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少女だったと振り向く日が来た――「想い出がいっぱい」

川上未映子『黄色い家』を、ああ、ああ、と泣きそうになりながらずっと読んでたら、
あるキャラクターが「想い出がいっぱい」を歌ったんですよ。
 
私、これが高校の卒業式の歌だった。
 
私が通った女子校は国内有数の自由さで、制服はあったけど、みんな共通して着ているのはスカートくらいだった。
丈はパンツ見えるよってくらいの人から膝下の人まで、各自の思うようにしていた。
ブラウスは校則では「白」だったようだけど誰も校則の存在を知らなかった。ルーズソックスはそもそも禁止でもなんでもなかった。

私はうす水色とかピンクとか、時にはチェックのシャツとかも着ていた。
流行りのものは嫌いだったし足も太かったからスカートは膝丈で、黒とか紺のハイソックス、好きな水色、黄緑の靴下、あるいはアーガイル柄なんかも試していた。
 
体育があったら適当なTシャツ・ハーフパンツ姿になって、そのままずっと過ごすのはよくあることだった。卒業アルバムを見ると、教室での授業もTシャツ姿が多くてみんな見事にバラバラで笑える。
夏に廊下でカラン、カラン、て音がして見てみたらウッド調のサンダルをはいてた子もいた。
化粧や髪を染めること、ピアス、アクセサリーも全然注意されなかった。
私もペンダントやおもちゃのような指輪をつけて通っていた。
 
およそどこにいて何をしていてもいい学校だった。
最低最悪な中学校を脱出して最高の場所に来られたなって思った。自分を守るために誰かとつるむ必要もなく、一人でお弁当食べたって変な目で見られないし、誰かと一緒にいたっていいし、いろんな意味で自由だった。
 
今でも思い出すのは、昼に友だちが、学校から5~6分歩いた先の釜めし屋に連れて行ってくれたこと。
サラリーマン御用達のお店で、女子高生2人は浮きに浮きまくっていたが、私はすごく楽しかった。愉快だった。
 
私立学校の教員になって、生徒たちがみんな体育のとき以外は指定の制服を着て、昼休みにちょっとそのへんに買い物に行ったりすることすらありえない、それが「当たり前」ってことになったときは大いに戸惑った。
私が学校教員を続けられなかったのは、高校時代に自由の空気を吸いすぎたせいもあったろう。
 
「あの子、変わってるよね」は、私たちの間では誉め言葉だった。
楽器やダンス、スポーツなど一芸に秀でていたり専門分野を持っている子が多く、私も「変わってるよね」って言われたかったけど、特にとがったところもなかったので残念だった。
でも特別個性的じゃなくても、誰はばかることなくそのまんまの自分で生きている、そういう子たちの一人だった。
ある年の体育祭のテーマは「天然育ち」とかそんなんだった気がする。
 
そんな青春時代の終わりに、卒業式で歌ったのが「想い出がいっぱい」だった。
「幸せは誰かがきっと 運んでくれると信じてるね」
昼間でさえほの暗い、古い講堂で、卒業生120名弱、たぶん誰ひとりそんなこと信じていなかった。
誰かが、たとえば男の人が?自分を幸せにしてくれる、なんて。
ジェンダーフリーの牙城みたいな学校で3年間過ごした私たちに、「結婚して女の幸せをつかむ」なんて概念はまるでなかった。
少なくとも、私たちは違う。そう思っていた。
 
なんでこの曲だったのか、不思議だ。
生徒の誰かが選んだのかもしれないが、覚えていない。
センス的には音楽の先生のような気がする。私たちは受験で忙しかったし。
1983年発表の歌だという。
つまり、私たちが生まれたばかりのころの歌。
それを意識しての選曲だとしたら、涙が出てくる。
 
この曲は卒業ソングの定番のようだが、歌詞を見るとむしろ、
花嫁の父親が結婚式で歌うのが一番ふさわしい気がする。
「古いアルバム」の中に隠れた想い出。小さかった娘。
いつまでも無限に続くと思われた日々も、終わりを迎える。
 
「おとなの階段上る 君はまだシンデレラさ」
「まだ」というのは、「まだ王子様と結ばれていない」ということだろうか。
結婚式で花嫁の父が歌うとしたら、それはなんという切なる願いだろうか。
今、このひとときだけでも、まだ少女でいてほしい。
シンデレラはお城の階段を上り、また下りる。家に一度戻る。
次に階段を上れば、もう彼女は戻ってこない。
 
卒業式で「シンデレラ」だったのは私たちだったが、
この曲は「君」に向けて歌う歌である。
「手に届く宇宙は限りなく澄んで 君を包んでいた」
私たちは誰に向かって、この歌を歌ったんだろう。
それはきっと、友だちとか、クラスメイトとか、私たちの輝かしい高校生活の想い出の中にいるみんなだった。
そして、今この古い校舎に置いていこうとしている高校時代の自分だった。
 
「踊り場で足を止めて 時計の音 気にしている」
踏むとギシギシ鳴る木の階段。
年季のはいった黒ずんだ廊下。
驚くほど長いチャイムの音楽。
終わりを、思いもしなかった日々。
いや、私たちはいつもこの生活が終わるってことをわかっていた、でもそれが本当に終わるってことは考えられなかった。
 
「少女だったと いつの日か 思う時が来るのさ」
私たちは本当に少女で、自分たちが少女であることに気づいていなかった。
自分が若いことに気づけないくらい若かった。

 
卒業のときにはよくわからなかった曲だが、こうして20年以上たって、
とっくのとうに少女ではなくなり、「懐かしく振り向く日」が来た。
 
シンデレラも王子様も関係なかったみんな。元気でいるだろうか。


(トップ画像は高校時代をともに過ごした猫たち)

(↓↓中学校時代の思い出の曲↓↓)


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