「リハビリnote、はじめました」

2019年1月。
noteというアプリは以前から知ってはいたが、なぜかはじめてみようとは思わなかったんですよね。
以前はアメブロを使って週に一回程度、約6年くらいの時間を使いいろいろ書いていたことがあったが、その反動もあったのかもしれない....。
誰かに向けて書くってことって、長く書き続けていると結構しんどくなる。
そんな経験もしてきたからだろうね。

はじめるのにきっかけはあった。
たまたまSNSで友人が紹介していたnoteの投稿記事がとても面白かったからだ。しかも全然知らない赤の他人の投稿記事ではなかったからってのもあったな。
「これは出会いだ」って感じに近かった気がする。

約20年程近く前の昔。
海外に住んでいた頃、少し関わりがあったのがその記事を書いた彼だ。
同じ年代のヤツだが、当時から偉才を放っていて、他の誰かとはぜんぜん違う輝きがあったのを今でもよく覚えている。
彼はといえばいまとなってはその世界では誰もが知る大経営者になっていて、その時の公言通り成功者になっていた。
そうなっていく経緯は前々から風の噂で見聞きはしていたが、まさかこんな飛躍の仕方をしていたというのは正直驚きだったよね。
彼の記事に釘付けになり、隅々まですべて読んで思ったこと。
「やっぱ、あいつスゲェな」と。

元来そんな成功欲求が高くないのがダメなとこの自分だが、最近読んだ別のnoteの投稿記事で深く共感したことがある。
その内容がこれ。
「あまり承認欲求をいじめてくれるな」ってはなし。
この記事を読んで「成功欲求はあまりないけど、承認欲求はめちゃめちゃあるって一体なんだ?」ってなったのだった。
昔、他人の話ではあったが、あまりにも承認欲求の強い人のことを見て知人が「承認こ●き」とか「承認ドロボー」とか言っているのを聞いて、「やべぇ、俺もだ」と思ったことがあった。
それから自分の承認欲求を恥じて少し隠すようにしてきていたけど、本当の自分はやっぱこれが強い。
誰かの役に立ちたい。
誰かに「すげぇ」って認めてもらいたい。
誰かが自分が関わったことでうれしい顔になっているのを見たい。
そういうの自分の中で正直に大事にしてるんだよなーっていうのを改めて気付く機会になったのが、この「あまり承認欲求をいじめてくれるな」の記事の話だった。
たぶん世界では、いろいろな人がSNSやらnoteやらいろいろな手段を使ってアウトプットし、「自分はここにいるよ」「ここから叫んでいるよ」ってつぶやくことで自身を保っていたりするに違いない。
ある意味ではインスタやFacebookなどのやり取りも全てがそれで、自分のための記録残しとかうまいこと言いながらも自身のモチベーションの管理のために承認欲求の発散としてこういうものを使っているのではないか。
そういうことを少し恥ずかしいと思い遠のいてきたので、リハビリとしてnoteを選んだのかもしれない。
最初の書き始めなので、当然まとまらないがカッコイイこと、面白いことを発散するためにはやはり「今の僕ではアウトプットの量が全然足りないや」って、そんな気がしている。
「リハビリnote、はじめました」ということで、今日のところはご愛敬。


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