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サバイブマガジン(死にたい人に送る無料のメールマガジン) | サンプル(Vol.2 新春特別号) | tzubasashimizu.com

死にたい人に送る無料のメールマガジンとして発刊しました「サバイブマガジン」のサンプルです。2021年の新春特別号の内容を公開しています。実際のメールマガジンには購読者限定で見られる袋とじもあります。
冒頭の写真以外にも、メルマガにはたくさん写真を載せてます。

死にたい人へのメッセージである、本メルマガの序文もnoteに掲載していますので、メルマガに興味をもたれた方は、そちらにも目を通していただければと思っています。

1. 新春特別付録


明けましておめでとうございます。メルマガを始めた当初からこういう企画をしたかったのです。雑誌の豪華付録みたいな感じです。読者一桁しかいないんですけどね笑。

※これに続く内容はメールマガジン購読者にのみ公開しています。

2. 近況報告

改めまして、新年明けましておめでとうございます。西暦2021年になりました。創刊号でマイニューイヤーは冬至であると書きまして、それはそれで自分の中でひっそりと大事にしてはいますが、僕は郷にいれば郷に従うこともまた大事にしています。声高に新年は冬至だと叫んでも、それが天文学的にはしっくりきたとしても、やはり世間というものがあるのです。(恐るべき世間というやつです笑)

僕はインドに半年ほどいたときは、初日から右手で食事をし、左手でトイレの処理をしましたし、アメリカに1年半いる時は、周囲の日本人が時に醤油の味を無性に渇望しているように見受けられる中(それが為に美味しくもない日本食を食べにいく中)、僕は日々の自炊でも日本的なものを必要としませんでした。味付けは塩ベース。みんな味噌とか納豆とか買ってましたね。後者はあまり郷に従うとかと関係ないですけど。

郷に従うというか、あまりこだわりがないんですね。どうでもいいんです。でも、高校卒業前くらいから20代中盤までは基本的に長髪でして、こだわっていましたね。こだわってるじゃん。レッドツェッペリンを皮切りに60、70、80年代のロックミュージックに傾倒してからは、長髪であることが僕の一つのアイデンティティでした。長髪だと働けるバイトが著しく限られるのですが、髪を切るくらいなら働かないくらいの気概でしたね。そのせいで、雇ってくれるようなところは何かとブラックな企業でした。

ある時、沖縄は西表島でキビ狩り(サトウキビの収穫バイト。旅人たちの定番バイト。ドレッドでもなんでも働けます。ある種の奴隷労働的であり、プランテーション的なものの名残りです)をしていた時に、とあるオジーから「日本人だったら髪を切れ」と言われ、心の中で日本人は100年ちょっと前までは長髪が普通の国民だったじゃないかと思ったものです。

いつからか、長髪は自分で散髪するのが楽で安いという実用的な理由に成り下がり(後ろで縛って、ハサミで一刀両断みたいなことをしてました)、洗髪を考慮したら坊主の方が楽かもと思いたってバリカンを買ってきて丸坊主にしたんですが、すっきりして気持ち良くなって、東京荒川の河川敷をランニングしに行ったら、ちょうど土曜日だったこともありサッカー少年団が練習試合をしてまして、その時サッカー少年に「うわっ、坊主、怖っ!」と言われたんですね。

我が国の伝統としましては、長髪は武士の髪型ですし、坊主は僧侶の髪型です。しかし現代の世間のスタンダードでは、前述の通り、長髪だと職が限られます。ただ僕が最初に働いた会社は長髪はOKだけど、坊主はNGでした。それは坊主は顧客に威圧感を与えるという理由でした。いつかの日本の伝統的髪型は、かつてのようには世間から受け入れられないのです。

日本の神々も長髪です。長髪は野蛮人の髪型だという概念を持ち込んだのは西洋文化でしょう。彼らにとっては短髪であることを含めた、よく整えられた身だしなみが文明的であったわけです。しかし別の文化では短髪は労働者の髪型です。仏教僧が髪を剃ることになったのは、当時のインドでは剃髪するのは重罪人だけだったからだとも言われています。髪の毛なんかに執着しないで、囚人の髪型をしてみろ、ということです。インドの神々も日本同様長髪ですし、労働に従事しないからこそできる高貴な髪型と言えます。長髪だと何かと邪魔ですし、暑苦しいです。結んでいても、前髪がなんとなく落ちてきます。そこでチョンマゲ、すなわち額の上部を剃り上げることで、お侍さんは前髪の煩わしさを取り除くことに成功していると思われます。決闘の最中に前髪を気にしてられません。

