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日向坂46『絶対的第六感』とfishbowl『六感』の歌詞を読み照らし合わせてみた / 歌詞読んでみた番外編

先日、とある方の「日向坂46『絶対的第六感』とfishbowl『六感』の歌詞を読み照らし合わせてみた」という旨のポストにいいねを押したのですが、後日その方から「わたしの感想をぜひ聞いてみたい」とのリプライをいただきました。タイトルはこちらをそのままリスペクトさせていだきました。

おそらくわたしが日向坂46のファンであり、歌詞に関する記事を毎月書いていることをご存じで、このたびのわたくしめの感想に興味を持っていただけたのだとおもいます。

そもそも、ポストにいいねするくらいこの両楽曲の比較は興味があったので、これ勿怪の幸いとばかりに今回記事にした次第です。歌詞にまつわる記事なので毎月連載している「歌詞読んでみた」の番外編と位置づけました。

本稿ではキーワード「第六感」と起点として、各楽曲での第六感をどう捉えているのかを探ってゆき、さいごに簡単な所感を述べて落としどころとします。共通のキーワードをもつ同士の読み比べは初めての試みで緊張していますが、同時にとても楽しみでもあります。ぜひ楽しんでいただけらたなとおもいます。

それでは「歌詞読んでみた」番外編、はじまります。


第六感とは

まずは前提となるキーワード「第六感」を整理しておきたい。

wikipediaによると、「第六感」とは、基本的に、五感以外のもので五感を超えるものを指しており、理屈では説明しがたい、鋭くものごとの本質をつかむ心の働きのこと。一般にはヒトの視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感以外の感知能力をいう。

のちほど登場する楽曲たちにも「feeling」「インスピレーション」「予感」などとも形容され、時に「霊感」とも呼ばれる超感覚。効果音だとニュータイプが察知したキュリリリリンとかコナン君が気づいた時のコテリン。ちなみにキュリリリリンという音はフレクサトーンという楽器によるもの。

今日はカレーが食べたいし、上手い例えが思い浮かんできたし、予報に反して今日は雨が降る気がする。このような漠然としているけどわたしたちが日常的に感じている感覚、平たく言うと「なんかそんな気がする」が第六感である。扱う2曲においては、なかでも”恋愛における予感”というところが共通している。効果音ならビビッだろうか。

それらを踏まえて、この「なんかそんな気がする」が各楽曲でどのように使用されているか、ビビッの正体を探りながら本題の比較にうつります。


日向坂46『絶対的第六感』

Six Sense Six Sense なぜわかった?
Impression Impression 出会った瞬間(とき)
胸に響く恋のアラート
未来とは無意識の選択肢
僕たちは そうきっとFall in love

日向坂46『絶対的第六感』より

漠然とした「第六感」を明確な「絶対的」で修辞するギャップ法をもちいた『絶対的第六感』。この一目惚れがただ事ではないと胸騒ぎ(=第六感)に逸るこの曲は何を予知しているのだろうか

そのほとんどが予感で構成されているこの歌詞のシチュエーションをいったん整理してみる。それはAメロにて語られていて、そしてAメロがすべて。

ねえ 説明なんか
できるわけないでしょう
どこの誰かも知らないままで
中途半端に紹介されて
そっけない感じでNice to meet you

道端で見かけて友人が声をかけたのだろうか。友人を介した3人でこれからイベントに参加するのだろうか。見た目などの詳細なプロフィールは描かれず、どうやら”僕”と”友人”と”友人の友人(=君)”の三人が居合わせている場面だが、ひとつだけわかることはこの出会いはこの場限りだろうということ

さっそく結論を申し上げると、つまりこの曲における胸騒ぎ(=第六感)はこの出会いの一過性を予見している。ようするに冒頭の「胸に響く恋のアラート」、君と会うことが二度はないだろうという危険察知がこの曲の第六感である

危急として正念場に立たされた僕はこの第六感に従うことを決心する。目の前に広がる無数の選択肢を適切に選び取り、この出会いを次に繋げるために、漠然とした予感を絶対だと信じて身を任せようとしている。

