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“ひとつで全てを満たそうとしない”を手放せていないことに気づいてしまった

私が主催するワークショップ #過去の私を愛おしく想えるWS は2週間前に終わった。なんだかもっと前のような気もするし、つい最近のことのような気もする。

少し時間が経った今だからこその感情を残しておこうと思って、この記事を書いてみる。

ここ最近の私は、自分のノートにWSについての考えやアイデアをメモしたものをながめていた。このWSに来てくださった方に、どんなことを届けたいかについてこう書いていた。

子どものころに悲しい思いや経験をしたけど、幸せになってもいいと自分に許可を出せるようになる。そんな変化を届ける。

ちなみに、青のボールペンで書いていた

多分こう書いたのは半年くらい前だと思う(本当はもう少し最近だと思うから、ちょっと盛ってる)。だけど、今も同じ気持ちなので我ながら驚いた。


で、問題はここから。

私は、この0期でそれを達成できたのだろうか?とモヤモヤしていた。もちろん、ご参加の方に対してではなくて、私のあり方とか捉え方について。

そんな思いをaimiさんにぶつけてみたところ、こんな言葉をもらった。

私は、「絶対そうだ!」と思った。それと同時に、自分の考え方の変わらなさにがっかりした。

というのも私は、ちょうど1年前にライフログという講座を受けていて、そのときに「ひとつで全てを満たそうとしない。一度で変えようとしない」という言葉をもらったのだ。

この言葉に私の価値観がすごく反映されている気がして、この考えは手放そうと決めたはずだった。けど、1年経っても手放せていない自分に気づいてしまって、悲しい気持ちになった。特にこの1年はたくさんの変化をしてきたと感じていたから、なおさらショックだった。

でも、なぜか落ち込んではいなかった。ショックだったし悲しかったけど、落ち込んだというのは私にとっては少し違うのだ。うまく表現できないけど。

今の私のあり方でWSを続けていくと、余白がなくて息苦しくなりそうな気がしている。私が息苦しければ、この場に来てくれた方もそう感じるだろう。だから、今のあり方は手放したい。


あともうひとつ、WSを終えての気づきがあった。

それは、誰よりも私が「過去は辛かったけど、この先の人生で幸せになれないということではないんだ!」と思いたいんだということ。きっと今の私は心からはそう思えていなくて、でもそう思いたいからこのWSを始めて、そしてそう言い合える仲間がほしいのだなと気づいた。

だけど、心からそう思えるってなんだろう?と思う私もいる。

なんだか、ひとつで全てを満たそうとしている気がしてきた。ひとつで全てを〜というよりも、完ぺきとか完全なもの以外に許可を出そうとしないというほうが私の感覚に合っているかもしれない。

そう思えないときは誰にでもあるだろうし、気持ちがゆらいでしまうことはそんなに悪いことなのだろうか?そう思えないときは、「あっ。今の私はそう思えていないんだな」と今の自分を受け取るだけでOKなのではないか?

実は、このWSのコンセプトは「自分に許可を出す」なのだ。(noteではお伝えしていなかったような…)

なのに、主催者である私が自分に許可を出せていないのかもしれない。そういえば0期の最後に、ご参加の方へのメッセージとしてこんな資料を作成していた。

主催者なのに、頼りないことを言ったもんだと思う。でも、気持ちがゆらいだときにお互いに寄り添えあえる方と繋がりたいと思っているのだろう。

以前にも書いたけど、本当に自分のためにこのWSを始めたんだなと改めて気づいた。


今年中に次期をやりたいので(と言っているわりに進んでいない)、私もご参加の方もヘルシーでいられる場になるように、手放すものは手放しつつ譲りたくないものは譲らずに、また創っていこう。



#過去の私を愛おしく想えるWS  0期のご案内はこちら


#過去の私を愛おしく想えるWS  0期初回の感想はこちら


#過去の私を愛おしく想えるWS  0期2回目の感想はこちら


#過去の私を愛おしく想えるWS 0期3回目の感想はこちら


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