かつてはこだわっていた長髪を卒業してからは、やっぱりなんか楽になりましたね。僕は。凝り固まるのは疲れるんです。肩が凝って疲れるのと似ているような気がします。最初は自分らしさのためだったのかもしれませんが、次第にその自分らしさの奴隷になっていくことって結構あるんじゃないかと思うんですね。自分らしさを手放した時、まっさらな自分らしさが表出していく。みたいな。変化しないっていうのは、生物的に無理があるんだと思います。仏教では諸行無常と言います。あらゆる事象は常ならんのです。銀河系も、生態系も、循環器系も動き続けています。最近、一箇所に止まっていたので、僕も移動に駆り立てられているように感じます。20代はどこにも落ち着かず、30は落ち着こうと思って島根の山奥に至ったわけですが、そういう気質ではないのかもしれないと思い始めています。時に台風が海をかき回してリセットボタンを押す、みたいなのが野性的、本質的なのかもしれません。人も。という、定まらないことの言い訳。

なんの話をしているのでしょうね、そうです、自身の信条というものがあっても、こだわりは程々に、世間の波にもうまく乗ってしまう方が楽だと思うんです。ある種の本音と建前です。自己防衛です。インターネット上と、リアル世界で、別人格を作っているようなものかもしれません。システムの気に入らなさに気づくたびに、革命を起こしていたら大変です。気質は気質で大事にしながらも、うまいことやっていくバランス感覚が求められます。それこそが多様性だとも思えます。

目まぐるしく変化する世界において、こだわりに執着することは足かせとなり得ます。そのこだわりが受け入れられる集団の中では存分に発揮してもらって構いませんが、それをそのまま世間に持ち込むと争いの元にもなりかねません。いつの時代も、イデオロギー同士が衝突して、人はいがみ合います。多様性という思想は、多様性を受け入れられない人々を、受け入れられるのか。どんなに正当性ある論理でも、押しつけられたらいい気はしないのが人情です。僕も押し付けられるのはまっぴらです。

やはり強制ではなく、任意であるべきです。押し付けない。受け入れられたら嬉しいけれど、受け入れられなくてもいい。どっちでもいい。そこには許しがあります。許しによって解放するのです。アーレントは『人間の条件』でこう書いています。

「人びとは、このように自分の行う行為から、絶えず相互に解放されることによってのみ、自由な行為者に留まることができるのである。」

自由な行為者であることは、人間一人一人が、独自な、ユニークな存在であることを担保します。そしてその一人一人が、世界に今までにない新しい風を引き込むのです。アーレントが「人間は、ほとんど不可能な事柄をなしうる」というのはそういうことです。僕にしかできない、あなたにしかできないことがあるのです。あなたが不可能を可能にするのです。

そして、その根底には許しがあります。許すことで、他者を縛らないのです。世界を変えるのではなく、自分を変ければ世界が自ずと変わる、というのはそういうことなのでしょう。自分のこだわりをそこそこに、他者に押し付けず、自由に羽ばたかせてあげるということ。そうすると、その他者はユニークな存在として最大限に輝ける可能性を得るのです。いえ、むしろ、輝いてしまうのです。それが許しのすごいところだと思います。許し合って羽ばたきあうのです。

話がいつの間にか壮大になってきましたね。この章を結ぶ前に最後に一つ。他者を許すことはもちろんですが、自身を許すことをお忘れなく。解放して、自由になって、ユニークな存在として、2021年に踏み出していきましょう。お互いに。

3. 我が家のニワトリのこと

本メルマガでも何度か言及したかと思いますが(序文かな?)、我が家にはニワトリがいます。スーパーや直売所で買ってきたり、友人からもらったりした有精卵を孵化機で孵して、ヒヨコから育てています。ニワトリというのは品種改良の賜物です。何種類も掛け合わされて、たくさん卵を産んだり、肉付きが良かったり、成長が早いなどの特性を備えた品種が世界の食卓を支えています。人間に当てはめると優生思想的でもある発想が、食糧の現場では普通に行われています。ある意味では優生思想に人間は支えられているということになります。生命倫理のなんと複雑で難しいことでしょうか。

