見出し画像

自分で考えて判断していく ―周りの人の意向を気にしすぎちゃう若者に伝えたい、壬生紘彰さんのお話―


>壬生 紘彰(みぶ ひろあき)さんのプロフィール
・1981年生まれ、埼玉県越谷市出身。
・地元の高校へ通い、東京農業大学へ進学。
・大学卒業後の2004年、幼いころから遊びに行っていたお父様のご実家のある長野県下伊那郡豊丘村へ移住。
・2012年から、季節を感じる田舎体験を提供し、田舎の魅力を伝える「農家民宿ひがし」を経営する。
・2015年から、増えすぎて殺処分されている野生動物の肉を食べられる状態にして活用するジビエ事業も行うなど、2足の草鞋を履きながら自給自足の生活をしている。
「農家民宿ひがし」HP ▶https://www.toyooka-higashi.com/

【大人になったら田舎へ移住する】


― 現在やっていらっしゃるジビエ事業について、壬生さんはもともと動物が好きで、自分で殺めて解体することはお好きではないということを伺ったのですが。

正直、まったくやりたくないです。「鹿が可哀想だから」、自分が鹿の命を奪って解体・精肉して販売しているんですよ。

― 鹿が可哀想だから...

国(環境省)から、増えすぎた鹿を駆除する指針が出されて、それに基づいて各地の自治体が駆除政策を打ち出し、地域の猟友会員たちが鹿の駆除をしているんです  が、駆除された鹿の処分が問題になっているんです。現状、狩猟と有害駆除を含めて毎年約60万頭が捕殺されているんですが、そのうちの90%が廃棄処分されていて。

― ということは、毎年54万頭もの鹿が廃棄処分されていることになりますね。

鹿を駆除しないと、田畑や山林に被害が出て人々が生活できなくなってしまうので、人が鹿を駆除する政策は理解しているんですが、駆除した後に「廃棄処分」してしまうことが可哀想なんです。仕方なく駆除した場合、食べてこそ供養だと思っているので、僕は「駆除したら食べるを当たり前の社会にしよう」と思ってジビエ事業をしています。

― なるほど。殺されてしまった鹿を引き取って、そこから解体して精肉することもできるのに、捕獲された鹿を壬生さんが自ら鉄砲で殺めに行くのはどうしてでしょうか。

自分に責任を課すためです。もちろん、肉質の問題もありますが、自ら鹿を殺めることで責任が生まれるんです。皮を剥ぎ、内臓を出して解体するときに「絶対おいしいお肉にしてやるんだ」と思って丁寧に精肉することに活きるんです。自分が殺めた鹿には、「絶対おいしいお肉にするから勘弁してくれ」と思ってやってるんです。

― そうだったんですか... ジビエ*は高級食であるというイメージがあっただけでしたが、壬生さんのお話を聞いて、畏敬の念を抱かざるを得ない崇高な食であるという認識に変わったように思います。
*ジビエとは、狩猟によって捕獲し、食用にする野生の鳥獣。また、その肉。

― 話題を転換してしまいますが、壬生さんは、幼い頃から動物がお好きだったとのお話を伺ったので、幼少期からどのように過ごされていたのかについて教えて頂けますか。

僕は埼玉県越谷市出身で、そこは東京のベッドタウンの自然がほとんどない場所なんですが、僕は昔から動物が好きで、小中高校生はいろいろな動物を飼って暮らしていました。

今私が住んでいる長野県下伊那郡豊丘村に祖父が暮らしていたので、夏休みには父が里帰りする際によく遊びに連れて来てもらいっていました。そんな田舎での生活が楽しくて、小学校3年生の頃には既に「大人になったら田舎に移住する」と決め、両親にもそれを伝えていました。

画像1

ー 随分早くから移住すると決めていたんですね。「大人になったら田舎に移住する」と決めたのはどうしてだったんでしょうか。
自然がいっぱいあって、カブトムシがいっぱい取れて、田舎にいい思い出があったんです。僕が一年間の中で最も楽しみにしていたことが田舎へ行くというくらいに。

― そんなにも印象的だったんですね。

当時、学校ではどのように過ごされていたんでしょうか。

生まれ育ったのは埼玉なんですが、「自分の居場所はここじゃないから、早く田舎へ行きたい。」って思って暮らしていたので学校生活もあまり面白くなかったと思います。僕は勉強が大嫌いなんですけど、小中高校と違って自分の学びたいことを学べる大学というものには行ってみたかったんですよ。それで、農業を学べる大学へ行きました。

― 進路選択はどのようにされましたか。

大学3年生のころに就職活動を始めたんですが、卒業と同時に長野県の祖父が暮らす場所へ移住することを決めていたので、地方で就職活動をしました。最終的に、祖父の家の近くの会社に就職が決まったので、大学卒業と同時にこっちに移住してきました。

【自分で考えているかどうか】


― 田舎によい思い出があったと同時に、自分の居場所がここではないと思っていた理由は何だったんでしょうか。

僕は、きれいな山や川を駆け回って遊んでいたいと思っていたので、自然がほとんどない環境が自分に合っていないと思っていました。
また、別の理由として、僕は男の子三人兄弟の次男として生まれて、兄貴と弟は優秀だったんですが、自分は平均にも届かないくらいの学力だったので、劣等感を感じていたんですよ。

― そうだったんですか...

