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親が死んで実家が飛んでも双子は夢を見る。(鴨川プロジェクト)

兄「千葉へ帰って来い!楽しさだけは保証してやる!」

私「馬鹿野郎!!この会社入るのにどんだけ苦労したと思ってんだ!!」

と一応言い争いはあったが。

結局、そんな愚兄の無責任な言葉にひょこひょこ釣られて仕事を辞めてしまった。

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兄も大概だが、私も大馬鹿野郎だ。

こうして、私は4月で3年間勤めた某金融機関を退職し、転職を機に慣れ親しんだ千葉へ帰ってくることになった。

これで3年ぶりに川名兄弟は同じ地で生活をすることになるわけだ。

「鴨川を日本一の観光地にする」

今年はその夢を叶えるべく、双子そろって精進していきたい。

今日はこれからと、そして過去の話をしたいなと思う。

まずは私たちの人生に影響を及ぼした2つの大事件から語ろう。

大学2年生の夏、偉大なる母君「康子」が癌業界のキングオブチャンピオンこと膵臓癌様で亡くなった。
それに関しては今更語るべきことではないので割愛させていただく。

私たちは母の分まで愉快に生きるだけだ。

そして、大学4年生の夏、実家が無くなった。
これは比喩的な表現でなく物理的に建物が消失したのだ。

発覚したのは友達からのLINEであった。

おい、家壊されてるぞ!!

のメッセージに添えられた重機で解体中のマイスイートホームの写真。

自分たちの知らぬ間に実家が解体されることを誰が予想できるであろうか。

詳細についてはもう少し私たちが有名になってから面白おかしく語ろうと思う。

絶望に浸る私をつまみに腹を抱えて笑う兄。
だんだん馬鹿らしくなって私も笑った。

これで、年末に帰る場所はなくなった。

何かあった時に実家を頼ることもできない。

まさに背水の陣!
ハンドルの無い車!
常に土俵際の人生!

ギリギリでいつも生きていたいからー!Ahー!Ahー!

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でも、失ったものばかりではなかった。

母が死んだ日も実家が飛んだ日も私たちにとっては歴史を揺るがす世界的な大事件だった。

それでも日々は変わらず、いつも通り時間は流れる。

悲しくても腹は減るし、寝たら朝は必ず来る。

こんなにしんどくて可哀想な思いをしてるのに時間は流れるのだ。

くたばれ世の中、くたばれ幸せ者ども。

正直そんなことも思ったりした。

だが、新宿の映画館で煉獄さんも言っていた。

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私たちがどんな目に合おうとも世の中ちっとも変わりやしないのだ。

そんなの悔しいじゃん。

だから、生きていくのに退路など必要はないのだと考えることにした。

つまり、人生は進むことしかできなくて、立ち止まるか、ゆっくり歩くか、走っていくかのどれかしか選択肢はないのだ。

そう割り切った。

全て母の死が教えてくれたことだ。

それなら私たちは肺が破れるまで足が折れるまで走って行けるところまで行きたい。

ちっとも変わらない世の中をほんの少しでもいいから変えてみたい。

与えられなかった人間、失った人間でも何かができるって証明したい。

そして!

そんな体験がきっかけで1つ思いついたことがある。

住んでいる環境で人生の選択肢が絞られないように。
誰もがやりたいことに挑戦できるように。
誰もが好きな町で好きなように暮らせるように。

そんなことを実現するチームを故郷の鴨川発で作ろうと思っている。

その名も「鴨川プロジェクト」

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めっちゃくちゃ楽しく町おこしやって、鴨川を、そして日本の地方全部をナウでヤングな町にしちまおう!!って目的のチームである。

まずは鴨川を日本一の観光地にするところから始めようと。

詳細は近日公開、メンバー募集中。
質問があれば是非。

以上

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