話を戻しまして、例えば赤玉の卵を産むニワトリに「ボリスブラウン」というのがいますが、企業秘密のあれやこれやを掛け合わせて生み出されます。アメリカのハイライン社が開発しました。なので、そのボリスブラウンを両親にもつ有精卵を孵化させると、企業秘密の掛け合わせの祖先の血が現れてきまして、全然違う色のヒヨコが生まれてきます。

友人からもらってきた、自然養鶏の有精卵ともなると、烏骨鶏とかもミックスされてくるので、本当に多様な見た目のヒヨコが生まれます。成長とともに出現するトサカの形も多様で、羽の色も生え替わりとともに変化していきます。

ニワトリの性別につきましては、超熟練の職人レベルなら生まれてすぐのヒヨコを見て判断できるらしいのですが、素人には全くわかりません。オスの方が大きめで、性格が粗めで、トサカが大きめで、など色々とありますが、目安でしかないのです。品種改良によって、オスとメスのヒヨコで色分けしたりしているようですが、自家で孵化させる場合は、もうわかりません。
ニワトリは闘鶏という文化があるだけあって、元々喧嘩っ早く、オス同士は争いが絶えなかったりするので、あまりたくさん飼うことは普通はしません。一般的に売っている卵はそもそもメスだけの環境で産まれた無精卵です。ニワトリは生理の排卵としても、卵を産むのです。なので、オスはどっかのタイミングで食べることになります。そうしないと、結構場所も取るし、食事量も多いですからね。むしろ、安心安全の食肉の自給も養鶏を始めたきっかけです。

さて、あとは食べるニワトリがオスであるとわかる必要があります。なんとなくオスっぽい、までしかわかりません。あくまでも鳴くまでは。コケコッコーが本当に奥深いということが、いろんなヒヨコを育てて半年たった今、少しづつ分かり始めています。

実は、孵化させたもの意外にも、烏骨鶏をオスメス二羽づつもらい受けてまして、そのオスが鳴くのを毎朝聴いていました。1羽は1歳、もう1羽は齢半年でもらってきました。ニワトリの鳴く順番は、集団のヒエラルキーに準じます。1歳の方は非常に伸びのある鳴き声でコケコッコー。半年の方は、最後のコーをつまらせてしまったり、音をシャープしてしまったり、逆にフラットにしてしまったりと下手でしたが、次第に上手になっていったのです。犬とか猫とかは子犬や子猫なりに鳴きますが、ニワトリの場合は練習の賜物なんですね。

我が家で孵化させたニワトリで最初に鳴き始めたのが、産まれて3ヶ月くらい時点になった通称、白ピヨでした。兄弟の茶ピヨも追いかけるように鳴き出しましたが、白ピヨの方が上手でした。

そんな白ピヨも、最初は絞り出すような異音から始まり、次第に、「オエ」から「オーエオ」へ進歩していきました。声量は全然出ていません。「オーエオ」を一週間ほど続けると、「オーエオー」と伸びるようになり、鳴き声もどんどんクリアになっていきました。

ニワトリは明け方に鳴きます。盛っている時などは昼間にも鳴きますが、基本は明け方です。そして1日に10回とか20回もないくらいしか練習のチャンスがありません。その中で少しづつ上達していくのです。

三大テノールのうちの二人はスペイン人です。以前少しだけスペイン語の授業を受けていたときに(もう何も覚えてません)、先生のパコが「スペイン人は勤勉じゃないから楽器みたいに一日中練習しないといけないものは苦手。歌手は喉を考慮して1日2時間くらいしか練習しないからスペイン人にあってるんだ」的なことを言ってたのをなんとなく思い出します(そんなパコはチェロ奏者ですし、パコつながりで、パコ・デ・ルシアのような世界的超絶スパニッシュギタリストがいますが)。

ニワトリも全身を震わせて、頭と首を前方斜め上にグッと伸ばして、振り絞るようにして鳴きます。本気です。1日に何度も練習できるようなものではないのかもしれません。(でも犬は吠えまくりますよね。本気で。)

