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私の愛した教員1 後輩α

これまで学校現場の憂うべき現状を綴ってきたが,中には勿論,「この方と一緒に仕事がしたい」と思わせてくださった教員もいる。
不定期になるかもしれないが,今回から数回に渡り,その方々を紹介させていただく。

α氏(男性)との出会いは少々特殊だった。
共通の趣味である麻雀を嗜みに,共通の知人である別の方のお宅へお邪魔した際,たまたま居合わせたのが初対面だ。
その後,私の異動先がまさかの彼の所属校である事が判明し,「一緒に仕事をしたことは無いが,事前にお互いの事をある程度知っている状態」で,職場での奇妙な初対面を果たす事となった。

彼は第一印象からとても気持ちが良い人物で,自分の専門教科のみに留まらず,時事・漫画・スポーツ・ギャンブル・お笑いなど,様々な分野の知識を持ち,延々と話していても決して飽きない存在だった。
生徒への思いも人一倍熱いが故,信頼も厚く,「困ったらまずα先生のところへ」という雰囲気が,生徒の中にはあったように感じていた。
秩序の乱れには私と共に出動することも多かったが,かと言ってただ厳しいだけでなく,時には生徒からの愛ある弄りをノリノリで受け止める事も出来るため,彼の担任クラスは素晴らしい雰囲気で進級を迎えた。

彼の仕事観は『他の方が気持ち良く業務に取り組みやすい環境を整えるのが「仕事」』というものだった。

備品が少なくなったら率先して倉庫へ取りに行く。
業者からの情報を公開と同時に分析し,有益な情報及び今後の対策を即時他の職員に共有する。
大切な事は要点を絞り,徹底的に分かりやすく伝える。
生徒の良い面や善行を見逃さず,担任や関係者にその都度伝達することで,生徒を褒める機会を増やし,自己肯定感を自然と高めさせる。

インターフェースの素早い改善,情報へのアンテナの張り方,年代を超越した気遣い,そしてフィードバック⇔アプローチの反復を徹底的に行う手法は,隣の席で見ていてとても勉強になった。
更に彼は,人の良いところを見つけ,それを自然と口に出して褒める事が得意だった。

ハッキリ言って年上の私なんかよりもはるかに優秀であり,共に所属した学校のレベルでの指導経験が皆無だった私は,年齢差など関係無く,自分と所属年次の生徒のレベルアップの為,彼に教えを乞うたことは幾度もあった。
私は私で,持てる限りのスキルを尽くし,彼の手が離れなさそうな時には喜んで助力をさせてもらった。
そんな私の姿勢を汲んでもらえたのか,彼も私に遠慮無く協力要請をしてくれるようになり,年代も近かったせいか,自然と互いの本音を語り合える仲になっていった。

生徒の能力の高さに胡坐をかき,無責任で事なかれ主義の指導体制
進歩,成長を面倒がる教員
やりたくない仕事と責任を徹底的に回避したがる教員
当然生じる生徒と教員の信頼関係の綻び

そんな現状を共に憂い,何とか改善出来ないか,時には職員室で,時には校外で食事を共にしながら,意見を交わし続けた。
努力は徐々に実を結び始め,入学当初はかなり心配だった平均点偏差値が,進級直前にはここ数年でも類を見ない数値に成長した。
彼とは,私が担任になった事で異なる年次に別れてしまったが,1年間所属年次を共に出来たことは,私にとって貴重な経験となった。

そんな彼が,いつかこんな事を言っていた。
「先輩,俺,先輩みたいな人を待ってました。今残ってる人達って,先輩・後輩関係無く癖が強い人ばっかりなんですよ。接しにくかったり,責任感無かったり,我儘だったり…こうやって普通に会話が出来て,普通に仕事を一緒に出来る人って,異動した〇〇さん(共通の知人)以来なんですよ。先輩って,分からない事はちゃんと聞いてくれるじゃないですか。だから俺も一緒に仕事したいと思うんですよね。」

本当に勿体無い言葉だった。
『自分如きがナンボのもんじゃい』の精神でただただ走り続けてきただけで,明らかに自分よりも能力が低いであろう私の姿勢に共感し,一緒に仕事をしたいとまで言ってくれた。
その時には言葉少なに『ありがとうございます』と返すことしか出来なかったが,彼が頑張ってくれるなら自分も頑張らねば,と自然と思わされた。
それと同時に,彼も自分の思いと周囲とのギャップに,心から苦しんでいる数少ない教員の一人なんだと実感した。

彼は今年度,卒業学年の担任を受け持っている。

「この歳になると,教え子の成長は勿論ですけど,卒業生の成長にも学ばされるんですよね」

食事の帰りの車中でそう語っていた彼の存在が,未曾有の苦境に立たされる公立学校において,生徒にとっての光となる事を心から願う。

お立ち寄りくださいまして,誠にありがとうございます。 皆さんが私に価値を見出してくださったら,それはとても素敵な事。 出会いを大切に。いつでもお気軽にお越しください。