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スマホにみる都市の相似的解釈

現代人の、日々スマートフォンのアプリとホーム画面との間を行ったり来たりする行為が、現代人が建築と都市との間を行ったり来たりする行動の思考訓練となっていることは興味深い。

朝早く住宅というアプリケーションを飛び立って都市というホーム画面に降り立ち、職場というアプリケーションへと飛び立っていく日々。気づけば、日々使うアプリケーションはマルチタスク画面へとキャッシュされ、アプリケーションの立ち上げ速度は格段に上がっていく。そして画面を見なくともinstagramを立ち上げられるように、何分に家を出ればピッタリ電車に間に合うだとか、電車の何両目に乗ると1番早く行けるだとか、繰り返しの行動がより高度になっていく。

気分転換したかったらホーム画面の背景を変えるようにして遠回りすればいいし、職場が嫌になったらアンインストールするように辞めてしまえば済む話。新しいアプリケーションを見つけてインストールするように、気に入ったカフェがあればそこもホーム画面に追加すればいい。あなたは都市に溢れる様々なアプリケーションをインストールしていくことであなただけの都市を作り出せるのだ。まさしくあなたのスマートフォンに起きていることと同じだ。俯瞰して眺めるとあまりにも雑多な東京や大阪、上海やニューヨークといった都市でさえも、あなた自身が選択的に独自性を見出すことができる。人の数だけその都市が持つ独自性も増す。

あなたがどんなスマートフォンを使うかという問題は、あなたがどんな都市に住まうかということと同義。スペックが高いほどアプリケーションの立ち上げが速く、OSが優れているほどアプリケーションが多彩であることの都市的相似はスマホが身体化している現代人には想像に難くないだろう。

建築家、伊東豊雄氏の言葉を借りれば、「現代人は都市のノマド(遊牧民)」であると考えられる。住居、職場、コンビニ、駅、カフェ、本屋、コインランドリーなどの様々なアプリケーションをあなたのホーム画面に取り込めば、都市に広がる断片化された空間を繋ぐネットワークそのものが現代人の居場所ということになる。

例えば建築家、藤本壮介氏の学生時代のアイデアコンペ作品には、都市の中に小空間を断片的に保有して、それらを結ぶネットワーク型の生活スタイルの提案があったが、そのアイデアは第三者が評価するまでもなく、都市住民にとって現実となっているのである。

すなわち、あなたのホーム画面=あなたの空間的ネットワーク=あなただけの都市という訳だ。それらネットワークが都市住民の数だけ重複し、活気が生まれる。東京ミッドタウンや六本木ヒルズというアプリケーションはスマホにとってのtwitterやinstagramであり、あらゆる人が自分のホーム画面に取り入れている。スターバックスやマクドナルドというアプリケーションはスマホにとってカメラ機能や音楽再生機能であり、ネットワークそのものは重複していないが共通言語として同じ都市を語ることができる。

元々スマートフォンはネット機能付きの携帯「電話」として進化してきたものだ。それはちょうどメッセージ送信機能付き携帯電話、カメラ付き携帯電話、音楽再生機能付き携帯電話が開発されたのと同等の流れにおいて派生した、付随機能だった訳だ。それが大げさに言うと時代の意思によって進化のベクトルを決定させられ、元々の電話機能と同じ次元に置かれたのだ。この時点で初めてホーム画面とアプリケーションという構成が生まれた。いわばすべての機能を付随的存在に仕立て上げるためのプラットフォーム化をした訳だ。このプラットフォーム化によってアプリケーションを付加して多彩な機能を持つことが可能となった。

スティーブ・ジョブズのプレゼンは面白かった。「今日、私は3つの製品を発表します。革新的な携帯電話、タッチパネル付きのiPod、小型のインターネット端末です。」と落ち着きながら言った後に、意味ありげなアニメーションと同時に種明かしをする。「実はこれら3つの製品は別々の物ではありません。1つになっているのです。…私達はそれをこう呼びます。“iPhone"。今日…(拍手喝采)…今日私達は電話を再発明したのです。」と。

この伝説のプレゼンは本来備わっているiPhoneの価値をより高め、イノベーションの普及を後押しした。

(↑gizmodoより引用)

建築はどうだろうか。建築は元々、自然環境から生活可能な領域を作り出すためのシェルターとして生まれた。それは時代ごとの権威や宗教の道具として使われたこともあるが、今も昔もシェルター的要素としての建築は変わらない。スマートフォンで言うところの電話機能である。

そしてメタボリズム時代になって、当時の建築家は気がついた。建築を都市の中でプラットフォーム化することでより多彩な生活が可能になると。黒川紀章の中銀カプセルタワーや丹下健三の東京計画1960などだ。時代が早すぎたこととあまりにもトップダウン型思考だったことからそれらはほとんど失敗に終わったが、現代において重要なキーストーンを落としてくれた事は確かである。

近年になって、電力自由化や全自動運転や5G通信や仮想通貨とそれらを扱うための端末の普及はそのプラットフォーム化を可能な環境にしてくれている。都市というホーム画面に対して建築を1つのアプリケーションにすることができる。あるいは建築とそれら別のアプリケーションとが結びついて新しいアプリケーションも生まれ得る。

つまり、建築と都市の構成はスマートフォンのそれに似て、より進化できる状況になった訳だ。都市におけるiPhoneなる革命はいらないかもしれないが、漸進的に都市はより豊かに楽しくなるはずだ。そこに加速度を与えることができるのは建築業界におけるスティーブ・ジョブズであり、未来迎合的な新しい思考を持つ建築家であるはずだ。

世界に多く見られるような高尚な建築理論やいかなる批判にも耐えうるガッチガチの建築、もしくはある一定の評価を得るためだけの建築を作ってる暇があれば、より先を見据えた、革新的なベクトルを向いた建築を考える方がより建設的だし、個人的にはそれが1番楽しいと思う。

過去を探ってより評価を高めようとするのではなく、未来を作ってより新しい評価基準そのものを作るということ。それが建築の新しい未来を決定的にすると同時に、大げさに言うと建築界におけるコペルニクス的転回である。

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