自分だけの「メロディー」を見つける〜同じ音しか出しちゃいけないこの世の中で〜
今日人生で初めて自分で決めてお金を払ってオンラインセミナーを受講したんです。山口周さん(@shu_yamaguchi)という僕の尊敬する方の対談でした。山口さんは”独立研究家”として活動されていて、作家でもありパブリックスピーカーでもある、という色んな経歴を持った「知識自由人」のような人です。
今回はフランソワ・デュボワさんという作曲家兼キャリアマネジメント専門家、という、これまたとても異色の経歴を持った方とのオンライン対談でした。
なぜ僕がこのセミナーをお金を払ってでも見たかったのか?それはとても単純な理由で、山口さんのご尊顔を間近で拝見したかったから、ただそれだけです。アイドルの顔を生で見てみたいというのと全く同じです。山口さんの著書もいくつか読んでおり、文章の説得力と思考の鋭さ、視点と視野の次元が自分とは全くかけ離れていて、それでいてどこか優しさや思いやりを持った文体で、読むたびに励まされているように感じられるのが彼の作品の特徴です。(個人的な見解です。)
実際にお会いしたわけではないのですが、オンラインで2時間ほどお話を聞かせていただいて、お互いが傾聴の姿勢で、言語の壁を感じさせないほどに価値観が共鳴していて、これが文化人の特徴なのかな…と感動しました。
様々なキャリアを持つお二人の会話の中で特に強調されていたことがひとつあったのでそれを紹介しようと思います。
山口さんは大学生の頃、アートにのめり込むあまり、授業に出ず、美術館や映画館に行っていた、というほど、芸術に造詣の深い人です。一方、デュボワさんも18歳の頃から音楽で生計を立てていたというぐらい、長く芸術に携わって来た方なので、会話は主にアート中心で、それをどう人生哲学に落とし込むかという流れで進んでいました。その中でしきりに強調されていたのは
「自分のリズムを見つけて、自分だけのメロディーを作れ」
という言葉です。
現代の世の中、特に日本では、同じ時期に会社に入って、配属も入社後に決定されて、もし自分のやりたいことじゃなかったとしても入ってしまった以上もう後戻りはできない。指揮者(上司)がドと言えばド。ミといえばミ。オーケストラ(会社)にとっての不協和音はひとつでも許さない。自分の音は出させないし、自分のリズムも表現させない。個性は許さない。これが今の日本の会社文化です。
でもそれっておかしくないか?ということを2人ともおっしゃっていました。人間の本質ともいえるアートは個性至上主義なはずなのに、社会では自分だけの音を出すと非難され批判される。同じであることこそが美しい。少し違和感を感じませんか?
こういう違和感を感じた時は全力で自分のリズムとマッチするオーケストラを探すか、自分だけのリズムとメロディーをひとつの音楽として確立するべきだと思います。
現代の日本は個性を表現できない社会で生きてきた故に、表現できなかった昔の自分と若者を重ねて、夢を邪魔してくる大人ばかりの世の中です。お二人のような確固とした価値観と姿勢で前を向いて歩かなければいつ潰れてもおかしくない。
山口さんがこんなこともおっしゃっていました。
「何かどうしても自分のリズムと合わないことに直面した時は後ろを向いて逃げたって良い、相手にとっては後ろ向きかもしれないが、あなたは前を向いているんだからそれで良いんだ」と。
僕も決められたレールの上から外れることは今でも怖い。安定した、保証された明日があるのにあえてそれを選ばないなんて、昔の自分だったら考えられない。でも、自分のリズムに気づきはじめて、次の音はどうするべきか。そんなことを毎日ずっと考えていたら、ぼんやりと自分のメロディーが聞こえたような気がして、そんな不思議な感覚を今では心地よく感じます。
今まで聞いた大人からの話の中で一番自分の中にストンとハマって、飲み会1回分ほどの金額でこれからの人生の指針になるような新たな価値観を得ることができました。
山口さん(@shu_yamaguchi)、デュボワさん、本当にありがとうございました!
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