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Bjarke Ingels論

高校2年の頃、建築雑誌GAで偶然に見かけた彼の作品集をクリスマスプレゼントという体で手に入れたのが僕が彼を知った最初だった。気が付けばあれから6年。今となっては僕の憧れは彼以外にはありえない。僕にとっての北極星である。9歳で高層ビルを見て建築に興味を持ち、TVで伊東豊雄さんにほれ込んだのが12歳。藤本さんと平田さんに魅せられたのが14歳だった。やがてザハや安藤さん、隈さんを好きになっていく中で辿り着いたのがビャルケである。17歳で彼を好きになり、それからはずっと目標であり、理想であり続ける。

学部4年ともなると授業自体は少ないが、連健夫先生の授業レポートで好きな建築家について調べるというのがあった。これはなぜ彼に憧れているのかを知るまたと無いチャンスだと思い、今まで訪れてきた建築を基にして僕の考えを言語化してみた次第である。

漫画家から建築家へ

彼は子供のころ漫画家になることを目指していたが、父の勧めで建築学が役立つことを悟り、それがきっかけで建築家を志した。彼の古い動画を見ると、坂茂さんのポンピドゥー・メッスに魅せられて、建築の美しさを表現したいと思ったそうである。そして彼の心にあった漫画家になる夢と建築学が混合された書籍が彼自身初の作品集となる”YES is MORE”だと感じる。その書籍は文体は全て漫画形式で書かれ、建築本のみならず、洋書の中でもいまだかつて無かった斬新な書籍となった。写真と説明を同時に読み進めるツールとして漫画という形式はあまりにも画期的だったのだ。漫画さながらのジョークも多彩で、建築に興味が無い人でも読んでいて苦にならない、笑いを誘いつつも彼の論理的な建築哲学が分かる一冊になっている。

彼はまたこの当時から建築作品のアイコン化をしており、彼の作品集では必ず使われる。これは後の建築世代に大きな影響を与えたが、同時にアイコン化することが建築の目的になりつつあることに疑問符も感じる。だが少なくとも彼の作品におけるアイコンは最終成果物に付随する物であり、それは彼の恩師レムコールハースの言葉「美しさは追い求める物ではなく、副産物として生まれるものだ」の一言に集約されている。

建築を社会へ解放する

2015年に出版された”HOT to COLD”は彼の設計した建築を気候ごとにページ分類を行い、多くの写真とわずかな文章を、これもまた漫画形式でまとめている。漫画形式といってもYES is MOREのように読む方向は規定しない自由な書籍となっていて、より作品集としての意味合いを増した。今年には”FORMGIVING”という新たな書籍も出版したが、そのいずれにも共通するのは、建築をより身近に簡単に、そして社会に開放しようとする思想である。

コルビュジェ、ミース、ライトといった近代建築の巨匠達は建築を社会システムの中に組み込もうとして実際にミースに端を発する近代建築は世界を席巻したが、それはあくまで建築学の祝祭場としての手段であったように感じられる。建築は凍れる音楽ではないし、装飾が罪悪な訳でもなく、LESS is MOREな訳でもなかった。ただ建築それ自体が社会から独立していることに問題があったのである。それを変えようと努力してきたのがここ半世紀の建築家であり、その筆頭がOMAであった。建築が求められるプログラムや土地の制約条件、広義な意味での環境や歴史、材料の分析から唯一生まれる形態をそのまま建築が被ることに社会との接続があり得ると考えたのである。つまり、建築は機能の集合体を治めるボックスではなく、機能それ自体に徹する時代が到来したというのだ。

