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モビリティの未来は電気か水素か?

HV: ハイブリッド車
PHV: プラグインハイブリッド車
EV: 電気自動車
FCV: 水素自動車

TOYOTAが20年以上前に販売したプリウスは、『エコロジー』ブランドを冠して世界中を席巻したHVだ。プリウスは進化を続けて二代目、三代目、四代目と航続性能を上げていき、いかにガソリンの使用効率を高めるかに注力してきた。近年ではPHVも発売され、TOYOTAはEVへの変遷過程を着実に踏んでいるように見えるが、他社と比べるとそのスピード感は遅いと言わざるを得ない。

世界初にして最も販売されたEVリーフを販売したNISSANは10年前に本腰を入れているし、今やTOYOTAの株価時価総額を抜いて業界トップに躍り出たTESLAは15年前に販売し、当然のごとく自動車にへばりつく固定観念を打ち砕いている。技術や立ち位置的に電気自動車を最も作りそうなTOYOTAがEVに本腰を入れない理由には、TOYOTAが打ち出す壮大なビジョンの存在がある。

というのも、TOYOTAは次世代モビリティのエネルギーとして電気よりも水素の方により一層の興味を持っているのだ。TOYOTAからピュアな電気自動車が発表されていない点には、この水素社会の実現へ向けた姿勢が邪魔をしている。ミライという素敵な名前と流麗で美しい外観を与えられた水素自動車は、本当に人類が向かうべきミライの姿を提示しているのだろうか。

エコロジー

EVはスマホ同様にバッテリーを積み、FCVは外気から酸素を取り込んでタンク内の水素と化学反応させることで電力を得る仕組み。ここにエコロジーという視点を取り入れた場合、少なくとも世界の現状で見るとFCVの方に勝算が立つことは明らかである。なぜなら、再生可能エネルギーのみで電力を賄えている国は1つもないし、今後しばらくは火力発電が主流という構図は変わらないから、そこから得られた電気を使うEVはエコとは言えないのである。

その点、FCVは一台ごとに発電機が積まれているのと同じ構造なので、電力消費におけるCO2排出はない。水素生成時にCO2が発生するが火力発電と比べれば微々たるもの。「車を動かす」というだけの命題が与えられたときに、FCVはその最適解を導き出しているのである。何しろ生み出される排出物が純粋な水のみというのは、何か異なる用途にも将来の広がりを感じさせる。

菅政権になってから打ち出された2050年までのカーボン・ニュートラル実現という目標は、水素社会無しにして不可能である。LCAやW2Wといったエネルギー生産過程から消費されるまでの過程も含めた環境評価指標は既に構築されており、鉄道や船、飛行機の燃料として水素を掲げるビジョンは広範な視点で未来を捉えられている。東京都営バスでは水素を燃料にした低床フラットバスが運用され、JR東日本も水素で走る鉄道開発に乗り出しており、企業向けのモビリティとしては既に水素社会が始まっている。

エコノミー

しかし、消費者の現状を考えたときにFCVは紛れもない劣勢に立たされる。それはミライの販売台数が世界で一万一千台という過去からも分かるが、エコロジーというだけで車は売れないのである。FCVの普及が新たに構築する社会ネットワークに比べれば、EVが構築すべきネットワークなど些細なもの。むしろ、既にそれは構築されていると言っても過言ではない。それはiPhoneがUSB-Cに対応するかしないかの議論同様に、接続端子としてのEV充電器を設置さえすれば全世界で1つのエコノミーに接続可能なのである。

EVに対して、充電時間が長すぎるという批判がある。TESLAが提供するスーパーチャージャーを使っても30分かかるというのは、2分ほどで終わるガソリンスタンドと比べると長いし、FCVと比べても水素充填は5分もかからないので、EVの充電時間は確かに長い。だがEVの魅力は先に述べたとおり、どこにでも広がるエネルギーを使えるという点なのである。つまり充電ステーションという概念さえ古臭く、駐車場≒充電ステーションになる訳だ。家に帰れば充電、スーパーの買い物中に充電、コンビニ休憩中に充電。

FCV普及がガソリンスタンドの代替として水素ステーション建設に勤しんでいる間に、EVの充電環境はカフェの電源プラグと同じ感覚で駐車場ごとに整備されていることになる。はっきり言って、FCVのエコノミーに勝算の見込みは無い。一億円もの投資をして水素ステーションを建てるよりも、100万円の投資でEV充電器を設置する方が建設的だろう。

