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「セルフレジが嫌い」の裏にあるもの

株式会社ティラノの松江です。
先月の社員ブログでも少し書きましたが、赤羽駅の無人キオスクが試験終了するというので見学に行ってきました。

試験であるということで、商品数がかなり限られていたり、入店時の操作案内担当/店内アナウンスの担当/退店時の精算確認担当 など3~4名の担当の方が張り付いていたりしたため「無人店で買い物」感は少なかったものの、実際の本運用時が楽しみな店舗でした。

その際にも「そうは言ってもシニア層はオペレーションに戸惑うだろうな」などと感じていたのですが、先日 朝日新聞の投稿欄にこのような話があり、ネット上でも話題に。
https://mainichi.jp/articles/20190109/ddm/013/070/040000c?inb=ys

---要約---
・近くのスーパーがセルフレジを導入した。
・夫も「セルフレジになって買い物に行けなくなった」と嘆いた。その気になればできないことではないが、やりたくない気持ちが先にきてしまうのだろう。
・入店時/会計時の挨拶は物を売る側の最低限のあいさつだったと思うが、セルフレジは味気なく、店側の誠意や感謝を感じることがない。
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これに対し、現役世代が中心であるネットの論調は「会話する分、後ろで待っている人がいることを考えろ」「そんなにコミュニケーションを望むなら高級店に行け」など、なかなかに厳しい方向。
投稿の文章にも書いてあるとおり“操作を覚えたくない気持ちが先行”という部分を甘えと見れば、正論とも言えるのかもしれません。
私も「ついていけない人に時代が合わせることにはならないだろうな」とも思いますし。

しかしながら同時に、「店舗におけるコミュニケーション」が今、どのくらいのニーズとして求められているのか?というのは 実はなかなかに難しいテーマではないでしょうか。

実際、第一類医薬品など「コミュニケーションしないと購入できない」商品こそあれども、スーパーでもコンビニでもドラッグストアでも 大半の商品は“自分で選んで買う”スタイル。
昔の商店街の店のように「店員と世間話をしながら購入する」には、売る側も買う側も忙しくなりすぎており、そこに時間をかける余裕がなくなっています。
それは必然的に“実店舗で購入することの意義”の減衰を呼び、コミュニケーションがサービスの軸である百貨店などの店舗からは客足が遠のき、価格や利便性を求めてネット購入へと顧客が流れているのは事実。
更に進んで「実店舗の意義はショールームだ」という話も。それも一面では正しいのでしょう。

しかし、たとえば『夏休み、家族や友人と 今夜楽しむための花火を買いに行く』というシチュエーションを想定してみると、ここでは”より自分にフィットする花火を、ちょうど使い切れる分量だけ、最良のコスパで手に入れる“のがゴールではありません。
結果的に使いきれず大量に余ってしまった花火さえ「お父さん、買いすぎたね。おっちょこちょいだなぁ」と楽しい思い出になるのであれば、それは花火の価格以上に価値のあるものであるはず。

こういった「メーカー/小売が提供するものではなく、購入者自身が紡ぐストーリー」が、すでに“お買い物”に求められていないのであれば、店頭コミュニケーションは意義もメリットも低く、不要となるかもしれません。
しかし、実際はまだそこまで即物的に振り切れいるわけじゃない。買い物にはまだ、そのニーズも求められているはず。
そしてそれは、リアルな店員 もしくは販促物(将来的にはAIも含むかも)によるコミュニケーションがサポート/演出を担える領域であると思うのです。そこにニーズがあるならば、店頭販促物を企画/提供する側は それに応えていかねばなりません。

『効率的な調達』ではなく、『買う楽しみ/選ぶ楽しさ』への社会的ニーズ。
セルフレジに嘆くシニア層が寂しいと思っているのは、日常から日に日にそういう場が減っていることへの反応であり、実店舗が生き残る(&それを販促物で支える)ためのキーポイントなのかもしれないと感じた次第です。

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