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Vol.10 選手のためのレフェリー編

ついに最終回を迎えました。
10回目の今日はこれまでの記事をまとめていくと共に、
そこから見えるレフェリー像を言葉にしていきたいと思います。

まず、僕がここまで書き連ねてきたnoteは2種類に分けることが出来ます。
一つは、レフェリーとしての学びを書いたもの。
もう一つは、人としての学びを書いたものです。

この2つの学びは並列しているもので、密接に関係していると思っていますが、
今回はあえてオンザピッチ、オフザピッチによって学びを分けて考えたいと思います。

Vol.2からVol.6では僕が思うオンザピッチでのレフェリーのあるべき姿をまとめ、キーワードをちりばめてきました。

Vol.2 選手の勝利への思いを受け止められるレフェリー
Vol.3 ルールを破る選手の気持ちを受け止められるレフェリー
Vol.4 ミスがあった時、正直にそれを認められるレフェリー
Vol.5 自らが判定したことに対し説明責任が果たせるレフェリー
Vol.6 自分でハラオチさせた言葉で伝えられるレフェリー

この5つの共通点は、
その理由が全て「選手のため」であることだと思います。

Vol.3で書いたレフェリーの目標をもう一度思い返してみましょう。

サッカーの魅力を最大限に引き出すよう、試合環境を整備し、円滑な運営をする

サッカーには多くの人が関わっていて、
運営をする人や応援する人、様々な立場があります。
彼らは選手のために、努力します。
キックオフの何時間も前に会場に集まったり、設営をしたり、必死に声を出して選手を鼓舞します。

サッカーは、その全ての人達のパワーが結集した時により魅力的になると思います。
サッカーに関わる多くの人が「選手のため」を考えて努力するからこそ、良い試合環境やムードが作られて、サッカーの魅力に繋がるし、
またそれを受けた選手達が、「応援してくれる人のため」にプレーするからこそ、より良いプレーができ、サッカーの魅力に繋がっていると思います。

何が言いたいかというと、
レフェリーもサッカーの魅力を最大限引き出す目的がある以上、「選手のため」に努力しなければいけない、ということです。


でもここでこんな疑問を持つ人はいませんか?

あれ、運営する人や応援する人は「選手のため」にやると、
選手からは「応援してくれる人のため」が返ってくるんだよね。

でも、レフェリーは「選手のため」にやっても、
選手は「レフェリーのため」は返してくれないんだよね。
なんで「選手のため」に頑張るんだっけ?

これがこの「選手のため」という綺麗すぎる言葉の怖いところです。
一番大事な目的を見失うと、自分が本当は何のためにやっているのか分からなくなってしまい、「選手のため」という言葉だけが1人歩きしてしまいます。

「選手のため」って実は綺麗事なんじゃないの?と思っているレフェリー、
「選手のため」がハラオチしていないままグラウンドに立っているレフェリー、
僕は意外といるんじゃないかなと思います。
僕もそのうちの1人でした。

レフェリーって良い人しかできないよね。
レフェリーって見返りあるの?

僕らはただ良い人で、選手に文句を言われても選手のために頑張れるようなそんなすごい人ではありません。
僕らにも実は見返りがあって、それがあるから頑張れるんです。

その答えは、
レフェリーの目標を達成した先にあります。

サッカーの魅力を最大限に引き出すよう、試合環境を整備し、円滑な運営をする

僕らレフェリーは、「サッカーの魅力を最大限に引き出すため」にいます。
でもその目標を達成するためには、僕がこれまで書いてきたように「選手のため」に全力を尽くさすことが不可欠なんです。
日常的には「魅力的なサッカーのため」が抜け落ちて「選手のため」と表現されていることが多いと思います。

選手とレフェリーの関係の中では、判定されるという立場上、どうしてもストレスが発生します。
このレフェリーに対するストレスをなるべく減らし、
選手に、サッカーに集中して気持ちよくプレーしてもらうことがサッカーの魅力を引き出すために必要な手段だと思います。

サッカーの魅力を最大限に引き出すために、
選手の勝利への思いを受け止めることで選手のストレスを減らし、
ルールを破る選手の気持ちを受け止めることで選手のストレスを減らし、
ミスがあった時、正直にそれを認め、選手のストレスを減らし、
自らが判定したことに対し説明責任を果たすことで、選手のストレスを減らし、
ハラオチさせた言葉で伝えることで、選手のストレスを減らすことが僕らの仕事です。

では、ストレスを減らす一番の近道は何でしょうか。

それは、正しい判定をし続けることです。
選手にとって大事なのは、判定が正しいのか、間違っているのかです。
判定が間違っていれば、ストレスが溜まります。

正しい判定をし続けることが魅力的なサッカーの一番の近道です。
でもそれは、レフェリーにとって一番難しいことなんです。

正しい判定のために導入されたはずのVARでも、問題は解決してませんよね?
むしろ、ゴールの喜びが薄まったという、サッカーの魅力が半減してしまうというような、新たな問題も生じてしまっています。
正しい判定とは、それくらい難しいことなんです。