そんなこんなで白ピヨの歌声を毎朝聴いていましたら、「あ”ーあ”ー」みたいな断末魔が聞こえるようになりました。白ピヨ茶ピヨ兄弟の下の世代が鳴き出したんだと思いました。ある朝確認しに行ってみると、驚いたことに、白ピヨ茶ピヨの上の世代の「ピヨ」だったんです。なんかオスっぽいサイズ感なのにいつまで経っても鳴き出さないから、メスに違いない、卵が楽しみだ、なんて思っていた矢先でした。産まれて5ヶ月目くらいの鳴き始めです。

その数日後くらいに鶏小屋を眺めていると、白ピヨ茶ピヨの下の世代の黒斑が、いきなり「コケコッコー」と超上手に鳴いているのを目撃してしまいました。まだ、白ピヨですら「コッケコー」までしか到達していないというのに。もはや飛び級です。努力だけではない世界です。歌唱力は人もニワトリも天性というものがあるのでしょう。もちろん他の鶏は他の才能で優れているかもしれません。大きくなるかもしれないし、卵をたくさん産むかもしれないし、肉がうまいかもしれないし。

それでも才能あるニワトリなりに努力はしているはずです。人間もそうですね。才能ある人は、血の滲むような努力をしていても、「あいつは天才だから」で片付けられてしまいがちで、悩んでいたりするんです。それに、努力の結果花開く才能もありますよね。

はい、脱線しました。

ちなみに昔の日本でニワトリを飼い始めた動機は、食用ではなく、時報としてと言われています。声の良いニワトリが育種され、声良(こえよし)とか東天紅(とうてんこう)という伝統品種がいます。日にもよりますが、ニワトリは明け方のまだ暗い時間に鳴きます。そして日にもよりますが、スヌーズ機能のようにその1時間後とかにまた鳴きます。今でこそ時計がありますが、それ以前は、日の出と日の入りをベースに太陽の動きを見ながらなんとなく時間を把握していたわけですが、夜の間は時間がわかりません。季節ごとの星の運行を完全に理解すれば可能でしょうが、なかなかそうはいかないでしょう。夜中に目が覚めたときに、例えば今頃の朝の5時はまだ暗いですが、時計がなければ深夜1時との違いはわかりません。しかし、ニワトリがいると、鳴き声で伝えてくれるんですね。なんとなくの明け方を。なんと助かることでしょう。しかも、目覚めが悪いという感じを受けないのがコケコッコーの凄いところです。まあ、疲れてる時などは、コケコッコーでも目覚めないんですけどね。

ちなみにそのコケコッコーは体内時計によって制御されていることが、名古屋大学の吉村教授と新村博士によって解明されています。そして縄張りを主張するのです。このように本能的な部分と、鳴き声の旨さという才能的な部分、そしてヒエラルキー順に鳴くという社会的側面を備えているんですね。その社会的側面が、人懐っこさとなって親しまれてきた歴史もあるかと思います。

話が変わりますが、年末の28日に、僕の暮らす山陰も少し天気が良くなりまして、思い立ってスナップ写真を撮りに行ったのですが、ニワトリたちのおかげで、寝坊することなく目覚めることができました。一昔は都市部でもニワトリが飼われていたと言いますが、今は難しいでしょうね。我が家はお隣さんも遠いので気にせず飼えるんですが。

ネタがずっと新年っぽくないので、最後に神話の話。古事記によりますと、スサノオによる度重なる悪事の結果、アマテラスが天の岩戸に隠れてしまいました。すると世界が闇に包まれ、作物も育たず、病気も蔓延します。そんなアマテラス、すなわち太陽神を再び招き出す為に神々は大騒ぎするなどいろいろ工夫を凝らすのでが、その一発めのネタがニワトリを鳴かせることだったのです。太陽を迎えるコケコッコーです。

先の冬至を経て、日は長くなり始め、太陽の力は復活を遂げています。山陰の陰気臭い冬だからなおさらでしょうか、1日2日でそんなに日照時間が変わるわけではありませんが、冬至以降は世界が明るくなったのを感じます。
そして、今度は西暦も新年です。別に、それがどうしたとも言えますが、気分一新、何かを始めるきっかけになるなら素晴らしいことですから、世間は世間でうまいこと利用してしまいましょう。一年の計は元旦にありと言い、年の初めにしっかり計画を立てて物事に取り組むことが大事とされますが、やってみないとわからないこともたくさんあります。やりながら計画を立てていく。しっくりこなかったら、潔く損切りして、次を見据える。そのぐらいのフットワークの軽さでいきたいなと思っています。