そのOMAに所属していたこともあり、ビャルケの思想はOMAのそれよりさらに洗練化され、建築をより分かりやすく社会的に意味のある存在で、かつ美しく居心地の良い物であると設計を通して教えてくれる。例えばBIGとして初の作品になった集合住宅だ。これは彼が以前設計した集合住宅(VM HOUSE)のクライアントがその隣接地に計画したものであり、彼のクライアントとの対話が無ければ依頼されることはなかった建築だ。

mountain dwelling

構成としては駐車場の上に住宅が覆いかぶさる形。全ての住宅が南向きで灌漑設備の整ったバルコニー付き、玄関を出るとデンマークのデザイナーVerner Pantonへのリスペクトであるビビットカラーに包まれ、駐車場にはすぐアクセスできる。駐車場はイベントを開催することができる多目的広場で、風通しは抜群だ。なぜなら駐車場はベンチレーション壁で包まれているからで、その壁は外から見るとエベレストが転写してある。ベンチレーションの穴の大きさを変える事でアートワークを作成することができるのだ。夏にはバルコニーの緑が建築のファサードになり、文字通りこの建築は山へと姿を変えていく。つまり、この集合住宅は都市型賃貸住宅と郊外型タウンハウスを混合させているのである。建築を箱の中に定義するのではなく、建築それ自体を機能と美しさに昇華させ、建築を社会の中に定義し、建築が高尚な芸術ではなく実際に社会、特に都市の中で安らぎを与えられることを示している。

8 house

8 HOUSEは彼が初期に設計した一連の集合住宅の開発地区の最南端に位置する2ブロック分の巨大な集合住宅で、これは北欧で史上最大の建築規模だった。これを2006年当時の32歳が率いる建築事務所が引き受けたというのがまず信じられない。だがさらに信じられないのがその10階建ての集合住宅の形態である。それは地面に付いた南側と高くなった北側を8の字に結んだスロープによって構成された建築であり、その形をそのまま名前にしてしまう点も面白い。住戸ユニットは多くが異なる平面と異なる床レベルを持つ。住戸は大きく3種類に分かれ、それが層状に積み重なる。中にはロフトを持つ住戸もあり、とてつもない程の緻密な設計が成されたことが分かる。自転車通勤・通学がオランダに次いで多いデンマークの生活様式を考えてスロープを使って自転車で住戸までアクセス可能になっている。玄関前には住戸のための屋外スペースが用意され、自転車を置いたり住民同士がコミュニケーションを取ることができる。

圧倒的に先鋭化されたその外観とは裏腹に、綿密なコミュニティ醸成のための工夫が随所に凝らされている。大きく開かれた南側からは未開発地域に広がる高原が望め、中庭はその広大な大地と一体化して建築体験も都市ではなく大地の方へ投げ出される。高層階は中庭側に大きなテラスを持ち、豊かなプライベート型の住居でありながらも中庭を介した一体感、ジェイン・ジェイコブスが言うところのストリートウォッチャーが存在する。中庭は市民開放されてはいるが、とても部外者を自由気ままにさせる公園ではなく、やはり住人に特化した広場のイメージが強い。

建築美で場所への信頼を

当たり前を疑うことで新たな発見があることは彼にとっての当たり前で、その先にある昇華された建築に美しさ、親しみ、社会的大義を見出すことに彼の熱量が注がれていることが分かる。言うまでもなく建築、特に集合住宅は人間が使うことによって初めて建築の息が宿る。彼はそれを十二分に理解し、設計に実践していると同時に彼の心の内側に秘める建築的野心をオブラートに表出させているのだ。実際にこれらの住宅全ての住戸がいまだに完売し、多くの人にとっての信頼の場を提供し続けている。そこが心の拠り所になり、ノスタルジーを感じさせもする建築になる。丹下健三氏は「美しきもののみ機能的である」と述べたが、それは本能的に人間は美しさに魅かれ、やがてそこに信頼を置くようになるという意味があるように感じられる。つまり、美しさが目的なのではなく美しさによって湧きたてられる信頼感こそが建築の真の意義だと。僕はビャルケの建築にもそのような思想が感じられた。最終的に美しき建築こそが人々のノスタルジアを誘発し、そこが息づき、社会性を獲得できると考えているように思う。

場所への信頼という視点で言うと、建築が新たに作らなくてもそこにノスタルジアが存在する場合がある。その場合、建築は自らの存在感を消し去り、既存のノスタルジアを拡幅することに終始しなければならない。一般にアイコニックな物を作る建築家はこの手法を苦手として中途半端に終わるか、さもなければ持論を大きく掲げて突っ切る場合の2つがあるが、ビャルケはそのいずれでもない3つ目の手法で建築設計にアプローチする。つまり、建築の外観は最小限にしつつも自らの建築が持つ空間体験によってエッジを効かせるのである。