でも、Vol.2の感動した試合の話を思い出してみてください。
まだ読んでいない方は、ここでぜひVol.2に戻って欲しいです。

レフェリーの正しい判定や声掛けによって選手のストレスは限りなく減り、
選手はサッカーに集中してプレーを続けてくれました。
そして彼らが勝利を目指して戦った結果、
最高に魅力的なサッカーが繰り広げられました。

この魅力的なサッカーは、
多くの観客に感動を与え、
選手自身にも戦い抜いた満足感と、リスペクトの関係性を与え、
副審の勇気を引き出し、
レフェリーチームも魅力的なサッカーの一員になりました。

この魅力的なサッカーに関わることができるというのが僕らの最大の見返りなんです。

こんな試合はなかなか出来るものではありません。
でもだからこそ価値があります。

僕も一度だけ、
試合後、負けたチームのキャプテンがわざわざ本部まで来て挨拶をしてくれたことがありました。
そのキャプテンは、
「レフェリー今日はありがとうございました。レフェリーのおかげで今日俺ら負けちゃいましたけど、楽しくサッカーできました。またお願いします!」と言ってくれました。

試合中、そのチームにカードは出したし、厳しく注意する場面もあったのにです。
良い試合だったね、魅力的な試合だったね、ということを選手と共有することが出来たわけです。
こんなにレフェリー冥利に尽きることはないですね。

こういう時は、
今日は魅力的なサッカーをフィールド上の全員で協力して作れたんだな、と
頑張っていて良かったなぁと心から思います。


僕は今、レフェリーに出会ったことで、初めて本気で人の為に走ることが出来ています。

中学、高校の部活では、
僕はチームのために走る、とか人のために走るということを本気では思えていませんでした。
どちらかと言うと、なるべく楽できるなら楽したいタイプでした。

しかし、僕は一度サッカーの魅力を知ってしまったので、
こんな魅力的な試合にまた関わりたくて、出会いたくて、
「選手のため」に正しい判定を追求するために、キツくても判定が見えるところに頑張って走ります。

もしかしたら、
「人のため」って最終的に「自分のため」なのかもしれないですね。
「仲間のため」に走れるのは、仲間で協力して掴んだ景色が1人では見れないものだから。
「お世話になった人のため」に努力できるのは、その人達に喜んでもらえることが嬉しいから。
「選手のため」に走れるのは、また魅力的なサッカーに出会いたいから。

でも、その「自分のため」はあるべきなんだと思います。
「自分のためだけ」ではなく、「自分のため」です。

「自分のためだけ」だとなかなか応援されにくいですし、
かと言って、「人のためだけ」に頑張って潰れてたら意味ないですし、
最終的に自分が楽しくないと続かないですからね。笑

綺麗事だって思う人もいるかもしれませんね。
でも、サッカー界って事実綺麗で、純粋な世界だと僕は思います。
だから、感動が生まれるんだと思います。

僕の好きな長澤監督もこう言います。

何かを成し遂げる人は無邪気な心を持っていて、
"無邪気"、読んで字の如く、邪気が無い人って言うのは、
まぁ原さんももちろんそうですし、湘南の曹貴裁もそうだし、
みんな邪気がないと言うか、
このサッカー界って僕はピュアな世界だと思っていて、
もちろん結果がついてきて、いろんな評価が下っていく厳しい世界ではあるんですけど、
本当に綺麗な世界ではあるので、
サッカーが発展していくこととか、
またサッカーで生かされていく人が増えていくって言うのは素敵なことなんじゃないかなと思います。

サッカーが純粋に好きな人が世界中にたくさんいて、
その感動や情熱が世界中で共有されていて、
だからこそサッカーが共通言語になるし、
サッカーで人が繋がるし、
サッカーが世界最大のスポーツになっているんだと思います。

素敵なことですよね。

そんなスポーツの中に自分の居場所を見つけられて僕は今、本当に幸せです。


さぁこれで僕の長かった話がようやく終わります。
第10話までお付き合いいただきみなさん、本当にありがとうございました。

このnoteを更新したこと自体の感想はまた後日記述しますが、
ひとまず本編はこれで終わりです。

何かみなさんに一つでも伝わるものがあったでしょうか?
良い意見も、悪い意見も含めて、みなさんの中でレフェリーに関して何か感じることがあれば、僕のこの12日間の執筆活動は成功だったと言えますね。笑

最後に、
この文章を書き上げる上で、お世話になった全ての方へ改めて感謝申し上げたいと思います。
今回noteとして自分の経験を形にしたことで、
これまで僕が経験してきた、嬉しかったこと、苦しかったこと、全てが糧になっているんだなということを、改めて実感を持って、自分自身振り返ることが出来ました。
辛いこともけっこうありますが、そっちの方が多かったりしますが、無駄な経験なんて一つもないですね。笑
これもまた僕の大きな学びです。

僕の心に溜めている思いが溢れそうになったら、
このnoteに帰ってきて、また文字に起こしたいと思います。笑

ひとまず、それでは。

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