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2024年の後半は、自分の中の「くず」をまぁるく愛そうぞ

ん?どういうこと? タイトルを読んだあなたは思ったかもしれません。

先日、「虎に翼」を観てて思ったのです。

その日の回は、どうしようもない三兄弟が出てて。男尊女卑が強い長男、「俺は怪我を負ったんだぞ」と主張するばかりで、働こうとしない次男。唯一信用できそうだと思ってた三男も、蓋を開けてみたら女癖というか、女の好みに難ありだった。

みんな揃いもそろって、クソだな。わたしは白い目で眺めてました。でもね、ふと思ったのです。この人間くさい「くず」を持ってる方が、生きやすいんじゃないかって。理想を目指し、清廉潔白であろうとすればするほど、かえって生きづらく、しんどそうだなって。

清きに澄みわたった世界こそが、理想なのか。ううん、違うと思う。絶対に息苦しく、住みにくい。「うわぁー」「あちゃー」と目をおおいたくなるような、ゴチャとした不純物がある方が、なんでか快適。

なんででしょうね。近未来の映画でよくある、真っ白けの部屋。十分に空気はあって清潔そうなのに、そんなとこに入れられたら、呼吸困難となりそう。わちゃわちゃ散らかった部屋の方が、自分の城て感じがしませんか。

かつて家族に「風紀委員長」てあだ名をつけられたくらい、わたしはケンケン注意しがちな性格で。いま風に言えば、相手を断罪しちゃいがち。目指せ、キレイキレイでした。

じゃあ、わたしは濁りなき人間なのか。ううん。他人のことをやかましく言ってるわりに、わりと汚れっつうか。「くず」部分、やっぱし持ってますよ。

例えばワガママでしょ、頑固、すぐカッとなる、思い込みが激しい。まあ、そんな感じで、色々あります。自分でも手を焼いてるし、どうも周りも焼いてそうで。みんなゴメンねー。

あえて好きになる必要もない。でもきっと、追い払わずともいい。自分の中に余白を作ってくれてる部分だから。人間味をもたらし、「ほんまにもー」て言われながらも愛されるところになるんだと思うから。

自分の中のどーしようもないところを見つけたら、目くじらを立てて追いやるんじゃなく、しゃーないなーの心でいたいな。他人をケンケン非難するんじゃなく、どーんと構えられる人間になりたいなー。

まぁるく包み込むように、「くず」なところを愛す、2024年下半期にしよう。心に決めたのでした。

では また

#2024年 、こんな後半戦にするぞ~
#書く部のお題で書いてみた

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