今年は僕は写真をいっぱい撮ろうと思っています。いろんなところに行って。(ニワトリの写真はないんかい)

4. ストリートスナップ@宅野

すでに述べましたとおり、28日の年の瀬真っ只中に、思い立ってスナップ写真を撮りにいきました。僕は写真は2020年に始めた初心者中の初心者でして、それでもフォトブックを出版してしまってもいるという状態なんですが、昨今のカメラ性能は素晴らしいですからカメラに撮ってもらっています。しかしレンズはオールドでマニュアルフォーカスなんですね。お金に限りがあるので、安くて描画能力の高い単焦点レンズという狙いで、ロシアのHelios44-2 58mmを使っています。グルグルにボケます。

そのフォトブックというのが、『出雲の神々は三瓶山大噴火の夢を見たか?』という映画『ブレードランナー』の原作でフィリップ・K・ディックの小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』をパクったタイトルの本です。三瓶山と出雲神話の繋がりを追いかけ、正当な風景写真と合わせています。文章と一体というところがあるので、説明的な写真ではあります。三瓶山というのは近所の山なんです。実は近所に石見銀山という地味な世界遺産があるのでそちらも同じコンセプト(TIME TRAVEL PHOTOBOOK)で執筆中です。

ところでこれらのフォトブックは説明的であるがゆえに、撮影に制限があったと言いますか、どうでもいい写真とか、アートっぽいのとかは採用しなかったわけです。石見銀山の方が街歩き的な自由度がありましたけど。それでも説明的。まあ自分でそうしたわけですし、それも楽しいんですがね。天気を見て、美しい風景をハントしにいくという、狩猟的な感じがあるようにも思えます。

一方で、どうでもいい写真も撮りたくなりまして。自由ってことです。その場所に選んだのが、我が家から車で1時間しないくらいで行ける、日本海の港町、宅野です。なぜ、そこを選んだかというと、写真家の森山大道氏が幼少期を過ごした場所だったので、ストリートを始めるのにいいんじゃないかと思ったんです。験担ぎみたいなものなのかどうかはわかりません。一度、森山大道氏を強くリスペクトする写真家の友達とともに、彼のリコーGRを借りて深夜の新宿歌舞伎町を歩いたことがあります。もう10年前くらいですが、あの時写真の楽しさに気付きましたね。本格的にカメラを手にするまで10年を費やしましたが。

記念写真は子供の頃から撮るのも撮られるのも好きではなかったし、「いいね」基準の写真もときめかない。フォトブックのようなストーリーとしての写真とか、ジャーナリズムとかの方がしっくり来るところがありますから、アートじゃないところの、どうでもいい自由さを写真に求めるところがあるのかもしれません。ボケなんかも気にせず、ほぼほぼ絞りF8のシャッタースピード1/125秒くらいで。オートより速写性があると思います。

2時間半ほど歩いて200枚か。全然まだまだですね。

というわけで撮った写真を10枚ほど。Lightroomのプリセットで現像。こだわらず。

※写真はメルマガ購読者にのみ公開しています

5. 脱SNSのススメ

脱SNSをしてkindleで電子書籍を読んだり出版したり使用というこの企画。ノウハウをまとめて公開するとお伝えしてますが、まだまとめられてません。ちょっと時間がかかりそうです。

そこで、僕のkindle著作を一冊づつ、無料キャンペーンにて公開することにしました。これが目次にあった目玉情報というやつです。(全然目玉じゃない?)お手持ちのスマホやタブレット、またはPCやマックでkindleアプリでお読みいただけます。

まずは、前述の『出雲の神々は三瓶山大噴火の夢を見たか?』から。カラー写真、テキスト固定の作品ですが、スマートフォンでも読み辛くない文字感を目指して作りました。(スマホで電子書籍の雑誌を見ると、拡大が面倒で疲れますから)

キャンペーンは1月1日から5日まで。(設定できる最長期間なんです)

この機会に是非どうぞ!

アマゾンの販売ページへ→

出雲の神々は三瓶山大噴火の夢を見たか?