M/S Maritime Museum

コペンハーゲンから鉄道で約1時間北上したところにその美術館はある。世界遺産クロンボー城のすぐ横に身を潜めるようにして建つ美術館は元々造船所だったドックをそのままに生かして作られている。ドックの擁壁の外側を一周するように順路が設けられていて床はわずかに下ったスロープになっていて、その場所ごとのレベル差が橋となってキーデザインとして表出してくる。一周すると入口よりも1フロア下がっていて、階段広場が待ち受けている。半周した所にレストランがあり、ドックの中に出ることもできる。床材は木が使われ、展示方法も含めて船の中にいるような雰囲気を感じさせる。

空間体験としてとても面白い建築で、外観の良さが建築の良さを規定しないことを改めて実感したと同時に、自律と他律のバランスを保つ見本となる建築だと感じた。地下レベルに全ての機能を収めることで世界遺産クロンボー城に対する佇まいだけでなく、港に広がる広場を全く切断することなく博物館を完結させている手腕には感服だ。また、例えば橋の床面を薄くするためにかつて港で使われていた鎖で上から吊る構造や、外部階段の下のスペースをガラスで覆ってカフェ空間に使う工夫、手すりを作らないために柵を大きく傾けて侵入エリアを規定したり、ガラス面を大きくキレイに見せるために構造体を中心に寄せて端のスラブ厚を薄くする工夫など、大きな構成とそれを補完する小さなディテールの数々が全体として完成度の高い博物館を作り出している点がこの建築の完成度をより高めているととても強く感じられた。

Copenhill

また彼はデンマークのごみ焼却施設も設計している。これは世界一クリーンなゴミ焼却場であると同時に世界一大きな人工スキー場でもある。焼却場に必要な設備を南から北へ小さくなるように並べ、それらをスウェーデンの有名なスキー場を模した人工的な起伏で焼却場を覆ったのだ。ここに来ればバルト海を真下に望みながらスキー&スノボードができるだけでなく、壁面を生かした高さ85mのロッククライミングも可能になる。

現代においてゴミ焼却場は都市中心部から排他的に人々から隠れるようにして身を潜めているが、この焼却場はむしろ逆で、自らを誇示するかのようにコペンハーゲンの新しい丘となり、ことごとく煙突を伸ばし、壁面はわずかに下向きのアルミパネルによる同一反復の美で包まれて空を映し出し、全国のスポーツ好きのみならず建築好きをも同時に引き寄せる。“Copenhill"と名付けられたことは必然だろう。機能性や構造的合理性、あるいは美しさの追求だけでは生まれない、複眼的にそれぞれの性質を最大限引き出しながら1つのマッスを思案していくビャルケ・インゲルスにしか作れない傑作だと感じた。これはつまり都市に付随する建築ではなく、都市を付随させる建築であり、都市の負の側面を正へと置き換えたのだ。

彼は建築家になった当初からサステナブル・シティについて真剣に考え、数多くの都市計画策定の依頼を受けたが、実現した都市計画は1つも無い。そんな彼が昨年、国連会議に出席して初めて正式にサステナビリティとSDGsを考慮しつくした都市計画の依頼を受託した。それはどこにでも建設可能な海上のフローティング・シティで、六角形をベースにしたその形によって増殖することが可能である。その思想は宇宙にも応用可能で、彼は火星建築の実験施設をドバイに建設中でもある。今年初めにTOYOTAの実験型都市の計画が発表されて国内外で注目を浴びたが、上辺だけでなく本質的に美しい都市こそ彼が追い求める理想像なのだろう。そんなことをCopenhillから感じた。