自然のない環境や、学力だけで自分の能力が測られてしまう状況に違和感を感じていて、自分が活躍できるのはここじゃないと思って、子どもながらに葛藤していたんだと思います。今なら、「人は居心地の良い環境で自分の能力を最大限に発揮できる」って確信を持って言えるんですが。

― 子どもの能力を決めるのは学力だけではないとおっしゃっていましたが、子どもの能力をどのように測るとよさそうでしょうか。もしかしたら、能力を測る必要すらないのかもしれませんが。
僕が子どもを見て、すごい!と思うときは、子どもが自分で考えているときです。

― なるほど。

これまでの日本の教育は、正解を教えることに重きが置かれていたと思います。日本の経済が好調だったときは国策として必要だったと思うので、そういう教育でよかったと思うんですよ。でも、変化の大きなこれからの世の中で生き残っていくには、子どもたちが自分で考える力を身に付けていくことが大事だと思います。

に

―  同感です。「自分で考える力」とは例えばどのような力でしょうか。

例えば、課外授業などで、教師が生徒一人一人に簡単には切れないひもを渡したとします。そのひもを切りなさいと言われたときに、はさみを取りに戻るんじゃなくて、近くにあるもので工夫してパッと切れる力です。

― なるほど。その「自分で考える力」はどのようにして身につくと思いますか。

訓練するのが一番いいと思います。子どもたち自身が考える力を身に付けられる教育を、どこまで実践できるのかが鍵ですね。

― そうですね。さまざまなことは、習慣によって習得できるようになるので、自分で考えることを繰り返しているうちに、自然とできるようになっていくと思います。ちなみに、幼いころから自分で考えて判断することが大事なんだと思ったきっかけはありますか。

子どもの頃に「働くって何だろう」って思いながら大人たちを見ていました。本来は、「生きるための手段として働く」んだと思うんですが、父親が仕事人間だったからか、幼少期の僕には、大人たちが「働くために生きている」ように見えたんです。でも、それは違うなと思っていたんですよ。

― 感覚的に、働くという手段が目的化していることを見抜いていらっしゃたんですね。

そうかもしれません。「なんでそうなっちゃうんだろう」って子どもながらに思ったときに、人が追求する豊かさには、経済的豊かさと精神的豊かさの2種類があると考えたんです。自分は子供ながらに、精神的豊かさを追求していくことを選び、その実現のためには、自分で考えて自らの意志で判断していくことが大事なんじゃないかと思いました。僕は、自分の生き方を自分で決めて、精神的に満たされる暮らし方をしているので、今、とても楽しいです。

画像2

― 壬生さんが精神的に満たされているような感じが伝わってきます。

それから、社会はいずれ、自分の精神的な幸福を追求する働き方に近づいていくだろうとも思っていたんですよ。

―「予想してた俺の時代、到来!」ですね。(笑)

まさに!!(笑)



【迷ったら大変そうな方を選ぶ】

― 壬生さんは、自分の「やりたいことをやっている感覚」と「やるべきことをやっている感覚」、2つの感覚を持ってお仕事されているように思うのですが、両方の感覚があるのか、あるとすれば、その割合はどのくらいでしょうか。

両方ありますね。「農家民宿ひがし」は単純に自分がやりたくて始めた事業なんですよ。もう一つのジビエ事業は、使命感でやってます。僕は仕事を、充実感ややりがい、そして、社会的意義があるかどうか、自分にとって意味があるかどうかや自分の成長につながるかどうかという尺度でやっているので、どっちもありです。ただ、僕が重要だと思うのは、自分にとって意味があるかどうかという観点で考えることです。

― なるほど。やりたい気持ちと、やらなきゃという気持ち、どっちもあってよいんですね。ある記事の中で、壬生さんは「自分の好きなことを自ら選択してやっているから言い訳は出来ないが、そういう逃げ道を塞いだ生き方が好きなんだ」とおっしゃっていて、そんな生き方がお好きなのはどうしてなんでしょうか。

僕は、たった一度の自分の人生を、充実したものにしたいんです。安定した生き方がいいという人もいますが、僕は、波乱万丈な人生の方が、生きがいがあって楽しいと思えるんです。鹿の廃棄処分を減らすためのジビエ事業は、自分が死ぬまでに到底やり切れないだろうと思うので、今、まさに生きがいを感じています。

― なるほど。進路選択で迷ったら、「自分にとってどんな人生だったら充実していて、生きがいがあると思えるのか」と自分に問いかけてみることもよさそうですね。

充実している、と言えば、僕は小中高校生時代は勉強が大嫌いだったのに、大学で自分のやりたい分野の勉強ができるようになったら、勉強が楽しくて、アルバイトもサークルもせずにがり勉してたんですよ。ひたすら勉強してて、あ、ちょっとこれ自慢になっちゃうんですけど...(笑)

