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書くことが、未来のわたしへの贈り物になってた

あ。まただ。聞いた途端に思いました。

本日のこと。話を聞いてたら、コチラと同じようなことを言っておられて。


この記事を書いてからというもの、似たようなこと、もしくはそのものの考え方に巡り合うのです。

誰かの会話や、ふと読んだ本、ネットで見かけたもの。もちろんnoteでも読むことがあって。発見するたび、ひとり驚きです。また見つけたーって。見つけるたび、以前よりも深く理解できるというか。やっぱそうなんだーと、確信へ変わってく。

今日とて、「迷惑について考える会」みたいな講演会へ参加したわけじゃなくて(そもそもそんな微妙講演はあり得ないか)。されどたまたま、話題にされてたんですよね。びっくりのあまり、思わずポカンとしちゃった。

思うに、今までもきっと、そこかしこに存在してた考え方だったんだろうな。聞こえてたはずだけど、きれいにスルーしてた。なんと便利な耳だこと。

あと、たぶんね。「わたしは、ひとりで生きてる」「迷惑なんてかけてない」という傲慢な気持ちが、心の奥に横たわってた。だから入ってきたとて、跳ね除けてた。そんな気がします。いやはや、奥底の気持ちは隠しきれないもんです。

思ったから書く。感じたから書く。大切ですね。改めて思いました。自分の言葉でしたためたからこそ、照準が合うようになり、聞こえてなかったことがキャッチできるようになった。きっとそんなカラクリのはず。

目新しい気づきでもなく、たとえありふれたこととて。自分の心が震えたなら、言葉にして書き記そう。だって、未来のわたしへの贈り物になるんだから。

新しい決意をした今晩でした。

では また

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