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謎の投資教育 爆誕

学校の授業で投資を扱わないのは,国民を賢くさせないためだと思っていた。そんな中,こんなニュースが俄かに世間を賑わせた。

やはりこの国は,国民を賢くさせるつもりなど無いようだ。
家庭科………???????

誤解の無いように申し上げるが,私は決して家庭科の教員に投資を教えることは不可能だと言いたいわけではない。
専門性を考慮すれば間違い無く公民科の出番なのに,何故家庭科に組み込もうと思ったのか,何度考えても理解出来ないと言いたいのだ。

記事にもある通り,家庭科には家計管理という項目がある。以下に,高等学校学習指導要領の内容を抜粋する。

(㆒) 生活における経済の計画
ア 家計の構造や生活における経済と社会との関わり,家計管理について理解すること。
家計の構造や生活における経済と社会との関わりについては,可処分所得や非消費支出の分析など具体的な事例を通して,家計の構造を理解するとともに,家庭経済と国民経済との関わりなど経済循環における家計の位置付けとその役割の重要性について理解できるようにする。
家計管理については , 収支バランスの重要性とともに,リスク管理も踏まえた家計管理の基本について理解できるようにする。その際,生涯を見通した経済計画を立てるには,教育資金,住宅取得,老後の備えの他にも,事故や病気,失業などリスクへの対応が必要であることを取り上げ,預貯金,民間保険,株式,債券,投資信託等の基本的な金融商品の特徴(メリット,デメリット),資産形成の視点にも触れるようにする。

確かに,最後の方に申し訳程度に触れられてはいるが,実際に家庭科の授業で実践的な内容として実施されているのは,生活設計やマネープランを考えるというものだ。
インターネット上に公開されている指導案を下記に紹介する。

これまで世帯主等の保護者が担っていた家計管理を,自分達の目線で考え,将来に役立てようという狙いが見て取れる。

一方,公民科の政治・経済の学習指導要領(一部抜粋)は下記の通りだ。

金融の働きと仕組みについては,金融とは,経済主体間の資金の融通であり,同時に将来資金を受け取る権利の取引であることの理解を基に,金融を通して経済主体間の資金の過不足が解消され,経済活動が円滑に進行する一方,金融取引には情報の非対称性や不確実性が発生するため,信用が大切となることについて理解を深めることができるようにする。
このような金融における資金の需給は,金融市場における金利の変化や,株式市場と債券市場の動向などによって調節されることを,銀行,証券会社,保険会社など各種金融機関の役割や間接金融,直接金融の仕組みと併せて理解できるようにする。
また,金融市場における金利の動向はマネーストック(通貨供給量)の変化に波及したり,逆に,通貨供給量を変化させることで金利を操作する政策が行われたりすることがある。また,金利の変動は消費や貯蓄,投資行動に影響したり,物価や株価,さらには景気の変動に大きな役割を果たしたりすることの理解を基に,その関連において中央銀行の役割や金融政策について理解を深めることができるようにする。

明らかに,政治・経済で詳細を学んだ方が良いのではないだろうか。

「金融」という,国内外の関連機関がどのような役割を担い,株式取引や投資信託,債券などがどのような影響をもたらすのか,各家庭の家計のみに留まらず学べる分野が存在するのに,何故家庭科における内容を重視しようと考えたのだろうか。

無論同業者として,大義名分は理解している。
「家庭基礎」は選択必履修科目であるのに対し,「政治・経済」は選択科目だからだ。
全ての生徒に履修させなければならない科目の枠組みにある「家庭基礎」であれば,希望者だけが履修する「政治・経済」よりも,公平に全ての生徒に投資教育を施せると考えたのだろう。

しかし,家庭科で高めたい専門性は,あくまでも被服・調理・家計などの家庭生活におけるものであり,公民科の金融分野におけるそれとは異なる。
家庭科でも「こう言った金融商品を選ぶ目と力が養えれば,より皆さんの生活を豊かに出来る可能性が広がりますよ」という触れ方をしておき,公民科で詳細を学ぶことで理解を深めるという,教科横断的な取り組みが出来るのならば素晴らしいと思うが,記事における現役職員のコメントを見るに,渦中の家庭科担当者がそこまで投資教育を重視していない事がうかがえる。
これでは,餅は餅屋どころか絵に描いた餅である。

学びとはいったい何なのだろうと,思わされることが多くなっている。
学習指導要領に書いてあることを基に,こじつけのような内容を子供達に伝える事ではないはずだ。
一緒に仕事をしたことのある外国人講師が,今でも忘れないこんな言葉を私に伝えた。

『I think,Japanese education is growing abilities for exam.』
日本の教育は,試験を突破するための力を育てているだけだと思う。

私と同じ思いを,遠い異国の地からやってきた人が持っていた。
たったそれだけの事だったが,勝手に自分が救われたように感じてしまった。

学校とは不思議な場所で,「今学んでいる内容がどのような場面で役立つのか」を紹介される機会が極端に少ない。
常々その点に学校教育の矛盾を感じていた私は,可能な限り早く生徒達に有益性を伝えたく,ともすれば「テストの得点に直接繋がらない」という心無い批判をされるであろう話も多数してきた。

言わせてもらおう
学校のテストで高得点をとることの出来る人間ならば,どんな場面でも最適解を導くことが出来るのだろうか?
それが事実だとしたら,この国の政はもっと世界から称賛されるものになっているはずだが,実態はそうではない

私は地歴公民科の教員ではないが,自分自身が投資を実践している身として,関連を持たせられる場面があれば,授業内でその魅力を紹介してきた。
だが,この知識は学校で学んだ覚えが無く,すべて独学であり,もっと早く学んでおくべきだったと思っている。
せっかく学んだものの魅力を伝えられる機会があるのに,生徒達がその魅力を知らないまま終えてしまう授業に何の意味があるのだろうか。
少なくとも,当該職員に魅力を伝えようとする気持ちが無い現状で投資教育を始めたとしても,興味を持つ子供達は想定よりも大幅に少ないだろう。

この国の教育を何とかしたいという思いが無いとは言わない。
その思いが無い者は,そもそも変化を唱えないからだ。
何とかしたいと本気で思っているのならば,より効果の高い方法を冷静に考えた上で実行して欲しいものだ。
提唱者は失敗しても責任を取らないのに,皺寄せは子供達の未来にそのまま残されてしまうのだ。

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