですがそんな仕事もあるんです。ここにはとても書けないエピソードも多数です(苦笑)
私はここで半年ぐらい勤めていて(半年でかなり長い方)、実はNTT Comに入社時よりバイト時代の方が収入が多かったぐらいです。色んな意味でメンタルを鍛えられました。
通信会社と営業職は避けよう、とその頃は思っていました(通信会社の定義が間違っていたようで、数年後には通信会社の営業になるのですが、、)。

就活時代はこの手のエピソードを話していて、NTT Comの面談でも話をした記憶があり、入社できた1つの理由だったかもしれません(コイツ、メンタル強そうだな、と。)
ヤバい部分を知っていると色んなことに耐えられる、というのがこの経験の一番有用な部分だったかもしれません(オススメできないですが、、)。

入社3年ぐらいはネットワークサービスの企画⇒中規模法人営業

そして2001年に新卒でNTT Comに入社。最初の3年は以下みたいな感じです。

2001年
NTT Comに新卒入社。法人向けネットワークサービスの企画業務として初期配属。通信会社なんたるか、社会人なんたるかを学ぶ。なかなかヒエラルキーのキツい部署でしたが、●通信と比べたら楽勝。怒鳴り散らす部長とか居なかったし。

2002年
中堅法人営業を担当する部署に異動。超パワハラ上司のせいで、チームの半分がバタバタ逝くような職場。(昔はこういうのもあり、、今は見かけなくなりました) でも●通信と比べたら楽勝。売上悪い営業マンが腕立てさせられたりしないし(当たり前)。

2003年
在日米軍の担当営業に。営業成績良くて抜擢されたらしいがTOIEC380点の自分を登用する節穴ぶりに驚愕。英語堪能な先輩エンジニアとエキサイト翻訳(この頃はGoogle翻訳ではない)のお陰で乗り切る。
パワハラより英語の方が辛かった...。

2004年の途中に公官庁を担当する営業部門に異動し、文部科学省の担当に。NTT Comは3~5年ぐらいで異動することが多いのですが、2004年からずっと部署名やミッションは変わっていますが、16年間異動せず。教育分野を担当することに。

4つの転機。出産。100億。国プロジェクト。起業。

2004年から文部科学省担当になったのですが、当時は大きなプロジェクトが終わった後で、NTT Comとしては教育分野の収入が全くのゼロの状態でした。
そこから色んな案件をガムシャラにやっていた感じです。文部科学省の電話回線の刷新、国家公務員社員証のICカード化、原子力系のネットワーク。
放課後の子供の居場所を作るプロジェクトでは、通信会社とは思えない何でも屋仕事で、任意団体を設立し、全国数百か所のボランティア手配やイベント運営、保護者説明や子供が学ぶためのソフトウェアの開発まで、なんでもかんでもやっていました。この時の「何でも屋」としての経験は、後の国実証のPM仕事でも活きているのだと思います。

そんな中で、自分にとっての1つ目の転機は娘の「出産」でした。2005年に娘が産まれたのですが、妻の出産に立ち会って人生観が変わりました。
「出産」という「仕事」の凄さに衝撃を受け、変な言い方かもですが「偉業とはこういうことなのか」と感じました。妻を改めて超尊敬しました。
そして比較すると自分の仕事はクソだな、と。
同じレベルの仕事は無理でも、競合に勝った負けたではなく社会にとって価値があったかどうか、を問えるようなマシな仕事をしよう、と。

一方で、会社に育ててもらっているところもあるので、借りを返す意味でも「100億円売り上げたら会社で好き勝手やろう」と勝手な目標を立てました。別に最初から好き勝手やれば良かったのですが、どうにも根は社畜なところもありまして...。
その後、スクールニューディールの大波なんかもあって、2010年に自身の営業成果として累計で100億円を達成し、晴れて(精神的に)自由の身になりました。ここが2つ目の転機でしょうか。売上をあげていきながら、少しずつ目指す姿の形を描いていっていました。
2010年末ごろに作成した今後の目指す姿は以下です(年末の書類整理の際に発掘されました)。

「2020年で300万人が参画するプラットフォームを」と書いてあるのは、まさにまなびポケットに向けてのことですね。実際はここからサービス化まで7年を要する訳ですが、、、
市場環境の予測も書いてあり、GIGAスクール的な1人1台整備は2014年から6年かけて行い、学習者用デジタル教科書と同時整備を予測していたようです。また、クラウド・バイ・デフォルトやローカルブレイクアウトのことも2017年前後で予想していますね。この辺は時間軸がズレています。

