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アートを100倍楽しむ視点を獲得する

Essential Management School Art, Sports, Entertainment.

今週のInputs

中津川 浩章 Official Site https://hiroaki-nakatsugawa2.webnode.jp
表現研究所ラスコー https://www.lascaux-labo.com
一般社団法人Art InterMix https://www.artintermix.jp/
中津川作品・活動スライドショー https://youtu.be/L0c0ur3c1qQ
ゴッホ展を振り返り、作品をご紹介 https://youtu.be/LEHPRx85VMU
映画『フリーダ・カーロに魅せられて』https://youtu.be/FiNgkPjftX4
Exploring & Conserving Jackson Pollock's "Mural" https://youtu.be/EWAbVpkV0jQ
How to paint like Jackson Pollock https://youtu.be/EncR_T0faKM

うまく出せないSomething を表出し伝えるもの

人間は、本能的に「伝えたい」「共感を得たい」という欲求を持っている。

アートは、普通の言葉にしきれない 内面の”something”を外に出したり、伝えたりする究極のコミュニケーション媒体だ。
コミュニケーションは、受け手において成立する。受け手は創作した人のどういう内面が表出したものなのかを感じる。

知的障害や精神疾患を持つ人の作るアートと現代アートが酷似していることに驚きをおぼえた。

内面に持っているうまく言葉にできない somethingは大なり小なりある。それが外に出せずに気持ち悪くなることがある。

知的障害を持つ人や、精神疾患を持つ人は、言葉にすることに困難が伴ったり、内面のsomethingが大きかったり複雑だったりしているはずだ。出したいコンテンツがきっと複雑で多くて大きい。知的障害を持つ人、精神疾患を持つ人は、アートに関していえば、Giftedなのかもしれない。描くものに悩まないようにみえる。

大切なのは、作品を通じて「何を外に出しているのか」「何を伝えようとしたのか」。技巧はそれを伝える技術。美大などでの教育・トレーニングは、Giftedな方々の領域に学習によって近づこうというものなのかもしれない。

ゴッホ・フリーダカーロ・ポラック。皆、生きづらさ、苦悩について、普通ならタブーとされるレベルまで表現している。
アートという形をとると、タブーとされるものを日常生活の中に置くことができる。死・性・暴力・裸体・不条理・倫理観の欠如などのダブー性のあるコンテンツやメッセージを堂々と日常空間に示しても、寛容に受け入れられるところがある。
タブーな内容や表現も、アートの形を取れば、街中や職場や家庭内に存在していても許される。

バランス


私たちは社会生活を「まともなフリ」をして営んでいるところがある。少なくとも自分はそうだ。内面には狂気ともいえるいろいろなものが蠢いている。タブーなことで頭がいっぱいなことだってある。そんな時に、凄いアートがあるとバランスが取れる。渋谷駅という日常空間に巨大な「明日への神話」があるのはとても有難いと思ってきた。その理由が今わかった。アートは人間という野生動物が人工空間の中でバランスを取るために必要なもの。不要不急どころではなく、不安定な状態においてセラビーとしての必要なものなのだと確認した。そして、この確信は自ら手を動かすことで決定的なものとなった。

鉛筆

久しぶりに鉛筆を握り、ぐるっ!ぐるっ!と力を入れて円を描く。
脳の使っていない部分、凝り固まったところが解きほぐされたような感覚をもった。子供の頃には無数にやっていた原体験のようなもの。これを全くやっていない自分に気づきつつ、いつも焦っている「ざわざわ」した心の状態が徐々にバランス良くなっていった。
アートのプロセスは、心や体のバランスをとる。

紙粘土

冷たくて湿った紙粘土の中に手指を突っ込む。やがて紙粘土に体温が伝わって生ぬるくなりながら、不器用に整形する過程で、自分の中のSomething を形として作っていく。
技巧がトレーニングされていないので、イメージ通りにはできあがらない。でも、よく考えるとそのイメージそのものがどんな精度のどんな形たるのか怪しい。曖昧な形は、それはそれで良いのだ。
紙粘土が自分の内面に入り込んでくる。一方、自分の内面の化身が粘土となった現れる。自分の内面が粘土に染み込んで行くと言ってもいい。
いいものを作ろうと色気を出しては意味がない。ありのままに楽しんで作る。自然に内面が表出する。楽しみながらどんどん壊す。モヤモヤが解消される。アートは結果ではなくて、プロセス。過程にこそ本質がある。味わう側も出来上がりを評するのではなくて、そのプロセスを味わい、「この作品を作っている過程で作者の中から何が出てきたのか」を感じるのが本質的。
図画工作や美術の授業で、体験・学習すべきなのはこれだ。作品はアートを作った人の内側と外界を繋ぐもの。保存性があるので、時空を超えてアートを作る人の内側が長く固定され、社会性すら持つようになる。ゴッホの作品はゴッホが会うことがなかった未来の人々の間で社会性を持って存在している。

肯定セラピー

ポロックはセラピーでドローイングを始めたという。自分のプライベートな内面を本気で出していった。
ポロックの心情は、「この作品は、よし、これでOKだ」ではなくて、「自分は何をやっているんだろう」だったという。床に置いたキャンバスをメタ視点で鳥瞰し、問うていたのだろう。アートは答えではなく問いかけだ。潜在意識を問うものだ。
ポロックのオールオーバーペインティングでは、イメージがなくなって絵の具が物質化していった。それまでのアートは「そこには本当はない」イリュージョンを表現するものだった。一方で、ポロックオールオーバーペインティングは、そこにある絵の具という物質そのものだ。「ここにない何か」を目指すのではなく、「これはこれでいいという肯定。
この肯定が、セラピーなのだと思う。だから、アートを採点してはいけない。採点とは満点があって、それからどれだけかけ離れているかを測る。否定の行為だ。
アートは精神的な営みを表現する。本来はプライベートな外に出ないものを描いているのに絵画などの形で社会のものになっていく。

今回の学びは、ドラッカーの「答えよりも問いを」や「私的な強みは公益になる」に繋がった。


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