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第1回 脚本ってそもそもなに?

[編集部からの連載ご案内]
ドラマが話題になるとなにかと脚本家にも注目が集まる昨今。それでも「脚本家」がどんな仕事をしているのか、まだまだ知らないことだらけ……だと思います。『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞し、次のNHK朝ドラ『ブギウギ』の脚本も控える、いま大注目の脚本家・監督の足立紳さんが、脱線混じりのエピソードのなか、脚本(家)について書いていきます。(月1回更新予定)


初めまして。今回から連載を書かせていただきます足立紳(あだち・しん)と申します。年齢は50歳で職業は主には映画やドラマの脚本を書いています。たまに監督もしますが、今回の連載では「脚本」というものをテーマに書いてほしい!とのことなので脚本についての文章が多くなると思います。

肩書として「脚本家」とか「シナリオライター」などと名乗っているくせに(関係ないですが「脚本家」とか「○○家」というのはどうにも先生とか大家のような雰囲気を感じるので、自分としては「シナリオライター」のほうがしっくりきます)、「脚本」をテーマになにか文章を書くことにまったく自信がありません。なぜかと言うと、脚本というものを自分は真剣に考えたことがあるのだろうかとふと自問すると、ないような気がするからです。

ですのでこの連載を書きながら自分なりに脚本とはなにか?を考えるきっかけにもしなければと思っています。が、おそらくこの連載は「脚本」というテーマから脱線しまくるでしょう。そもそも僕の書く脚本は脱線が多く、監督さんやプロデューサーさんから「また話が脱線してんだよ。テーマがぼやけちゃうんだよ。直してよ」などとよく言われておりますので。

一回目の今回は自己紹介がてらに、僕が仕事としているその脚本というものはそもそもなんなのか?ということを書いてみようと思います。いや思うではなくすでに書いていますが、一言で言えば脚本とは映画やドラマの設計図のことです。多くの脚本家の方々もそうおっしゃっています。プラモデルを組み立てるためや建築物なんかを建てるためにも設計図がありますが、あれと似たようなものです。ただ、脚本の場合は図面ではなくて文字だけになります。

脚本には「柱(はしら)」と「ト書き」と「セリフ」が書いてあります。柱というのは場所のことで、ト書きというのは登場人物の動作や行動です。歌舞伎の台本が「ト○○は息をする」などというように「ト」から始まっていたことが由来だそうです。セリフは言わずもがなかと思いますが、登場人物の発する言葉です。つまり書くとこんな感じです。まず柱の前に○を書きます。後に○にはシーンナンバーが入ります。

○ 足立紳の部屋
  足立が机で鼻くそをほじりながら原稿を書いている。
足立「あー、仕事したくない……」

これを縦書きにして続けたものが脚本です。映画やドラマの撮影には多くのスタッフやキャストが関わっていまして、その全スタッフ・キャストが脚本を手に自分のパートの準備を始めます。

衣装部さんでしたら、この登場人物はどんな服装をしているのか?寝るときはパジャマなのか部屋着なのか?とか。メイク部さんでしたら、この人物はどんな髪型をしているのか? 小道具さんでしたらこの人物はどんなカバンを持っているのか?財布を持っているのか?とか。美術部さんでしたら、この人物はどんな部屋に住んでいるのか?とか。俳優部さんはこの人物はこのセリフをどんなニュアンスで言うのか?どんなふうに飯を食うのか?とか。

そんなふうに制作の各部署は脚本をもとに準備をしていきます。こういうことから脚本は設計図だと言われるのですが、プラモデルなどの設計図とは大きく違うところがあります。プラモデルの設計図は、図面の指示通りに組み立てていけば、最終形はよほどのことがない限りひとつでしょう。ですが、脚本という設計図から上がってくる各部署の完成品は、例えば10人の衣装部さんに同じ脚本を読んでもらって衣装を準備してもらうと、おそらく10通りの衣装が出てくると思われます。

なぜそうなるのかと言うと、設計図とはいえ脚本には「この人物はジーンズに赤いパーカーを着ている」などという具体的な指示が書いてないからです。書いてある場合も稀にあるのかもしれませんが、今のところそういう脚本を見たことはありません。脚本家によっては、登場人物たちの服装まで頭の中に思い描いている方もいらっしゃるかもしれませんが、僕の場合は人物の服装はおぼろげです。ですので、衣装部さんは脚本を読み込んで、登場人物の人となり、人生を想像して服装を考えます。