君と出会って以降、歌詞の言葉遣いがやたらにキザなのは、決心の表れとこの焦燥感にまみれた目まぐるしい状況にのぼせ上がってしまってるからだろう。だからって出会ったばかりの人に「You wanna kiss me?」は大きく出過ぎな気がするが、興奮状態にある時のこういうサーフする感覚は案外気持ち良い。

「絶対的第六感」とはあくまで予感の域は超えないが限りなく確信に近づけた状態のことをいうのだろう。まとめると、『絶対的第六感』の”第六感”は本能的な危険察知をし、良き未来を手繰り寄せるための方位磁針として描かれているのでしょう。

以上、日向坂46『絶対的第六感』でした。


fishbowl『六感』

第六感でも君が好き
ってことはこれいわゆる本当の恋?
普通じゃなく君が好き
見た目や声や匂いだけじゃない

fishbowl『六感』より

『六感』とだけ題されているこの曲。さきほどの『絶対的第六感』との大きな違いと言えば、他の五感が登場するところでしょう。「第六感”でも”君が好き」と、視覚的、聴覚的、嗅覚的な要因を花占いのように落としていき、最後に残った何かを”第六感”と呼び、それら全てを集めて、君の全部が好きだと花びらを宙にまいている。

また、言語化やデータなど、漠然とした事象を明確にする行為や概念を嫌っている節があり、むしろ曖昧であることに尊さを見出し、具体よりも抽象に神秘を見出している。ニュアンスとしては漠然ではなく曖昧、輪郭はあるけどふにゃふにゃしてるくらいの抽象度といったところだろうか。

むかしむかし人は、わからなすぎちゃったんです
おばけだとかいっっちゃって、それでつまんなくなっちゃったんです
いまはいまで人は、なんかわかってるふりで
本当はそんなの超えて、なんて素敵な予感です

これは単にわたしの見立てだが、この歌詞の下地には哲学が敷かれている気がする。ラスサビ前の「5秒前より君が好き」は世界五分前仮説のインスパイアに感じるし、哲学やその原点である自然宗教的な思想によっていま・ここでわたしが恋をしていることを大切だと訴えている。

その考えは現代の科学的社会とは相反する主張であり、いうなればここでの”第六感”への信仰とは現代社会へのカウンターパンチともとれる。データ(出身、性別、身分などのあらゆる情報)の積み上げや組み合わせによって人間や感情を判別するのではなく、もっとも原始的な直感(=第六感)を頼り、魂レベルでひとに恋して楽しもうじゃないかということが言いたいのだろう。ようは目と目で通じ合おうぜということだ。

かすかに色っぽかったが、ここで最初に戻りながら総括すると、『六感』における”第六感”とは、通信のように人間同士を繋げる機能であり、五感も含めた六つの感知すべてが惹かれてやまないことを”恋”と呼んでいることがわかった

『絶対的第六感』で描かれた一目惚れが異性間のみを指すかは定かではないが、少なくとも『六感』で描かれた恋は限定的でないことは確かだ。この曲はあまねく慕う心を”恋”と呼ぶ博愛主義である。

以上、fishbowl『六感』でした。


所感

『絶対的第六感』の”第六感”と『六感』の”第六感”を比較してみると、始める前は共通していると思っていた”第六感”の認識でさえも、捉えている価値観や思想がかなり大きく違っていた。『第六感』ではごく日常的で身近な感覚として『六感』ではある種の悟りの境地として「なんかそんな気がする」があるのだということがわかった。

こうしてみると、まったくの別モノといっていいかもしれないがわたしが今回した”第六感”を模索することは、これまで人類が歩んできた「恋とはなにか?」の探求と似ている気がしている。

それぞれの楽曲の主人公はこうして君への想いを知りたがってたのだと、まるで物語の追体験をしていたことにはたと気づいた今回の試みでした。


以上、「歌詞読んでみた」番外編「日向坂46『絶対的第六感』とfishbowl『六感』の歌詞を読み照らし合わせてみた」でした。様々な認識の揺れがある”第六感”を探っていのがおもしろく、楽曲の読み比べはじめての試みでしたが、とても楽しかったです。

機会をくださったうしみつさんに改めて心よりの感謝の意を表します。そしてここまで読んでいただきました皆様ありがとうございました。楽しんでいただけたら幸いです。毎月初めに更新してます「歌詞読んでみた」のほうもよろしくお願いします。

おしまい。


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