100歩譲って費用面での差が無くなったとしても、今から新たに水素ステーションを世界中に作っていく未来は時代遅れと言わざるを得ない。なぜなら、先駆者としてのガソリンスタンドは、ピークである25年前に比べて半減しており、電気という世界に満ち溢れたエネルギーがある中で昔ながらのスタンド様式で水素ネットワークを構築するのには無理にも程があるからだ。ブロックチェーン型の社会が到来しているのは他分野においても自明である。

スマホ感覚

私達はエコロジーよりもエコノミーに対して従順だ。「あなたが眺めるディスプレイの光は、どのくらいのCO2を排出したのだろうか」。そんなことよりもauの格安プランを心待ちにするだとか格安スマホに乗り換えようだとか考える方が想像しやすい。それと同様に、私達は車の値段を安くしたり、より運転しやすい環境が整っていることの方が気になる。EVは今までのガソリン車やFCVとは異なってスマホ同然の感覚で所有できることになるだろう。

朝起きて充電し忘れていても30分有線で充電すれば問題なし。これはスマホにも車にも全く同じことが言える。なぜなら1つの家が持つ1つのエネルギーだけで全てのデバイスを動かすことができるからである。IHキッチンの宣伝文句『オール電化』という単語はいまだ耳に残っているが、真のオール電化は自動車を持ってして完遂する。高効率ソーラーパネルで発電し、全デバイスを動かし、余ったら売電する。

スマホは3大キャリアに子会社化する形で、格安通信会社が各プランを競っている。今後数年のうちにEVも、充電量に対するサブスクリプションという形で様々なプランが拮抗するようになるだろう。「2年縛り契約の代わりにEVの購入代金を半分にする」だとか、格安プランだと「今お使いの車のまま充電量だけ安くしてみませんか!?」などと宣伝し始める未来はすぐそこに来ている。

デザイン

形態は機能に従う訳ではない。そんな時代はもう終わったのだ。今や様々な車が流麗な三次曲面にパッケージングされ、彫刻作品のように美しい外観とインテリアを有している。これは車に限った話ではなくスマホや家電製品、建築や家具においても形態はその本来必要とされるデザインを凌駕した美しさ、誇張された作家性を求められている。

だが確かに必要なデザイン基盤というのも確かに存在し、美しさに対する論理的説得材料となっている。車の形態的成因としては空力性能があり、フロントガラスの立ち上がりを新幹線のようにした方が空力性能が良いのは感覚的にも分かりやすい。それはインテリアも同様で、ハンドルとその周辺設備、ドアやシートなど多数に登る。

EVとFCVのデザインはこういった形態的成因を事細かに再解釈し、取捨選択する設計態度が自動車メーカーとして当然だ。例えばサイドブレーキは電動制御できるから必要ないし、ローギアは仕組み上あり得ない。FR車でのセンタートンネルもいらない。そういった改良をしていくことで、EVとFCVはガソリン車とは異なるデザインを獲得することができる。アウディが初めて作り出したEVは大失敗したが、それはガソリン車の使いまわしだったからである。EVやFCVのだからこそ可能なデザインを導き出さない限り、売れる道が開くはずもない。デザインは本質の外観である。デザインの作業とは機能と魅力をあぶり出す過程だ。

未来

EVは一般車として、FCVは特定の企業や運営者に広がりを見せるだろう。水素社会の到来が来るべき未来なのは事実なので、日本政府やTOYOTAや日立製作所などの水素促進計画には強く賛同する。大きな馬力が必要なモビリティでは水素を使用することのメリットは一段と大きくなるからだ。だが一般車に対する水素投資に僕は懐疑的で、税金の無駄遣いだと言われても仕方ないだろう。一般車が広がるべき領域はガソリンの代替ではなく、スマホやPCと並列の環境なのであり、時代錯誤なスタンド型ビジネスは終焉を迎えたと言っていい。

ここでは全自動運転に触れていないが、レベル5の全自動運転社会が到来すると一般車という概念さえ無くなる。車は所有するものから借りる空間になり、建築とモビリティが統合されるだろう。そうなると、初めてFCVはより大きな意味を呈していくことになる。結局それは都営バスと同じようにFCV特有のデメリットが軽減されるからである。今後数十年はEVが一気に主流となり、もちろんHVを含めたガソリン車は廃止される。そして次に全自動運転が実現すれば、無人タクシーとしての非所有車がFCVへと台頭していく。僕はそんな未来像を想像している。

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