すべての部署の方々が脚本を取っ掛かりにして自分なりに想像して、それを監督に提案して、それで行きましょうとなったものが出来上がったドラマや映画ということになります。今、「取っ掛かり」と書きましたが、もしかしたらスタッフにとって、脚本とは設計図というよりも取っ掛かりというほうがしっくりくる人もいるかもしれません。ですので、良い脚本というのはいかにスタッフの想像力を刺激するかということになるかと思います。

海外映画やドラマの脚本は見たことはないのですが、アメリカなんかですと日本の脚本よりももっと具体的に書き込んであるそうです。柱とト書きとセリフしか書いてない日本の脚本よりも小説の形に近いのではないかと思います。小説は脚本よりも人物や風景の描写がずっと具体的です。アメリカ方式の脚本で仕事をしたことはないので、一概に比べることはできませんが、具体的に書いてあるアメリカ式の脚本だとスタッフ間、キャスト間の齟齬が少ないでしょう。とても効率的だと思います。日本式の脚本だと「え!? こんなのになっちゃう!?」という三振もあれば「え!? こんなのあるんだ!?」という予想外のホームランが出て来る可能性もあります。

どちらが良くてどちらがダメということはないと思いますが、日本式の脚本の良さは、予算と時間をたっぷりとかけてこそ真価が発揮されるのは間違いないでしょう。少ない予算と時間では想像力をフル活用できませんから。ですので、制作費にあまりお金をかけない日本では、実はアメリカ式のような脚本のほうがいいのだろうと思います。

あと、ルールで決まっているわけではありませんが、ト書きには、映らないものは書いてはいけないとも言われています。映らないものというのは「人の気持ち」と「たとえ」です。「彼はこのときこう思った」と小説にはよく書いてありますが、ト書きに書くのはよろしいことではないと言われています。ただ、僕はたまに気持ちがグッと入ったり、ここぞ!というときには書いてしまうこともあります。

「たとえ」は「真っ赤に燃えるような海」とかそんなやつです。つまり比喩ですね。「真っ赤に燃える海」はこの世にないので、制作部さんが探してくるのが不可能なのです(ロケ場所を探してくるのは制作部という部署です)。でもこれも脚本を書いているほうからすれば、「真っ赤に燃えるような海」というものがこの世にないことは当然知っていますが、そんなイメージですということです。これもここぞというときには僕は書きます。僕が脚本を書いた『百円の恋』という映画で、主人公の女性ボクサーがリングに向かう花道を、「まるで産道のような花道」と書きましたが、それは主人公が新たに生まれる瞬間だという思いを込めて書きました。全スタッフ・キャストに自分の思いを全力投球で投げ込みたかったのです(アメリカ方式の脚本には気持ちや「たとえ」も書いてあるかもしれませんね。もしも見ることができればいつかこの連載でも触れてみたいです)。

当たり前ですが、脚本家は脚本にものすごい思い入れを持って書きます。これまで脚本は設計図だなんて書いてきましたが、実は僕は設計図と言われるとことに少し違和感を覚えています。「なにぃ、俺が書いてるものは設計図なんていう作品の途中経過じゃねえぞ! それだけで作品なんだ! ひとつの作品なんだ!」と心の片隅で……いえ、ど真ん中でそう思っています。

が、僕ごときがどんなに声を大にして言ってもどなたにも届きませんし、「脚本は作品だ!」なんて自分でもちょっと野暮なこと言っているなと思います。ですがやっぱり蚊の鳴くような声で言っておきたいのです。

「脚本は確かに設計図ではありますけど、その前にひとつの作品だと思うのです……」と。


足立紳(あだち・しん)
1972年鳥取県生まれ。日本映画学校(現・日本映画大学)卒業後、相米慎二監督に師事。2014年『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、菊島隆三賞など受賞。2016年、NHKドラマ『佐知とマユ』にて市川森一脚本賞受賞。同年『14の夜』で映画監督デビュー。2019年、原作・脚本・監督を手掛けた『喜劇 愛妻物語』で第32回東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。その他の脚本作品に『劇場版アンダードッグ 前編・後編』『拾われた男 LOST MAN FOUND』など多数。2023年後期のNHK連続テレビ小説『ブギウギ』の脚本も担当する。監督最新作『雑魚どもよ、大志を抱け!』が2023年3月に公開。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』『それでも俺は、妻としたい』『したいとか、したくないとかの話じゃない』など。
足立紳の個人事務所 TAMAKAN Twitter:@shin_adachi_

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