ー 自慢話、ぜひ聞かせてください。(笑)

大学3年生の頃に卒業論文を書き始めたんですが、それが楽しくてのめりこんでしまって。普通は、大学院生ぐらいからやっと優秀な論文のいくつかが学会誌に載ることがあるくらいのもので、4年制の大学生が書く論文なんてたかが知れてるんですよ。でも、僕が4年生のときに書いた論文が学会誌に載ったんです。しかも、その功績が称えられて卒業式に学長賞も頂けました。

― すごいですね!その論文のテーマが気になります。(笑)

ありがとうございます。ちなみに、大学生時代に周りから評価された経験が、自分の幼少期の劣等感を打ち砕いて自分に自信を持てるようになりました。

―とってもよい経験をされたんですね。
それだけ研究にのめり込んでいたら、もっと研究したいという気持ちが湧いて来ませんでしたか。

僕は大学を卒業したら田舎へ移住することを決めていたので、大学院へ進学してさらに研究することは全く考えていなかったんですけど、そうやって自分が誰かに評価されたことで、大学院へ行って研究者になりたいという気持ちが芽生えてしまいました。(笑)

― 飽くなき探求心が溢れ出てきてしまったんですね。

ここで、田舎へ移住することと、大学に残って研究者を目指すことの2つの選択肢が出てきたんですが、このとき、僕は「より一層大変な方へ進もう」と思ったんです。

画像5

― 敢えて、大変な方を選んだんですか。どっちの道を選んでも異なる大変さがありそうですが。

僕は、大学の研究者になることよりも田舎へ移住することの方が大変だろうと思ったんです。田舎へ移住したら、全然知らない人たちの中で生きていくことになるし、仕事もどうなるかわからないし。社会人になりたてで、まずは仕事を覚えないといけないんですが、家事も仕事も祖父の面倒も地域との付き合いもして、とにかく大変でした。

― なぜ「大変な方」を選ぶんですか。

成長できるからです。できないことをやっていってできるようになると、強くなれるんですよね。

― なるほど。ちなみに、自分の中ではできそうにないことだけど、ちょっとはできるかもしれないという気持ちがあるから「大変な方」を選ぶんですか。それとも、到底できそうにないと思っているのに選んでしまうんでしょうか。

そうとう大変だけど、自分を信じて「できる」と思って選んでます。ジビエ事業も、周りの人は、できないだろって思うと思いますけど、僕はできると思って、生涯かけてやってます。

― それが壬生さんの信念ですね。
最後に、進路選択を含めた生き方について、中高生に伝えたいことはありますか。

自分で考えて、自ら判断していって欲しいと思います。それってとても大変なことなんですが、後々、それが自分にとってよかったと思えるはずだし、これからの時代は、そっちのほうが生きやすい世の中になっていくんじゃないかと思うので。「自分は何がしたいのかや、どういう判断をすればいいのか」ってその都度考えていく癖をつけるといいかもしれませんね。

それから、いろんなことに挑戦していって欲しいです。若手で事業を立ち上げた人は移住者が多いので、生まれ育った土地で暮らしていく人たちの中から、新しいことを始めて挑戦していってくれる人たちが増えて欲しいなと思います。その原動力は自分で考えて判断していくことなんじゃないかなと思います。

― 挑戦する対象は何でもよいんでしょうか。

自分が関心のあることや、やりたいと思うことであれば、何でもいいと思います。

― ちなみに、自分の関心がある分野を探している若者には、どんなことを伝えたいですか。

やりたいことを無理やり見つけにいく必要はないと思います。ただ、「とにかく行動すること」でやりたいことが生まれてくることもあります。家の畑仕事を手伝ってみるとか、いろんな人と会話したり親しく関わったりするとか。そうすると何かしらの関心は出てくると思うんですよ。

画像4

― なるほど。考えて「行動する」ことの繰り返しがよさそうですね。
壮大な質問になりますが、自ら考えて行動していらっしゃる壬生さんにとって、人生とはどんなものだと思いますか。

自分に何ができるのかや、自分は何がしたいのかを探す旅が人生だと思います。
よく、人は何かの役割を持って生まれてきたんだってことを見聞きすると思うんですが、僕はそうとも言い切れないんじゃないかと思うんです。だって、自分の人生の役割がわからずに一生を終えていく人の方が多いと思うから。
僕は自分の役割が何かを探しに行って、たまたま生涯かけて取り組みたいことを見つけて、今とても充実した生活を送っています。でも、違う価値観で充実した生活を送っている人も大勢いると思います。何が正解かは分からないので、葛藤しながら自分に向き合うことが大事だと思います。

― そうですね。何か一つの価値観が正しくて、その価値観に従って生きていくのが充実した人生というのではなく、それぞれの人が自分の価値観を大事にして生きていくことがそれぞれの人にとって充実した人生になっていくんだろうと思います。