そのまなびポケットへの導線となったのが総務省が2014~2016年に行った「先導的教育システム実証事業」です。この事業が3つ目の転機です。

ここで計30社超100名超が参加した事業でプロジェクトマネージャーを務めました。100校以上でクラウドベースでマルチOS/ブラウザの学習環境の実証ですので、酸いも甘いも色々ありましたが(本当に理不尽なことも多々ありました...。)、GIGAスクールのクラウドベース・格安端末の導入には大いに繋がった事業なのだと思っています。

この仕事を通じた様々な立場の人たちとの出会いが転機になりました。これまでの仕事と違い、国の政策ということで官僚とのやりとりも深く、政府の中枢で必死に働く様々な企業や団体の方々との関わりや、政治家の方々への対応、さらにベンチャー企業やNPOなど社会的企業の方との協働によって、自分をかなり更新することができ、視座の高さ・視野を広さを学ぶ機会になりました。

この事業の延長として、NTT Comという会社でまなびポケットというサービスが生まれ、私自身は2016年にNTT Comに勤めながら自身の会社を起こすキッカケにもなっています。ここが4つ目の転機でしょうか。

世間的にはまだ副業・兼業が奨励されるような状況ではなかった時期ですが、NTT Comに在籍しながら会社の承諾も得たうえで起業し、BANSHOTというサービスの開発・提供し始めました。

従業員もほぼいないも同然なので経営をしたってほどではないですが、会社を運営するとしないとでは見えるものも違いました。お蔭様でもう4期目ですが黒字で生きながらえています。

大分長くなりましたが、NTT Comではこんな感じで色んな経験をさせてもらいました。NTTは世間一般が思っているようなお堅い面もありますが、やろうと思えば色んなことができる可能性がある会社のようにも感じます。
「やろうと思えば」というのが肝なのかもです。「主体的・対話的で深い学び」も、源は「主体的」にあるのだと私なりには捉えています。

そして2021年にNTT Comにジョブ型雇用で再就職

で、最初のタイトルで出オチになっていますが、2020年末に退職したと言っておきながら、今もNTT Comに在職し、同じミッションで仕事をしています
ただ、雇用形態はジョブ型的な雇用に変更しました。退職・再雇用と建付けでクラスチェンジした感じです。
NTT Comの人事制度としては「アドバンスド・スペシャリスト制度」と言われているものを活用した格好です。

記事のように年収3000万円にはなっていないので、タカリにはこないでください(笑)。
メインは専門職向けなのでエンジニアが主なのかもですが、自分のようなセールス・マーケティング寄りでも専門性の有無で適用されます。

私の現業はスマートエデュケーション推進室に所属し、「誰もが自分らしく学べる社会」の実現に向け、まなびポケットのプロダクトオーナーを務めつつ、色々諸々やっている感じです。
これまで培ってきた自身の専門性を活かすのであれば、雇用条件に仕事内容やミッションが明記されているジョブ型の方が適していると考えて、雇用形態を転換しました。
想定収入もUPはしていますが、評価に依存するので場合によってはこれまでを下回ることもあります。
でも、これまで以上に目標設定などが明確化しており(こう書くと会社に怒られそうですが、これまでの雇用形態の目標設定はある意味で形骸化している面があり)、自分には合っているのかな、と思っています。

なので、引き続きどうぞ、よろしくお願い致します!

おわりに...。学習者中心と労働者中心。

自分語りで大分長くなってしまいました。新年早々に需要がないエントリなので申し訳ないです...。
でもnoteではプロフィール記事を書いてタグ付けするとバッジがもらえるようです。この記事は今更の自己紹介を兼ねているのでプロフィールとしてタグ付けしておこうかな。

1月からの自分の雇用形態でもあるジョブ型雇用は、とにかく良さそう人を集めてプールされている仕事を当て込む「メンバーシップ型雇用」と違い、労働者のスキルと会社が求める仕事がマッチしたうえで初めて雇用が成立する形態です。
学校教育分野では「学習者主体」という言葉を目にする機会が多くなってきましたが「ジョブ型」はある意味で「労働者主体の雇用形態」ともいえるものです。

産業界にも教育分野にも、大きな社会的変化がそれぞれの形で表れてきている、と言えるのだと思っています。
会社や学校、国や地方公共団体、自治会や趣味の集まりなんかも含めて、あらゆる組織と個人の立ち位置が変わり始めているのだと感じています。

GAFAが行っている企業による公告中心の経済活動を「アテンションエコノミー」と呼び、対比して個人の意思に基づく経済を「インテンションエコノミー」と呼ぶ人もいましたが、Society5.0という技術起点の議論の本質はこの辺りにあるのかな、とか思っていたりします。
こういう社会の方が個人的に好きなので、そちらに傾けていくための活動を今後もしていきたいと思います。

それでは長くなったのでこの辺で。
次回は前回予告していたマイナンバーと学校教育のことを書いてみたいと思います。ちょうどその内容も根底にあるのはインテンションエコノミーの発想だったりするので、良かったかもしれません。

ではまたー。

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