ゲイにとって危険な世間のイメージとのズレ

一方的な憶測

ゲイ同士で温泉に入ったときの感覚を話し合うと、あくまで湯に浸かる場所なので、周りに裸の男性がいても気にならない、という結論に至る。しかしこれはゲイ側からの主観に過ぎない。もう少し踏み込んで考えてみると、ストレートの男性が同性愛者と分かっている男性と何のストレスもなく、公共浴場で入浴できるだろうか。どれだけ相手のことを理解しているかによるが、自らの異性愛者としての経験と照らし合わせると、性欲の対象となる人達が裸で周囲にいて、正気でいられるはずがないと想像するだろう。ゲイからそういう目で自分も見られていると連想する。
こういった状況はストレートの男性の一方的な想像力によって生まれている。自分は女性に対して他人より執着心が強いと思っている男性ほど、男性同士の世界が異様に見えてくる。全く自分に影響がない世界なのに、過剰に反応して、そばにいるだけで身の危険を感じることもあるだろう。
公共浴場とは、そういった視点の人達とゲイが、誤解の生じやすい状況に置かれている場所だということを、改めて認識しないといけない。ゲイの認知度が上がれば上がるほど、ストレートとゲイの考え方のズレによる摩擦が生じやすくなるだろう。

偏見を加速させる問題

公共の場を発展場として利用すると、ゲイの立場を危うくする。ゲイも公序良俗を重んじているという概念を覆してしまうからだ。もちろんこれは配慮が足りない人達による、度が過ぎた行為であるが、ゲイ全体のイメージに繋がってしまう。男はみんな変態であるという勝手なイメージが女性の間でついてしまうのも、一部の男性へのイメージが拡大されているからだろう。ゲイが性のアイコンとして扱われやすいのは、圧倒的に性犯罪の場合に加害者側になる男性としての性質を持った同性愛者だからかもしれない。

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