あおくんへ

あおくん、今年一年お疲れさまでした。

私はあおくんとの再会が何よりもうれしくてラッキーだったって思った2020年だった。あおくんとの出会いは、そうか、2019年だったんだ…。というか、私たちはほぼ同時にあのカフェに行くようになったことが驚きです。今、この街は若者が増えて、コロナだからかもしれないけれど、カフェや何かで仕事をしている人も多くなったね。あの頃、あおくんがどんな仕事しているのかすごく興味があったの。ニートにしてはしっかりした身なりだし、サラリーマンにしてはラフすぎるし、何才だろう…よくわからないけれど、何か気になる人だなあって。

あおくんの存在はいつも瞬間的に見つけられる。何かにおいがするのかもしれいない。あおくんの好きなところはね、私を見つけても変に焦らないところ。身構えたり体をこわばらせたりすることなく、すっと素通りに近い感じで接してくれるからすごく好き。私はいつも見られる立場だけど、あおくんに関しては私が存分に見つめられるところがいい。あおくんがSNS苦手だっていうのはなんとなくわかっていたつもり。だからね、適宜ツイッターを覗いてくれることうれしいの。苦手なことでも私を気にかけてくれることがうれしい。

あおくんの存在は本当に私の心を平安にする。多くの発信も共通の友人もいないから、ただありのままのあおくんしか知らないから私はまるごと信じられる。そこがあおくんと朔ちゃんの違い。あおくんだって裏ではデリヘルを呼んでるのかもしれない、でもそんなことにおわせることもないし、そんなこと風のうわさで聞こえてくることもない。だから私はあおくんを素直に大好きって見つめることができる。まっすぐ前を向いているあおくんが大好き。いつもかっこいいって思う。確かにメンタルが弱いのかもしれないけれど、メンタルの弱さなんてみんなある。大切なのはメンタルが弱くてもひとりで戦うことを決めたあおくんの気持ちの強さだよ。メンタルはその都度都度揺れるけれど、気持ちの強さが持続しているから2年もデイトレをやっているんだと思う。そんな部分も好きで尊敬している。

あおくんの言葉は多くないし、大げさでもないし、淡々としている。だからこそ私はあおくんの言葉のすべてから学びたいって貪欲な気持ちになる。言葉のすべてからヒントを得ようとしている。言葉のすべてから何かを引き出そうとしている。

あおくんは孤独だって言う。でも孤独を選んだあおくんはすごいと思う。人は楽なほうに流れたがるもの。わたしはひとりでいたいけれど、大切な友達が今日何をやっているかを知りたいタイプ。朔ちゃんが群れの人気者だから時々昨日みたいに爆弾が投下されるせいで自由に友達の動向が見れなくなる。本当に迷惑な話。私は楽なほうに流れてインスタを見たくて朔ちゃんを攻撃する。「おまえのせいで私の友情が台無しだ!!死ね!!」って。言っておいてくれれば心構えもできるから、こんなに揺れて泣いて痛みを伴うこともないのに。朔太郎はあほすぎて話にならない。

インスタは次郎さんも時々ラブレターをくれるから死守したいのに、ホント迷惑な話。あおくんがもし同じ立場なら、何をとって何を捨てるかなんだろうなって思う。その折り合いにもやっぱり尊敬の念を抱く。あおくんはしがらみが少ないんだろうなあって思う。人間関係も小さいから、変なしがらみなく伸び伸びと生きているんだろうなあって。うらやましい。私も本当はそんな生活がしたいから。

あおくんとは来年も今年みたいにだらだらとつながりたいし、ご飯も作ってあげたいよ。いろんなところに遊びに行きたいし、いろんな話を聞いてみたい。今までのことこれからのこと、結婚する気持ちはありますか?とかね。

あおくんはくそまじめだから結婚は考えていないんじゃないかなあってずっと思っている。でももしも結婚する気持ちがあるのならって夢に見たこともある。結婚なんて書類上だけれど、やっぱりひとつ屋根の下に暮らすなら便利な書類だし。

2021年もよろしくね。もっと朔太郎に引っ張られず私もフラットでいたい。そしてあおくんのことをもっともっと2020年以上に見つめていられたらいいのになあ。

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