6. 世界を裏窓から

個人の生活は、その集合である家族はもちろん、コミュニティ、会社、都市、自国の国家の政局、さらには世界情勢によっても左右されます。自由は存在しません。その中で自由自在に立ち回ることこそが自由だと考えます。世界を知ることは、自身の立ち位置を明確にすることにつながります。「イマ」いる「ココ」の現場把握はサバイバルの基本です。

先週の12月26日付のBBCニュースによりますと、カリフォルニア州のコロナ・ハイト・パークにジンジャーブレッドモノリスが出現したと報じています。

Gingerbread monolith appears in San Francisco's Corona Heights (BBC)

知らない人にとっては「なんじゃそりゃ」なニュースですが、モノリス(一枚岩の意)が最近注目を集めていまして、今年流行したコロナウイルスと、それによるロックダウンで欧米における大きな需要を産んだホームベーカリーと、最近話題のモノリスが掛けられているわけです。

モノリスが注目されたのは昨年の11月に、ユタ州の砂漠のど真ん中で、ヘリコプター上からbig horn sheepの個体数を数える生物学者によって発見されました。火星のような真っ赤な大地の岩陰にポツンと金属製のモノリスが鎮座していたのです。

Metal monolith found by helicopter crew in Utah desert (BBC)

これが宇宙人の仕業なのか、謎の芸術家の仕業なのか、21世紀宇宙の旅の熱烈なファンによるものなのかは不明ですが、衛生画像を紐解いてみると、2016年から人知れず置いてあったことがわかっています。

"It is illegal to install structures or art without authorisation on federally managed public lands, no matter what planet you're from," (連邦政府の管理する公共の土地に、造形物や芸術品を許可なく設置することは違法です。あなたがどこの惑星の出身者であっても)という当局の発表がなんだかツボです。

このモノリスがSNSを騒がせて以降、ルーマニアやカリフォルニア、そしてイギリスのワイト島にも登場しています。ワイト島のモノリスは作者が正体を表し、ユタ州のモノリスにインスパイアされたと語っています。

さて、このユタのモノリスは、地球外からやってきたのか、地球上で作られたのか。

世界には何の目的だかわからないと言われる造形物がいくつもあります。ストーンヘンジやモアイ像などがそうでが、宗教的、祭祀目的であるなどというような尤もらしい理由がつけられます。

確かに最初のキッカケは地球外のものだったと仮にしましても、こうやって模倣犯的に拡大していくわけで、もしかしたら考古学的ミステリーも、ちょっとした余興の産物だった可能性も否めません。それを学者ヅラして未来にクソ真面目に検証されているとしたらなんと滑稽でしょうか。いつか渋谷のモヤイ像も未来人の研究対象になるかもしれません。

ミュージシャンが良く語りますが、楽曲というのは突如降ってきたり、元から存在したものを捕まえただけだ、などと言ったりします。彼らにとっては、HowもWhyもなく、ただ単に曲が書けたというだけなんでしょう。僕も全くの無計画にこのメルマガを書いてますから、なんでこんなにボリュー満点になるのか甚だ意味がわかりません。

人々は、物事に尤もらしい理由を付けがちです。何かが起きたら、そこには理由があるはずだと考えたくなるのです。理由がないなんて納得できない。納得できないのは困る。分からないことがあると命に関わるかもしれないジャングルやデザートを生き延びた人間の本能とも言えます。

しかし、尤もらしいが、別に正しくもない理由を付けてしまうことで、危うい時代に僕たちは生きています。世界を流れる情報は、玉石混交です。マスメディアのニュースにも、ネットのニュースにも、SNSにも、陰謀論にも、右にも左にも中道にも、米中露にもインデペンデントにも、それなりの真実と虚飾が入り混じっていると考えるべきなのが、なんともカオスな現代社会なんだと思います。ある意味全部が全部陰謀論です。

なんて疲れるんでしょうね。だからニュースなんて程々が良いというのも一定真実かと思います。いい景色を見て、いい本読んで、美味しいもの食べて、体を動かして。そういうリアルな体験の重要さを改めて感じます。そんな足で稼いだリアルというものを、お届けしていきたいなと、そう考えてこのメルマガを書いてます。

今回はこんなところにしましょう。長くなりましたね。長すぎますか?それではまた!

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