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情けは人の為ならず

「空気を読む」,「忖度」は本当に必要なスキルなのか,と感じている。
自分が何をしたいのか,あるいは何をして欲しいのか分かってもらいたいならば,相手が理解出来るように伝える方が,間違い無く失敗が減るからだ。勿論,失敗することで成長することはあるし,失敗すること全てが悪いとは思わない。

ただ,「する必要のない失敗」は避けた方が良い。
相手に伝達すべき情報が不足しているが故に,思い描いていたものと違う結果を得てしまったり,確認したときにお互いの認識が違うことが発覚し,進捗が滞ってしまう,などだ。

自分一人で処理するときと異なり,他の方に助力を要請するときは,最初に相手が自分の思惑を理解出来ているかどうか,共通認識を持って取り組まなければ「する必要のない失敗」が発生する原因となる。

伝達の方法は様々だが,口頭で理解出来るのであればそれに越したことは無い。
しかし,相手の力量に応じて対応は当然変化させる必要があり,口頭だけで不足していると感じれば文字で明文化,それでも不足しているならば図や実際の動きを見せるなど,とにかく相手が理解に到達するまで諦めてはならないと思っている。

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学校現場では,このことが置き去りにされて場が進行することがある。
おそらく,問題に対して必ず正解が存在する環境に,生徒も教員も染まってしまっているからだと思う。
何にでも正解があると思い込んでいるから,示された情報を熟読・熟考すること無く,「正解は何だ。辿り着ければ過程はどうでも良い。」となりやすく,認識の共有を怠る。

結果として,話を聞かず,思い込みで進んで行く教員が自分の足を自分で止め,下げる必要のない頭を下げたり,他の教員との関係性を不必要に悪くする事態となる。

伝える側も伝える側で,「大人なんだからこれくらい出来て当たり前だろう」という思い込みのもと,能力差を考えず,どうすれば相手に伝わるのか模索する前に怒り始めるものだから,スタッフ間に不要な軋轢が生じ,何故か常にイラついている人間が出現する。

こうなると,その人間を怒らせないように,怯えるように働く教員が同時に出現することになる。

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能力がなかなか伸びない生徒も同じ傾向がある。
いくら教員が魅力的な授業をしたとしても,正解が得られさえすれば良いと考え,教員から伝えられているはずの手法や内容を完全に無視し,自分のやり方に固執したり,「問題集こそ正義!」と思っている生徒は,頭打ちになるタイミングがやってくる。

この手の生徒に対しては,「こいつには何を言っても無駄だ」という謎の上から目線を注ぐ教員が何故か多く,早々に指導を諦めてしまうから,本来であれば伸ばせたかも知れない能力が伸び悩んでしまうのだ。

この状態が教員・生徒ともに蔓延すると,その学校が学び舎に戻るにはかなりの時間を要するようになる。
自分を最優先に考えるのは時に間違いではないが,相手を考えなくて良いことの免罪符にはならないということを理解せず,自分のことを最優先に考えてしまう人が大多数を占めてしまうからだ。

情報は過不足なく伝えた上で,伝わっていない場合には自分の伝え方を振り返り,伝わる方法を考える。
ただこれだけのことが蔑ろにされているが故に,互いの能力を発揮しきれないという残念な環境を,自ら作るという悲劇が発生してしまう。

教員を12年続けて,所属したすべての学校で感じたことを呟いた。

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