VIA 57 WEST

彼がコートスクレイパーと呼ぶこの集合住宅はニューヨークやバルセロナに多く見られる中庭と現代が要求している高層化という床本位主義の空間が混合され、60m×150mの敷地がそれに最適化された建築である。眺望と採光を考えた低層の中庭を持つボリュームの北東の角だけが355フィート(108m)まで上げられてそのまま固形化した形態をしている。中庭側の壁面はボリュームをずらしながら積層することでテラスの提供と外観の単調さを無くし、内部の生活を外側に表出させようとする意志が感じられる。一方で外側の壁面は金属マテリアルのファサードに2次元グリッドで並んだ開口部が、その3次曲面によって歪められたデザイン。この2つのファサードによるコントラストが外観をより引き立て、ハドソン川から見たときのマンハッタン全体におけるキーデザインとなる。単なる個性の強調ではなく、その敷地が最大限可能かつ最適な空間をそのまま形にするダイナミズム。それに加えてマテリアルや細かなリズムの演出という建築家の感性が輝いている。中庭には豊かな自然が生い茂り、ニューヨークの高層マンションに住みながら地球の息吹を感じることができる。

YES is MORE

彼はよく「快楽主義的な持続可能社会(hedonistic sustainability)」と言う。これは今までの持続可能社会では人間は何かを我慢しなければいけない、どこか平凡な毎日を過ごすハメになるという考え方が固執しがちだが、より快楽主義的に私たちにできる最大限の生活を過ごしつつも循環型の次世代社会は可能になり、それは建築家が考えなければならない都市のロードマップでもあるということだ。建築とは社会的、文化的、経済的、政治的な問題を身体的で物質的な構造体に変換する装置であり、建築はその様々な分野の中で湧き起こる議論の成果物として基底状態から励起状態に昇華されなければならないのである。彼の最初の作品集の名前はYES is MOREだったが、それは彼の思想の根幹であり続けている。つまり、彼の建築設計プロセスは建築の周縁にまつわる様々な条件や要望、問題点を肯定して(YES)受け入れることによって生まれる豊かさ(MORE)を獲得しているのであり、あからさまに形態を目指してひた走る訳ではないのだ。

ブリコラージュ的なイデア

ビャルケの建築はその奇抜な外観によって彼の第一印象を決められ、一瞬の間に自分の趣味には合わないアーティストに分類してしまう人もいるようだが、ビャルケはアーティストではなくクリエイターであり、最終成果物の見た目だけで彼を判断するのはあまりにも低俗だ。彼は実用的で合理的で論理的な楽天家であり、その表現手法や修辞法、彼の建築的野望の中に秘められた趣味嗜好はどこか騒がしく感じられるものの、彼の思考の根幹には石油後のエネルギー社会、地球温暖化、人口爆発、地域共同体の再生や差別問題などの多くの視点が眠っている。一見フィックションに見える理想的な姿さえも、彼の緻密な設計と広範な課題解決力にかかればノンフィクションに成り得るのである。

世界には大きく2つの建築種があると思う。イデア的な建築とブリコラージュ的な建築だ。近代建築が絶対空間の中にイデア的建築を追い求めたのに対し、田舎に建てられた掘立小屋はその場に発見された材料とありあわせの技術を組み合わせてブリコラージュ的な建築を引き継いできた。ビャルケはこの2つの混合体で、ブリコラージュ的な手法でイデア的な建築を考え、実際に実現させているのだ。言い換えればブリコラージュ的なイデアであり、それはYES is MOREによって生まれ出る建築なのである。

終わりに

最後に僕には3人の尊敬する建築家がいる。レオナルドダヴィンチ、アントニガウディ、そしてビャルケインゲルスである。彼らは皆「建築家」と呼ばれるのを拒み嫌がるだろう。なぜなら、彼らは建築をとっくに飛び越えたより広範な領域で社会を考え、結果的に美しい作品に仕立て上げるからである。環境と政治と構造と野望とを編み込んで1つの大きな織物を作るのが他のどの人間よりも上手であり、その上手さが美しさを露呈している所にさらなる尊敬を感じざるを得ないのだ。モナリザやサグラダファミリアが世界中の人々の注目の的になっているのと同じように、ビャルケの作る作品は注目を浴びて後世に受け継がれるだろう。そしてそれはただの注目に終わらず、現代社会をアップデートするための大切な布石として歴史に刻まれることになる。建築が可能にした快楽主義的な持続可能社会の中で出版される教科書の中に。

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