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noteはたぶん、「贈与」でできている

「noteって何がいいの?」

毎週のようにnoteに記事を投稿していると、知り合いからよくそんなことを尋ねられる。
そう言われると、なかなかうまく説明できない。

記事が書きやすいシステム。
お店の商品を伝えて、ネットストアで買ってもらうためのリンクの仕組み。
検索にひっかりやすいSEO対策。

どれも正しいようで、でもどこかその魅力を伝えきれていないように感じていた。
まるでもやもやとした霧のように、noteの良さを言葉にしようにも輪郭がぼやけていて、掴みどころがない。

そんなもやもやが、一冊の本を読んだことでだいぶ晴れた。
それが近内悠太さんの「世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学 」という本だった。

もちろんこの本は、noteについての解説書じゃない。
「贈与」というものが、私達の世界の中でどんなふうに重要で、私達の仕事のやりがいや人生に意味を持っているのかが描かれている。

でも、そこで語られている「贈与」こそが、noteというサービスの根幹を握っているように、私には感じられた。
「贈与」について語られる言葉のひとつひとつが、noteが私達にとって気持ちよく必要なサービスに仕上がっている理由を説明しているかのように感じられたのだ。

今回は、noteが魅力的な理由を、私なりに「贈与」という言葉を使いながら紐解いて紹介したい。

等価交換でも、愛情の押し付けでもなく、贈与であること

「贈与(ぞうよ)」という言葉からは、多くの人にとってはプレゼントをするイメージが浮かび上がると思います。
でも、先程紹介した本で語られる「贈与」には、なかなか厳しい条件が設けられています。
その正確な定義は、本を読んで頂くとして、この場ではすごく簡単にまとめると以下のような条件のクリアが求められます。

・贈り物をすることで、相手からの見返りを求めたりしない
・送られてきた年賀状のように、その気がなくとも返事を書く必要性を意識させてもいけない。
・贈り物をされた時に、相手は気づかない。サンタクロースからのプレゼントのように、数年経ってから「あれは両親からのプレゼントだったのか」と気づくような時間差のあるものである必要がある。

どうでしょう。
明らかにハードル高いなと思わないでしょうか。
プレゼントしたら相手からお礼を言われたいし、良好な関係性を更に構築していきたいというのは、私も思いますし、多くの人から共感してもらえると思います。

著者の近内さんも、「全ての経済活動がこうなればいい」みたいなことは言っていません。
ただ、ありとあらゆるものがサービスとして金銭でやりとりされる世の中だからこそその隙間で行われる「贈与」というさりげない行為に気づく人が現れることが大切である

その気付きによって、「贈与」を行った人には直接なにか収入があるわけではない。
けれど、生きていくエネルギーってそこからもらえるんじゃないのか。
私の理解の範囲でまとめた超大雑把な解説ですが、この本で語られている「贈与」はそんな性質を持つものとして説明されていました。

noteの拡散性は「贈与」の構造性に似ている

noteで書く記事は、時にビックリするほど拡散されることがあります。
note自体にもフォローやコミュニティ機能があり、フォロワー数が多い人ももちろんたくさんいる。
けれど、時に1つ目の記事がとてつもなくバズる人が現れたり、Instagramのいいねの伸び方とは全く違うような動きを見せることがあります。

その理由はなんなのか。
ずっと、言葉にできずにいましたが、近内さんの本を読んで一つ思いついたことがあります。

それは、誰かが書いた記事を「贈与」として受け取った人が、その感動をシェアという形で表現する文化に優れているからではないかということです。

どんなサービスでもtwitterなどで記事をシェアするためのボタンがついているものですが、noteはその中でも記事のタイトルやトップ画像、文章の書き出し等が美しく表現されていて、シェアすることがしっかりと考えられています。
シェアされた時にはtwitterなら、twitterに連携している書き手のアカウントにメンションがいくような設定になっていたりと、本当によく考えられています。

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そして、記事のシェアについてはユーザーに任せっきりにするのではなく、それぞれの分野に精通したnoteのディレクターたちが、おすすめ記事としてたくさんの記事をチェックしては紹介する場を作っている。
それは、noteのサイト上だけでなく、ディレクター達のtwitterアカウントでも積極的に行われていて、そこから記事を読む人も少なくないと思われる。

つまり、noteは記事を書くためだけのプラットフォームではない
「贈与」として、ネットの海に生まれ落ちた記事は、必ずしも誰かの目に留まるわけではなく、埋もれていくのかもしれない。
その記事を拾い上げて、読み手がシェアする仕組みにも優れたプラットフォームだからこそ、いまこれだけのユーザー数を得ているのだと、私は思った。

noteはたぶん、「贈与」でできている

近内さんの「世界は贈与でできている」という本も、タイトルのセンセーショナルさとは裏腹に「世界経済は全て贈与で回るべきだこんにゃろー」的な本ではない

サブタイトルとして続く「資本主義の「すきま」を埋める倫理学 」という言葉のように、あらゆるものがサービスとして交換される資本主義の中だからこそ、贈与は隙間でしっかり意識されるべきという、優しさのある内容になっている。

同様に、私もこの投稿のタイトル「noteはたぶん、「贈与」でできている」も、noteを作っている全ての要素が「贈与」でできているとは結論づける気はさらさらない。
ただ、たまたま誰かの記事を受け取ったあなたが、その記事を素晴らしい「贈り物」だと気づいて、他の人にも伝えたいと思った時にすぐ行動に移すことができる仕掛けを、noteは間違いなく生み出していると思う。

もちろん、事業の売上のために記事を書く人も、商品の販売のために記事を書く人もnoteにはいる。
私だってそうだ。
でもだからこそ、その記事の中に、誰かの役に立ってほしいなというさりげない想いが見つかった時に、宝物をみつけたような気持ちになってシェアをしてしまうのだと思うし、noteはそういった記事を大切にしているように感じられる。

この記事だって、数多く投稿されるインターネットの記事の一つとして埋もれていくかもしれない(というかたぶんそうだ)けれど、ここまで読んでくれたあなたのなにかに役に立ったらいいなとは思う。

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